ハロウィーンって、カボチャやお化けのお菓子を食べて、コスプレする日なんでしょ。という、間違った認識でも問題ないと思う今日この頃。市場規模ではバレンタインを抜いたというのも納得で、お化けやカボチャを使ってさえいれば、非デザート食事系もカバーできてしまう、懐の深さかな。
キュートなハロウィーン便乗スイーツ。つい買ってしまう。お化け👻が特にカワイイ。
アメリカのハロウィーンはもっとおどろおどろしくて、ホラーやスプラッタは日頃厳しくレイティングされている鬱憤を晴らすかのように、怖い・キモイに偏りがちなのとはえらい違い。アメリカのハロウィーン最新事情は知らんけどさ。
日本でもすっかりハロウィーンは根付いたけれど、その形は本家とはまた違った日本仕様。だと思ってる。
レイティングが緩いと反動も緩くて、キャッキャウフフとみんなで仲良くコスプレを楽しみたくなる雰囲気アリ。神社仏閣由来のお祭りは、伝統も一緒に背負わなきゃで肩の荷も重くなるけれど、伝統が浅いと楽しい成分多めで、お気楽。お気楽だから、敷居低く楽しめそうな雰囲気に満ちている。
楽しい方に流れがちで、内輪受けを狙い過ぎると外部の視線も忘れがち。
アスリートの中にだって、読書や映画やお勉強が好きで、視野の広い人だって居るには違いないけれど、広い視野を獲得するより先に邁進することがあったら視野も狭くなりがち。外部の視線も忘れがち。
アスリートはただ優れたプレイだけを見せていればいいのか。それとも優れたアスリートたるもの、プラスアルファでさらに何かを求められるのかというと、アメリカの場合は完全に、プラスアルファを求められる世界よな。
すでに十分傑出した才能を持ちながら、二物・三物を与えられた人の方が、好かれる。イケメンとか頭脳明晰とか商才があるとか。単純にその方がカッコいい。
二物・三物を与えられた人の方が、基本的には好まれるという大前提があるから、普通の人が普通のままで才能を競う世界に飛び込んでくる、アジア、もしかしたら日本の価値観がもの珍しがられ、普通の人を惹き付けるという側面が、ちょっとはあると思ってる。
単身赴任中のお父さんからのプレゼントに、大喜びする女の子のニュース映像が、大層かわいらしくて微笑ましかった。いかにも子供らしい挙動が微笑ましいの源泉で、いかにも△△らしい振舞いは、普段見るようで見ないものだから、もの珍しくて微笑ましかった。
いかにも△△らしい振舞い。
つい他人に期待するけれど、いざ自分がその期待に応えられるかというと、無理なものは無理。見るようで見ないものだから、△△らしい振舞いを目にすると嬉しくなり、裏切られると腹立たしくなる。それだけのこと。
お休みなさーい。