物の売り方・買い方が変わったら世の中変わる。それが最近気になってることなので、『広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい』について、今日もしつこく書いてみる。
(1)「たくさんの人に見てもらえるほどよい」は本当か?
(2)なぜ、人は「動く」のか?
(3)「人を動かす」ことをあきらめない
上記3パート+あとがき2つからなる本書についての感想を書いたら、飲食店を経営されているid:kasa1121さんからコメントをいただいた。
これ、まさに(1)と(2)に関連してるなと思った。
かけた広告費が売り上げに結びついてないんだから、「たくさんの人に見てもらえるほどよい」にあてはまってない。
広告出稿のかわりに向こうから来た「取材」で取り上げられた方が、売り上げが伸びたのは、なぜ人は「動く」のか?の説明になりそう。
本文中に、「背後にプロの思惑がすけて見えた瞬間、興ざめしちゃう」あるいは「イマドキのユーザーは、企業が金儲けのために仕掛けたものに乗ってやるものかという意地みたいなものがある」ともあった。
完全にユーザー主導なんだよね。id:cijisichoさんからもらったコメントでも指摘されてた通り。
とてもよく分かります。
ボクら消費者側も、こんな商品が欲しい!!とか、こんなのがあったら便利だなぁ、という願望みたいのがないんですよね。もう出尽くしたというか。
だから売り手側が、こんな商品どうでしょう?とか、サービスを提供する様になっちゃった。
それに興味がなかったら、ふーん、で終わるんですよね。
同じ手法が通じなくなったということは、ちょっとずつ世間の価値観が変わってる事を象徴してるんだと思います。
ニーズもないから、広告の言葉が弱くなってる。。
取材で取り上げられた方が売り上げが伸びたのは、「良かったよー」というピュアな感想がユーザーに届いたから。なら行ってみますかねーというアクションに結びついたから、だよね。
昨日も書いたけど、「シャープ・パナソニック・ソニーの凋落を、広告人や広告会社はもっと恥じるべきじゃないかな」が、この本を読んでとても印象に残ってる。そういやソニーはついにJPX日経400の構成銘柄からも外れちゃったね。
「好意のミーム」という表現が好きなんだけど、自分のお金が誰を豊かにするのか。何となく気配で感じていて、どうも世の中を良くするわけではなさそうじゃないかと判断したものには見向きもしない。
面白そう、楽しそう、いいんじゃない。そう思ったらあっさり行動に移す。ユーザー主導のアンコントローラブルな世界で起きてるのは、感情>論理。そういうことなんだと。
ただ、いいねという「ピュア」な気持ちでひっぱれるのは、せいぜい1000人くらいらしい。
1000人を1万人、1万人を10万に、10万人を100万人へ。
動く人数が増えればふえるほど、「ピュアな気持ちのいいね」は薄くなっていく。「いいね」ばかりじゃなくて、「何言ってんだ」のアンチも出てきて、どっちでもないけど「とりあえず」も増えていく。
コントロールできる状態からアンコントローラブルな状態に持って行くのがまず大変。「何言ってんだ」コールの嵐でコントロールしておけば、ハンドリング可能だから。
どちらの方が世の中をより良くするのか。あるいは自分が生きやすいのか。その辺様子見の人が多いから、結局「ふーん」で済ませてしまう。
「ふーん」で済まなかったものには、もうちょっと前のめりでいいかも。
お休みなさーい。