クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

同じでも違う

同時代性は、盲信しないしできない。

 

例えば、それまでスルーされてきた誰かや何かの待遇改善に着手して実際に功があった人に対して、同時代にあって待遇改善の恩恵を十分以上に受けた側から非難するのは難しい。

 

待遇が改善されて、暮らし向きも劇的によくなったんだけどさ。あれはひどかったし、ないと思うの。という功績の陰にあった“ひどいこと”に対して、正面切って非難することもひどいことがあったんだということも、おおっぴらにする人はそうそういない。

 

おおっぴらにもできずさせず、隠しに入ってるのなら、すでに守りに入っているということ。

 

だから、すでに守りに入っているにも関らず、革新とか何とか何言ってんだか。という構図を見抜いてる人は、すでに守りに入ってる人の煽りには乗らない。気分が乗らないから。乗らないけれど、気分が乗らない理由はおおっぴらにはできないから、別の理由をつけたり言を左右にして誤魔化してやり過ごすもの。

 

花柳界という言葉が、まだ生きていた時代の頃。

 

勝ち気で売れっ子だった芸妓さんは、とある男性に苦労したんだね。。とその手を取られた途端にハラハラと涙を流したんだとか。そうか、勝ち気な女性は優しい言葉で労わればいいんだ。と、別の男性が同じように手をとって同じように優しい言葉をかけたところ、その芸妓さんは、何すんのさ!と怒るだけだった。

 

というエピソードを、800文字もあるかどうかの短いコラムの中で見掛け、苦労した女性の心さえ瞬時に解きほぐしてしまう「とある男性」は、本当によくモテた人だったんだと思ってた。

 

後年その「とある男性」の顔写真を見掛けるまでは、脳内イメージは白皙の優男。優し気で、品があるタイプのハンサムさん。ところが実際の写真では、見ようによってはハンサムといえなくもない感じで、モテモテだったとはとても思えなかった。ついでに、「とある男性」自身の名前で書かれていたエッセイ集も、自身がモテることを前提で書かれていて、どっちかっていうまでもなく感じの悪いエピソードが多かった。

 

なんでこんな人がモテたのか???

 

800文字もあるかどうかの短いエピソードは、短いだけにやっぱり大事なことが抜け落ちている。勝ち気な芸妓さんでさえ瞬時に心を開いたとある男性は、その時点で売れっ子の人気作家で、母親は後年朝ドラの主人公にもなった働く女性の先駆けみたいな人。その顧客には、上流や名流のご婦人を抱えていた。

 

日々さまざまな職業の男性と接する機会のあった勝ち気な芸妓さんがもし、“私はこんなところで終わるような女じゃない、もっとビッグになってやる!!!”と、上昇志向が異様に強い女性だとしたら、モテ男性のモテエピソードにも、また別の見方が生まれる。

 

勝ち気で上昇志向の強い女性が、ここぞという時にこれぞと思う男性の前でだけ、計算づくでハラハラと涙を流して男性の心を掴みに行ってたとしたら、これぞとも何とも思わない男性の前でとの態度の違いにも納得がいく。

 

働く女性の先駆けで、名流や上流とのつながりもあるその時点ですでに有名な職業婦人を親に持った男性なんて、上昇志向の強い女性にとっては是非ともお近づきになりたいカモじゃん。

 

ちんまりとどこかの家庭におさまるよりも、芸妓を脱出し「新しい女性」として自身も職業婦人の仲間入りに何とかなりたいと思っていたら、計算づくでここぞという場所で涙を流すくらい、何でもないと思う。

 

同性は同性をよく観察してるから、本当にただ瞬時に心を持っていかれただけなのか。それとも実は、もっと別の望みを持っていたのかにもきっと敏感。敏感だから、男性視点よりも、同性かつ同業の目から見た勝ち気で売れっ子の芸妓さんが本当はどういう人だったのか、その意見も聞いてみたいところ。

 

800文字あるかどうかの短い、ただ男性がモテたことを印象付けるためのエピソードでは、そんなことまでわかんないんだけど。

 

でもまぁ、ウーマンリブが盛んな時代にあって、ウーマンリブに燃えてる人たちが是非とも神輿に担ぎたいと思いそうな側にいる相手に連なる人物に対しては、そう滅多なことは言えなかったことだけは、間違いないと思うの。袋叩きが待ってそうじゃん?

 

同時代性は、盲信しないしできない。

 

ただ好きで集まった集団が好ましいと思う人物や何かが、好悪を超えたもっと広義の集団の中では時として評判が悪くなる。その根っこにはきっと、同時代性に対する濃淡があるに違いないと思ってる。

 

心の底からその境遇に同情してその手を取った女性が実は、手を取ってくれた人自身には興味も関心もなく、そのバックグラウンドにだけ興味と感心があったら百年の恋も一瞬で醒める。

 

互いに欲得づくでよりよき社会のため、社会改良のためだと納得済みだと、狐と狸のばかしあいでお似合いの二人になれるけれど、どちらかが不実でどちらかには欲も得もなかったら、すれ違って悲劇になる。