時期外れだけど、マイペースに前回の続きを。ドンパチシーンもなく戦場からも遠く離れてるけど、戦争の影が濃厚な『名もなきアフリカの地で』。
戦争によって人生が、思いっきりあらぬ方向へ転がっていくさまを描いていて忘れがたい。
天使のコスプレしたら似合いそうな、カワイイ子役とアフリカの大自然。ラテン系ゴージャス美人だけじゃなく、カワイイ子役もブスカワイイ子役も、好き。
アフリカの地で生活するヨーロッパ人ときけば、”文化人類学者アフリカへ行く”な話かと最初は思った。漆原教授もアフリカ行ってたから、人文系に限らなくてもいいんだけど。
なぜ少数だったのか、その答えは簡単で、生活するにはあまりにも過酷な地だったから。迫害を逃れて新天地に逃れた家族、力をあわせてガンバローな展開も思いっきり裏切ってくれるから面白かった。
この映画、自分の中では「冷蔵庫とセックスレス」でタグ付けされてる。
ひと足先にアフリカに渡り、新生活準備に入ってた夫の人。後から合流する妻の人に、「冷蔵庫」を持ってきてくれと、くどいほど念押ししてた。当時のアフリカ は想像以上に未開の地で、文明化されてなかったことを示すエピソード。なのに遅れてやってきた妻の人が、冷蔵庫がわりに携えてきたのは、「豪華食器セッ ト」。ロイヤルコペンハーゲンとかそんな感じのやつ。ドイツだからマイセンとかかも。それを知った夫の人大激怒。アフリカでの新生活は、しょっぱなから大きく躓く。
欧州陶磁紀行―マイセン|ウェッジウッド|セーヴル (ほたるの本)
- 作者: 南川三治郎
- 出版社/メーカー: 世界文化社
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 単行本
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(こんな感じの、パーティーでしか活躍しなさそうな食器セット。)
サバンナで、シマウマ呼んで晩餐会開いたってしょうがない。持ちだし制限とか色々あった中で、どっちかというと処分して現金に換えた方が良さそうなものを、よりによって妻の人は大層大切なものとして持ってきちゃった。逃避行やアフリカに対する認識が甘いとか、多分そんな感じで夫の人は怒る。怒る夫の人の気持ちもわかるけど、妻の人に思いっきり同情した。
・・・・・・もしも自分が同じ立場だったら、やる。妻の人と同じようなこと。確信がある。
冷蔵庫を用意するように言うのは、妻の負担を減らしたい夫の優しさでもある。料理方面は妻の役割になるんだから。そこまでわかっていても、やってしまいそうな予感しかしない。
新しく住む土地は、文化からは遠い場所。都市に住む知識階級だから、週末はパーティーでドレスアップする、洗練された都会の生活を楽しんでた妻の人。いつまで続くかわからない逃避行では、そんな生活は望むべくもない。
だったら過去を忍ぶよすがとして、持ってるくらいいいじゃない。
そういう理屈こねて、自分もやっぱりキレイなものしこたま持って行きそう。
自らが思うところを滔々と述べられる妻の人だったら、また別の展開もあったのかも。言葉にならないモヤモヤを抱えた妻の人、アフリカの地に馴染めない腹いせもあって、セックスレスで無言の意思表示をする。夫婦間のセックスレスも、コミュニケーションの一種になり得るんだねと、目からウロコ落ちた。
白人が居ないわけでもない土地だけど、知識階級に属する人はごくわずかな土地。夫の人の下半身は、階級も人種の壁も越えることはない。その読みがあっての妻の人の戦術、だいたい合ってた。
ぎくしゃくする夫婦をよそに、子供は着々とアフリカの地にも人にも馴染んでいく。偏見なく懐いてくる子供は、そりゃカワイイ。アフリカの大地で転げ回り、のびのびと成長する子役の女の子がとにかく可愛いかった。
今までの常識が通じない、まったく新しい土地で生活を始める時は、子供が居ると居ないとでは大違い。子供が、現地の人との仲介役になってくれる。現地の言葉を覚えるのも早いから、通訳にもなる。
アフリカにまったく馴染めない妻の人が、それでもある出来事をきっかけに、家族の生活を守ろうとするところは感動的。適応できずに悩むすべての人に、その瞬間が訪れたら精神科医もカウンセラーもいらない感じ。夫の人との和解も、とびきり美しく描かれてた。
ナチスの迫害を恐れて新天地に逃れたヘイトの被害者一家。今度は偏見を持ってロコの人に接してもおかしくない、場所や立場で生活することになった。ドラマや映画でも多様性に配慮して、人種の隔たりがないよう工夫される現代とは違う。有色人種に対する白人の偏見が、まだまだ根強かった頃。ヘイトの被害者が加害の立場に立たず、現地の人と同化していく姿がよかった。
偏見なく現地の男の子と、淡い恋らしきものを育む子役の女の子が、最後まで可愛かった。カワイイ子役もブスカワイイ子役も贔屓にしてる。
お休みなさーい。