次から次へと著名人によるセクハラが、遠い過去まで遡って暴かれるさまをセクハラ・パンデミックと評した人、天才。権力は必ず腐敗するものだけど、この病のキャリアは腐敗した権力者限定という特徴を、とってもよくとらえてる。
好きなことをする、あるいは好きなことを好きとただ公言するのにも誰かの許可、その道の権力者や有力者の許しが必要になるとかバカバカし過ぎる。
バカバカし過ぎるけど、真実は時の娘で、無理を通そうとすると道理が引っ込んで、傷が深くなるから沈黙を破るまでには時間がかかり、時間がかかったから大物も釣り上げられたんだね、と。
三浦綾子という今は亡き小説家による『あのポプラの上が空』という古―い小説を、ずっと昔に読んだことがある。ずっと昔に読んだのに今でもよく覚えているのは、内容が衝撃的だったから。ちなみに私はキリスト教徒ではなく、実家は知恩院派です。
一見何の問題もなさそうに見える、裕福な家庭の暗部を描いたもの。第二次大戦後まもなくの時代が舞台。ぶっ飛びエピソードがいろいろあるなかで、もっともぶっ飛んでるのは従軍経験のある一見好々爺のおじいさんと、上品なおばあさんの二人。
従軍経験があり、詳細は語られないけれど戦地の常識に従って行動したおじいさんと、理屈ではおじいさんの行動を仕方がないと受け止めても感情が受け入れられないおばあさん。おばあさんはパチンコと薬物にはまるようになり、徐々に人格が崩壊していく。
人格は崩壊していくけれども、元々が上品な人だけに、壊れた時が怖いんだ。
戦場に行った人が戦地の常識に従って行動するのは当たり前のことなんだけど、決して戦場に出ることはない、上品なご婦人には許しがたい。その落差からくるすれ違いが、長く家庭に不和をもたらし、ぎくしゃくする様子を描いてた。
決して戦場に立つことはない人が、戦地での蛮行を“そうするしかなかった”で許してしまうと、歯止めが効かなくなる。歯止めが効かなくなると、モラルや倫理が崩壊し、薬物やギャンブルにはまるほどにモラルや倫理が崩壊すると、社会も崩壊するということを、家庭という小社会を舞台に再現してた。
薬物やギャンブルに逃避するのは、見たくない現実からの逃避。これ、国民皆兵ですべての国民が戦場に立つような状態だと、たぶん内容を大きく変えざるを得ないような気がする。
ところで徴兵制がある国の人に、徴兵中の軍事訓練って大変なの?と聞いたら、「自分たちにとってはそうでもない」という答えが返ってきたことがある。学歴があれば、身体を酷使するような訓練には駆り出されず、教官的な立場での監督業務や座学中心で、さほど苦ではなかったんだと。
国民皆兵のいい面を見つけようとしたら、学歴を肯定できることかもしれない。
上官がアホだったら、部下は簡単に死ぬ。アホでは困るから、軍隊のような組織は超学歴社会。学歴があればそれだけ権限も大きくなるから、学歴がないばっかりにアホな上官の命令に従うしかない歯痒い思いをした人ほど、学歴のありがたさを痛感する。
退役後には大学に進学しやすくなるアメリカの軍隊の在り方は、思えば合理的。
Googleアップデートで、検索結果がまた変動したらしい。
インターネットとはどういう場所か。人によって答えは違うけれど、私にとってのインターネットは凸凹をならしてフラットにするところ。情報の非対称性を、できるかぎり解消しようとする場所。足りないところに余ってるものを足すところ。
近頃のインターネットに足りなかったのはモラル。足りなかったモラルが補充される一方で、モラルに反する行為が目に付くようになったところは、インターネットの神様のお庭からはもともと遠い、あるいは遠くなった場所。かもね。
お休みなさーい。