クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

それは古いか新しいか

北欧神話ギリシャローマ神話。西洋の神話に慣れ親しんだほどには日本の神話に馴染みがないのは、恐らくそういう時代、西洋文明ファーストな空気の中で育ったから。

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神話の中の神様は、超人的な振舞いで人間世界に恩恵を与える一方で、個々の神様のやってることはわりと非道かつ大人げない。今から思うと、教義なき世界の神様の振舞いなんて、しょせんはその程度なんだと見做せなくもない。

 

教義に縛られた世界の神様はもっと窮屈そうで、無軌道なことは早々できないのがAD以後の世界。

 

神話世界の神様は、無軌道だろうがなんだろうがその超人的な力で世界を作り上げた創造主だから、作った世界の中ではやりたいようにやっている。神話ではなくなった、ただ受け継いだだけの世界の中で、創造主気分でやりたいように振る舞えば、教義に照らして相応の報いを受けるか、世界が崩壊するだけ。

 

旅行以外で生まれ育った土地を離れたこともなく、親から受け継いだ地盤を受け継いだ人と、親の代から各地を放浪、特定のホームをもたずに育ち、親とは違う職業を選んだ人とでは、ものの見方は違って当然。

 

守りを重視する人が選ぶリーダーもまた守りに強い人で、攻めを重視する人が選ぶリーダーは、攻めに強い人になりがち。自分とは違う視点の人を選んで、凸凹をフラットにしようと考える人はいつでも少数で、威勢がいい掛け声に身を任せがちなのが、気分や雰囲気に流されがちの人。

 

凸凹をフラットにする、情報の非対称性を是正しようと考えるのが新しい世界で、情報の非対称性こそが利益の源泉と考えるのが古い世界。という考え方とも親和性が高いのも、そういう時代の空気を吸ったせい。

 

凸凹をフラットにしようとしない、情報の非対称性こそが利益の源泉と考えるのは古い世界というものの見方が、今でも真なのかどうかはわからない。滅びてなるものかという古いものは、何としてでもどうあってでも生き残ろうとするから。新しい世界の衣を被って目の前に現れたとしても、驚かない。