クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

無防備無罪

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トランプ大統領イスラエルへの移転を表明したら、日経平均地政学リスクを嫌気して下がっちゃった。世界はひとつって感じ―。アメリカにはコーク兄弟という秘密主義の大富豪がいるらしく、秘密主義らしくwikiさんにも記述なし。保守政治家には多額の献金をしている共和党支持者らしいんだけど、トランプさんはコーク兄弟の支援は受けてないとか。

 

トランプさんの金主、あるいはパトロンユダヤマネーだったのね。。と、納得する日でございましたよ。

 

筋肉痛がひどくなるのは翌日から。打撲痛がひどくなるのも次の日からで、すっ転んで打ち付けた、あちこちが痛む。痛い。。

 

ちびっこが橇に乗せられて運ばれる姿を、頻繁に見かけるようになるのがこれからの季節。橇を引くのはトナカイじゃなくて、お父さんお母さん。コロコロすっ転んでたら、危なくてしょうがない&面倒でしょうがないから、橇に乗せちゃうんだな。

 

よそ、本州ではまず見掛けない光景で、見掛けるとほっこりする。かわいい。

 

歴史的建造物が数多く残るエリアを観光したりすると、いかにも写真撮ってね!という歴史的なビラビラドレスで闊歩する人を見掛けたりもする。

 

写真撮っていいですか?と声を掛けると、ニッコリ笑顔で快く撮影に応じてくれるけど、「もちろん!○○ドルor○○ユーロね!」とお金を取ることも忘れない。しっかりしてる。

 

しっかりしてるから心持ちガッカリしながら、まぁせやなと思いつつカメラに収め、これだったら声掛けなくてもよかったなと、出来上がった写真にまたガッカリしてる。

 

昔々の記録写真なんかを見ると、無防備に被写体となった人達の生活を晒しているけれど、ギブミーマネー文化が浸透する以前のものだから、素朴。

 

あらこんなの写真に撮るの?ってか写真なんて撮られるの、ハジメテヨーという恥じらいが全面に出ていて、その瞬間にしか撮れなかった奇跡の一枚っぽさがにじみ出ていて好き。

そもそも被写体じゃないから、撮って撮ってと承認欲求を剥き出しにしていない素朴さが、魅力なんだな。

 

映像の世紀』のようなドキュメンタリー、結構好きなんだけどおどろおどろしいテーマ曲はちょっと苦手。曲そのものはドラマチックでいいんだけど、あのテーマ曲が流れるとすべてが悲劇に見えるマジックで、なかには悲劇じゃないものもあるだろうにという気分になる。

 

同じ映像でもポップなテーマ曲と一緒に映し出されると、見る人の印象もポップで明るいものになるけれど、短調と一緒に映してことさら悲劇性を強調したい病の人、なぜかいるよね。そういう語り口そのものを、伝統芸として継承したいんすかね。

 

お休みなさーい。