クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

こだわるのは性差か長幼か

昨日は本州より暑かったらしい北海道だけど、しょせん北国なので夜になると気温は急降下。夜間はやっぱり上着がないと寒かった。本日も家中を磨き上げたくなるようなスバラシイお天気で、じっとしているのがもったいない。

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 (北国なので、場所によってはいまだにタンポポが咲き乱れている)

寝る前に読んでいたエッセイのなかで、たいへん虫の居所が悪かった時に、ホテルの重たいドアを開けてくれた紳士たちのおかげで笑顔を取り戻せたというエピソードがあった。

 

ホテルのドアつながりで思い出したのは、某外国での出来事。そこのホテルのドアもやっぱり相当重量級で、よっこらせと力を入れないと開け閉めが困難だった。後ろからやってくるのがお爺さんだったので、よっこらせとドアを開け「どうぞ、お先に」と笑顔で先を譲ったら、大変困惑された。

 

体格がよく、ヴァイキングの末裔のようなお爺さんは、「女性のためにドアを開けるのは本来我々がやることで、そういうことを女性にされると大変困ってしまう(embarrassing)んだ」と言いながらドアを押さえにかかり、先に行きなさいと逆に笑顔で促された。

 

日本よりも男女同権意識や共同意識がはるかに進んだ国なのに、根強く残るレディーファースト意識に驚いたのでよく覚えている。レディーファースト > 敬老精神なんだな、と。

 

性差にこだわりがあるのが西洋で、長幼にこだわりがあるのが東洋と思えばなんとなく納得もする。世代によっても異なる可能性は大いにあるけれど。

 

日本、特に地方だったら、女性がお爺さんのためにドアを開けたり席を譲ったりしても、そんなに遠慮はされない。いくつになっても現役気分でエネルギッシュな年寄りが多い、東京圏のことはわからないけど。いくつまで相手に異性を感じるかどうか問題にもつながっていて、いくつになっても異性にモテたい人が集まる街では、必然的に年を取っても洗練された振る舞いを身に着けやすくなるのかも。

 

ヨーロッパの歴史ある街、パリとかウィーンとかローマとかでは、カッコイイお爺さんをたくさん見掛ける。その辺を歩いていたり、カフェで一服していたり。滅多やたらとカッコいいお爺さんのカッコよさの源泉には異性の目があり、いくつになっても異性として見られたいから、カッコいいのかな、と。

 

歴史ある街では、街の構成員の平均年齢も高くなりがちだけど、平均年齢が高いからといって、どんよりや枯れ枯れな空気が漂っているわけでもない。長幼の精神よりも、異性として見られたいからと他人の目を反面教師にするお年寄りがたくさんいる街は、そんなにイヤなものでもないような気がする。

 

お金があればカッコいい服は手に入るけど、カッコイイ服を着ているからといって洗練されるわけでもない。周囲を見回す余裕のある人なら、カッコよさにも近づきやすい。

 

よい週末を~