クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

補助線と調理バナナ

強い言葉を使うと逆に弱く見えるのは、いくら強い言葉を使って俺・私たちは強いんだぞ~、怒らしたら怖いんだぞ~、べろべろばぁ。

 

と強がってみせたところで、あんたら強者に見捨てられたらおしまいやん。というのが透けて見えた時。何かの威を借りての虚勢だというのが、すっかりばれてたら逆効果。

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調理バナナ。

調理バナナ。変わったものを見つけると、つい買ってしまう。

 

変わった食材だけど、変わったレシピは特に思いつけないので、カレーに入れてみる。ザクザク雑に切って、放り込んだだけ。どこかのカレー伝道師に忖度したわけでは、まったくない。フリッターにすることもちょっと考えたけど、揚げ物は華麗にスルー。

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食感はジャガイモみたいにホクホク。味はやっぱりバナナ。甘みは少なく、噛むほどにあぁバナナだねというお馴染みの味が広がっていく。リピはなし。

 

酢豚にパイナップルは許容できるけれど、ポテトサラダの缶詰ミカンは許容できないタイプ。許せる許せないの違いは、きっと酸味にある。トロピカルで酸味があるものはOK。トロピカルでも酸味が感じられないと、NG。

 

という実体験を通じて、合う合わないというデータが積み上がっていく。

 

ある特定個人Aを、数年ではなく10年以上というロングスパンで観測し、その嗜好や好み、どのような本や映画その他のフィクション・ノンフィクションをインプットとして取り込んで来たか。逆に、決して近寄らない領域や嫌ってるものは何か。

 

手許に膨大なデータがすでに積み上がっていたら、その人物を高ストレス環境にわざと置いて、究極の選択を迫ったときにどう反応するか。もうね、山ほどデータを持ってる人ならすっかり承知してるに決まってる。

 

東インド会社というグローバル企業の走りのような会社は、世界がひとつになったら意味をなくし、その活動を終えたんだってさ。

 

今は西欧先進国が中心でも各国の政府が志を同じくして、あれは要らんとひとつになろうとするのは、お払い箱にしたい何かがあるから。なのかもね、かもかも。

 

オーストリアで極右政権誕生のニュースに、衝動買いした『アドルフに告ぐ』最終巻。今さら全巻読破するのはダルイから、最終的にどうなったのか結末だけをおさらい。

 

アドルフ・カウフマンという日独ハーフの男性が主人公。舞台は第二次大戦下のドイツおよび日本で、ナチスに傾倒し、忠誠を誓ったいわば戦争の加害者を主人公にしている。

 

少年の成長物語といえば清く正しく強くなるのが王道だけど、『アドルフに告ぐ』は、清くも正しくもなく、けれど強くだけはなった青年を描いてる。しかもナチスの威を借りてのことだから、単なる悪ガキより質が悪い。とはいえ繊細かつ神経質な面もあって、生いたちと環境のせいもあるけど、それなりに複雑で奥行きもある人物。

 

アドルフ・カウフマンの横暴かつ非人道的な性格を強調するように、親友には好人物のアドルフ・カミルを配してる。こっちのアドルフはユダヤ人で、ユダヤ人だけど、二人はある時点までは親友だった。

 

アドルフ・カウフマンは、高慢でイヤな奴ではあるけれど、同時に母親や歪んではいるけど自分が気に入った相手に対する愛はそれなりに深く、その愛情の深さが仇となって、時として彼を不合理な行動に駆り立てる。

 

この物語のとっても秀逸なところは、戦後を用意しているところ。

 

第二次大戦が終わり、ナチスとして大いなる加害者だったアドルフ・カウフマンは、戦後は曲折を経てパレスチナゲリラとして生きていた。

 

ナチスが敗北し、価値観が逆転した西欧社会で生きるより、非文明的であってもパレスチナの方が生きやすかったのか。妻と娘も得てそれなりに安定した生活は、やっぱりそう長くは続かない。

 

パレスチナゲリラとして生きるアドルフ・カウフマンの前に、イスラエル兵となったアドルフ・カミルが現れ、彼らイスラエル兵によってアドルフ・カウフマンの妻と娘は殺されてしまう。

 

はい、ここで、ナチスとして大いなる加害者であったアドルフ・カウフマンは、イスラエル兵(=ユダヤ人)に愛する家族を殺されてしまうという、大いなる被害者へと立場を変える。

 

被害者と加害者が立場を入れ替わるという「補助線」が引かれることで、単純な二項対立で語ることのできない世界が出現する。

 

ユダヤが悪いと言い募れば、あんたたちナチスユダヤに一体何してきたんだと返される世界で、妻子を殺され生きる望みを失ったアドルフ・カウフマンは、アドルフ・カミルへの復讐に執念を燃やす。

 

やられたらやり返すを、何回繰り返せば気が済むの???を地で行くように、アドルフ・カミルにはアドルフ・カウフマンをこっぴどい目に遭わすじゅうぶんな理由もあるんだけど。でもさ。

 

被害者と加害者と。立ち位置が変わる争いを繰り返すだけだったらいつまでたっても、紛争は終わらない。

 

アドルフ・カウフマンは一身で二生を生きた人だけど、三回目の生を見つけるには、あまりにも遠くて過酷だったから、個人的復讐に生きることにした。

 

そんじゃあ三回目、四回目行っとくわと、簡単にリセット繰り返せるゲームじゃないでしょ、リアルな世界は。

 

アドルフ・カウフマンはフィクション上の人物で、もう後がないからやることも滅茶苦茶。アドルフ・カミル出てこいやと戦場で一対一の決闘を望むんだけど、そんな呼び出し、無視すりゃいいんだよね、ほんとは。

 

でも『アドルフに告ぐ』はフィクションで、最後にはエンドマークつけなきゃならないので、戦場に出てきちゃうんだな。

 

お前が悪いに応えてノコノコ出てきて殺し合いしたら、そこにはもう共存の余地なんてない。

 

アドルフに告ぐ』から半世紀以上たった現在は、もっと世界は複雑。双方が被害者で加害者なら、そのどちらを生かすのかについて、さらに複数の補助線が引かれる。

 

わかりやすく解きほぐしやすい問題なんて、もう残されてない世界で、解決までの道筋をどうつけるのか。補助線を引いて敢えて単純化し、二項対立を繰り返す世界は、ツルハシを売るビジネスだけが儲かるだけで問題の解決からは遠ざかるだけ。という悪寒がするので、あったかい飲み物飲んでから寝ましょ。

 

お休みなさーい。

サンタクロースは大忙し

  • 第四次安倍政権の閣僚資産公開、資産億越えは5人のみ
  • NASAGoogleのAIを使って太陽系外の惑星を新たに発見
  • オーストリアで与党国民党が極右政党自由党と連立。世界でもっとも若い首相誕生&極右政党が政権入りへ

パナマ文書にパラダイスペーパーでは、景気のいい数字が踊っていたからこそ、公開する方だって躊躇しなかった。それだけしか資産がないんだったら普通の人じゃん。。という人たちの資産をほじくり回すのは、趣味が悪いわな。

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今年一年を振り返って思うのは、自分のフトコロとはちっっっっっっとも縁がないけれど、目にする数字がやたらと景気良かったこと。新規上場時の時価総額、あるいは新規調達額や、新規の設備投資額など、ゼロの桁がインフレ起こしてね?と思うくらい、景気よかった。

 

そこで思い出すのは、バブルを経験したとある古老の述懐。

 

「バブルで空前絶後に膨れ上がった地方の予算、再開発にともなう用地買収と用地移転でみーんな消えてしまったんや」

 

バブルで潤沢になった国、あるいは地方公共団体の予算が、結局は特定個人のフトコロを潤しておしまい♪ だったんだってさ。今回も同じ轍を踏むようだったら、さすがにどうかと思うわな。

 

暴力から生まれたものは、暴力に還っていく。

 

ウロ覚えだけど昔読んだ小説『光』に、そんな内容を述べた一節があり、深く納得したので覚えてる。暴力、つまり腕っぷしでのし上がってきた者は、行き詰ったら簡単に暴力に訴える。あるいは行き詰まらなくても、その方が簡単だったら、暴力という手段を行使する。

 

だから暴力的傾向のある人間は、システム的に暴力がふるえない場所、あるいは暴力に訴えようとしても効果のない場所に置くのが、最大多数の幸福のため。なんだけど。

 

数の暴力に対して、いったい何で対抗するのがもっとも平和的解決なのか。悩むやね。

 

Googleさんに「サンタクロースっているんでしょうか?」と聞いてみても、今のところはちゃんと、質問した少女が新聞社に出した手紙と、新聞社が少女の質問に答えた社説にたどり着くことができてにっこりできる。

 

思いやりや親切な気持ちが目に見えないからといって、この世に思いやりや親切が存在しないとは言えない。同じくサンタさんも目に見えないからといって、サンタさんがいないとは言えない論法は、優しい詭弁とも言えて好き。

 

ところで現代ではこの季節になると、積極的に見えないはずの存在になろうとする人がたくさんいて、サンタコスのサンタさんが大挙して街に現れる。特にクリスチャンの国あたりでは。

 

サンタコスでもサンタクロースとして振る舞うのなら、もうサンタさんでいいじゃない。

 

ちびっこがサンタしゃーん♪と言いながら寄ってく姿は、高価な贈り物よりはるかに大きな贈り物を、見てるだけの人にも届けてる。ついでにインスタ映えもする。

 

誰かを喜ばすこと、うれしい楽しい気持ちにさせることは意外と難しくて、難しいことをしてる、あるいはしようとしてる人は、季節限定でも職にありつける。

 

うれしい楽しい気持ちを届けようとする人たちのもとに、景気よくディズニーがお金払ったのを見たばかり。どっちがお金になる方なのか。これ以上ないほど、はっきりしてるやね。お金になる方をどうしても選べない人は、選べないなりの道を行くしかない。

 

システム的に暴力をふるうことができない場所に行った人は、もう暴力とは決別した。ってことでもあるんでしょ。

 

お休みなさーい。

軽い方へ

  • 米ディズニー社が21世紀フォックス社の映画・テレビ部門を買収
  • アメリカで「ネットの中立性」の原則撤廃される
  • ドライブスルーを備えた葬儀場が、長野でオープンへ

21世紀フォックスの傘下に20世紀フォックスがあり、21世紀フォックスが誕生したのは2013年とまだ日が浅かった。ナショジオもディズニー傘下入り。お子様に安心して見せられるコンテンツを揃えて有料の壁で覆ってしまえば、低きに合わせる必要もなくなってひと安心やね。

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家事のながら視聴のおともに、『ラプンツェル あたらしい冒険』を見る。見たのはAmazonプライムだけど、そのうちAmazonからディズニーコンテンツが引き上げられる日が来るかと思うと、不便だね。

 

映画館まで足を運びはしないけれど、それでも見たくなるのがこの手の作品。お気楽でテキトーに流せるストーリー展開かつミュージカル要素もあるから、家事のお供にぴったり。

 

テキトーに流し見するのがもったいないほど、ストーリーもキャラも完成度が高く、そのうえおとぎ話の延長線上にあるから、過激な表現もないのがいいところ。映画やフィクションを見るたびに、感情を大きくぶん回されてたらたまんないでしょ。

 

平常心で流し見できる、薄―いものでちょうどいい時もある。

 

おとぎ話の延長線上にあるとはいえ、最近のお姫様ものはお姫様の定石を大きく踏み外すものが主流。ラプンツェルも、靴さえ履いてない裸足のプリンセス。

 

そして王子様とお姫様は仲良く暮らしましたとさ。

 

では終わらせないのも近頃の傾向で、そもそもラプンツェルの相手であるユージーンも、王子様じゃない。

 

ラプンツェルといえばあの長ーい髪の毛が特徴で、『ラプンツェル あたらしい冒険』でも、髪の毛が大活躍。このあたりの動きはさすがのディズニ―アニメで、実写でやると嘘くさくなることもアニメだと自然に見える。

 

ついでに大事なポイントは、どのシーンもとっても明るい。ポジティブ。

 

そりゃよからぬ悪だくみをする連中が出てきたり、やや苦悩する王様が出てきたりもするけれど、作品の90%以上はポジティブ要素で出来上がっている。

 

明るくて楽しくてイヤミのない作品を作る方が、どう考えても難しくて、難しいから賢い人にしかできない。

 

他人をこき下ろして取る笑いは下品で、イヤミ。他人を下げてしか取れない笑いは芸のない人がすることで、ちゃんとした芸を持ってる人は、そんなことまでして笑いを取りにいったりしない。

 

明るくて楽しくてイヤミのない作品は、時としてとっても軽いんだけど、その軽さはきっとさまざまにしばりつけてくる重力から自由だから。自由だから軽い。

 

その逆に、いろんなものにしばられてる作品は重い。してはいけない縛りもあれば、これもあれも盛りこまなきゃ縛りもあって、とにかく自由じゃないから重い。

 

たまには重いものとじっくり向き合うのもいいけれど、ながらや暇つぶしなら、軽い方が向いている。

 

こんなことが許されていいんでしょうか!?と365日やってる人は、どう考えても重い&鬱陶しいから、敬して遠ざけるくらいでちょうどいいやね。

お休みなさーい。

氷より冷たい

トーゴーサンといえば、税の捕捉率を表すワード。サラリーマン10割自営業5割、農林水産業3割という捕捉率からは、税金が取りやすいのはどこかが丸わかり。給与所得者が狙い撃ちだけど、そろそろマイナンバーと銀行口座が紐ついて、給与所得並みの権利収入がある人も、狙い撃ちして欲しい頃。

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懐かしい名前を見かけたので、昔話。

 

リレハンメルオリンピックが行われたのは、1994年。今大学生くらいの若人だったら、まだ生まれてもいない頃。女子フィギュアスケートでメダル候補だったナンシー・ケリガンが、何者かに殴られるという事件があり、同じくメダル候補でライバル視されていたトーニャ・ハーディングに疑惑の目が向けられた。

 

お嬢様育ちのケリガンに対して、経済的には恵まれない境遇だったハーディング。

 

ケリガンを襲ったのは、本当にハーディングだったのかという全米あるいは世界から好奇の視線が集まるなか始まったのが、リレハンメルオリンピック

 

ところが猫とネズミが喧嘩するなか、トンビに油揚げで金メダルをかっさらったのは、オクサナ・バイウルというウクライナ出身の少女。という顛末がとっても好き。

 

しかもこのオクサナ・バイウルは、育ちの悪さがウリだったハーディングよりもさらに“可哀そう”な生い立ちで、ソ連邦崩壊後の旧共産圏出身者で孤児だった。

 

そして、トンビに油揚げで金メダルを手にしたバイウルも、その後アメリカに移住して薬物だったか何かに溺れ、矯正施設入りしたという、雉も鳴かずば撃たれまいという顛末が待っていて、いかにも劇場型事件らしくて後味の悪さだけが際立っている。

 

フィギュアスケートといえば、優美だったり華麗な滑りをステキね~とうっとりして眺めるもの。そのフィギュアが、もっとも下世話でゴシップにまみれた、史上最悪の事件だった。

 

なぜそこまで醜悪な事件となったのかと考えると、フィギュアスケートが興行として大金を稼げるようになったからで、興行が競技を歪めた最初期の例なのかもしれない。

 

彼ら彼女たちには、アスリートとして選手生命をまっとうした後も、アイスショーという興行が待っている。興行だから、下世話でもなんでも名前で客を呼べる選手になれると、重宝されたのかも。

 

俺たちフィギュアスケーター』というB級コメディは、競技として真剣にフィギュアに取り組んでる人からみると、ちょっとどうなのよという面もあるけど面白い。

 

ナンシー・ケリガンも端役で出てくる。一方オクサナ・バイウルは、映画という興行に協力しなかったせいか、氷より冷たい女とひどい扱い。

 

さらに言えば、ケリガンを差し置いてバイウルが金メダルを獲ったせいで、ケリガンの影も薄くなったから興行という面から考えると、お前が金メダルなんか獲るから、予定狂っちまったじゃねぇか。と、タチの悪いB級映画プロデューサーが、文句垂れてるようにも見える。

 

競技の向上や、進歩といった面とはまったく関係のない、カネカネカネの人間が絡んでくるのが興行の世界。

 

興行の世界の暗黒面を、ちょっとでも覗いたことのある大人は、決して興業の世界に自分の大事な子供は関係させない。ステージママということばがあるけれど、積極的に自分の子供を興行という世界に関係させようとする親とは、まったく違う考え方をする。

 

まったく違う考え方をする人間同士が、ひょっこり鉢合わせするネットは、だからおっかない。何をやってきたのか。誤魔化そうとしても、過去だけは誤魔化せない。

 

ケリガン殴打事件で有罪となったハーディングは、その後プロレスに転向して次は彼女の映画が作られるとか。興行の世界から足を洗うのはそう簡単じゃないみたいで、一生オモチャにされる。だからこそやっぱり興行とは、安易にかかわらないに限るわな。

 

お休みなさーい。

陣取り合戦

陣取り合戦で、そこ取られたらマズイわー、一気に形勢逆転されかねないというポジションを取ったから、補選の結果であっても海外にまで配信される。難攻不落と思われていた砦も、内部から瓦解したらそりゃ攻めやすいやね。

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自分の子供には使って欲しくないサービスがあったら、親がしゃしゃり出て子供が使っても楽しくないように仕向けるくらいは、やる人はやる。使って欲しくない理由ナンバーワンは、自分が経験したようなしなくてもいい苦労や、のぞいて欲しくない世界からは切り離したいため。

 

暇をつぶすツールがネットにはあふれてるけど、暇つぶしには“思想”が潜り込む危険性も多いにあって、危なさがよく見えるのは大人の方。だから、大人がしゃしゃり出てくるんでしょ。

 

誰でも参加できるけど、そこはもともとはナレッジコミュニケーションの場。コミュニケーションからナレッジが抜け落ちたら、どんな風に看板架け替えるのかは知らね。

 

嫌いだけど義務になっていて、義務を果たさない限り次には進めないのなら、嫌いな人ほど上達が早い。ちっとも上達しない人がいるのなら、それは現状に満足しているからです。

 

ネットで今いちばん厄介なのは、繋がらなくてもいい、繋がるはずのない者同士が繋がってしまうこと。数を必要とする人たちは頭数さえ揃えばよく、頭数に口数はなくていいから、死人に口なしで物言わぬ方が何かと都合がいい。

 

人を数としか見れない。あるいは手足としか見れないのなら、それはもう末期。

 

その人の頭の中に詰まっているのは、今日一日をどう生き延るかとか、刹那なものでいっぱいで、知識なんてものは入り込む余地もない。知識は本来余裕ある人のものだから、教育も高価だった。知識の悪用に対して、これからの教育がどう対処するのかは、わかんね。

 

毎日それなりにニュースが流れてくるけれど、興味関心で分断されたら、ひとつの話題で大いに盛り上がることは難しくなる。報道するネタそのものがなくなれば、報道する方はあがったり。

 

難攻不落と思われていた砦も、内部から瓦解したらそりゃ脆くもなるさ。

 

幼年期を終えた人はすみやかに次のステップ、自分は何者なのかを証明できる場所に、行くがいいやね。そういや毛虫は、前にしか進めないんだってさ。後退できない造りになってるんだとか。なるほど。

 

お休みなさーい。

優しい嘘

子供の頃から真面目に修行してきたまたは後継ぎとして鍛えられてきたお坊さんは、字が綺麗。という思い込みをひっくり返したのが、卒塔婆プリンター。プリンターで印字もできるからこそ、達筆に価値がある。と、付加価値にできるのはスペック比較が容易になってから。

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ブランドで選ばない人はスペックで選ぶから、まずはスペックの違いがわかりやすく一覧にでもなっていないと、選べない。まったく新しいものは、そもそも何を基準に選べばいいのかわからないから、ついブランドに頼ってしまう。

 

だから選ぶ時の基準やポイントについても、最初に解釈垂らしてくれると選びやすくなって、わかりやすい。

 

もういくつ寝るとクリスマスでお正月だから、年賀状と、クリスマスと年末年始の食料計画が、喫緊の課題で最重要事項さ。断捨離はちょっと休憩。お正月シーズンになると、とりあえず買っちゃう料理本。器の使い方に、手抜きの仕方。3人以上寄って集めた知恵が、たいそうお役立ち。

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今の季節だと場合によってはコンビニでも手に入る、数の子入りポテトサラダ。意外な組み合わせがめちゃウマだった。

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本家のレシピは、彩りににんじんや絹さやを添えて、もっとカラフルで華やか。あんまり呑みにも行かないから、この手のナルホドレシピは、自分では思いつけない。

 

人の“好き”を奪ってもヘーキな人は、自らの“好き”を奪われてきたか、そもそも好きなものを持たないかわからない人。あなたはこの道を行きなさいと、強固に敷かれたレールをただ真っ直ぐに全速力で走ってきたら、そりゃ自分で選ぶ力は失われるわな。

 

ロマンチックな気分に浸りたかったので、ウォッチリストに入れっぱなしだった『ロング・エンゲージメント』を見た。『アメリ』のオドレイ・トトゥ主演。

 

第一次世界大戦中のフランスが舞台。婚約者マネクの戦死が信じられないマチルドは、マネクの戦友を訪ね、事情を知る人を探そうとする。

 

“彼に何かあったら、きっと私にはわかる“という、根拠なき自信をベースに、不自由な足で調査に乗り出すヒロイン。とってもロマンチックそうと思うじゃん?ところが、なんだか様子が違うんだな。

 

お涙頂戴要素は少なくて、もちっと理詰め。大河ロマンスというより、安楽椅子探偵ものと思えばしっくりくる。

 

戦場シーン多めで、戦闘で傷つく兵士も多数登場し、なのに『アメリ』みたいにどこかふんわりぼんやりした撮り方で、戦争のグロテスクな面を多数映し出す。

 

歳はくったけどやっぱり今でも可憐なオドレイ・トトゥや、グロテスクなシーンに誤魔化されるけど、ミステリーに親しんでる人ならきっと、わりとすぐにマネクの死の真相にはたどりつけそう。

 

むしろ、マネクの死の真相がわりとありふれたものだから、ありふれたネタを覆い隠すために、それ以外のものに目が向くようになっている。ヒロインの可憐さだとか、戦争のグロテクスさとかに。

 

この映画の主役は実は、ソンムの戦いなんじゃないの。とさえ思ったね。

 

マチルドの婚約者マネクが居たのは、第一次世界大戦でも激戦地として知られるソンム。

 

持ってる山川の世界史用語集(古い)から引用すると、

北フランスのソンム河畔でのドイツ軍に対する連合国側の大攻勢。イギリス軍に初めて戦車が登場。死傷者は連合軍90万、ドイツ軍60万、勝敗決せずに終わる

 となっていた。ひでぇ。死者多数を出して、勝敗決せずに終わるとか何それ( ゚д゚)。最新型の大量殺戮兵器を、投入までしてるのにさ。毒ガスが登場したのも、第一次世界大戦じゃなかったっけ。

 

ひどい戦場といえばソンムで、ソンムといえばひどい戦場の代名詞。という豆知識を、映像の世紀好きなもの好き以外にも知ってもらおうとすれば、こうなった。と、思えるほど無駄に戦場シーンがむごくて、むごいのに滑稽で、滑稽だからさらに悲惨さが増している。

 

ラストシーンでは、あらステキとにっこりできるけれど、ここまで悲惨な戦場からどうして婚約者が生還すると思えるのか。ヒロイン能天気過ぎ。

 

あるいは、生きてると思って調査を続けることが彼女にとっての希望だったのか。事実ではなく真実を必要とする人を、温かい目で描いてた。事実ではなく真実を必要とする人向けだから、映像も作り込まれていてファンタジック。

 

これが本当だったら、どれほど多くの人が救われたことか。

 

死者は還ってこないという事実がすぐそばにあった時代には、残酷過ぎるから見せられなかった物語。なのかもしれない。優しい嘘は、嘘が嘘とすぐにばれる時代には、かえって人を傷つける。

お休みなさーい。

レシーバー

金融派生商品取引所で、しかも先物取引ときたら、リスク高めの危ない奴やーんと、脳内でアラートが鳴りまくる。企業が上場記念に鐘を鳴らしてる市場とは、またちょっと違う。けど、上場ときくと、まずは脳内に思い浮かぶのは、そっちよな。

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同じような商品を扱ってはいても、上場と非上場では、受ける印象はずいぶん違うわな。金融商品が上場までこぎつけるのも、それはそれで大変そうなんだけどさ。新しい商品でも使う人の常識が古いままだと、古い常識に従っていっちゃん儲かりそうな使い方されるもんなんだな、と。

 

受像機を英語に変換すると、てっきりモニターになると思ったのに、レシーバーと出てきて当てが外れた。あら、そっち?

 

レシーバーという語に違和感を覚えるのは、一般的にイメージするレシーバーだと、どう考えても画像のやり取りはできそうにないから。画像のやり取りをするなら、やっぱりモニターの方がぴったりくる。

 

モニターといえば、商品やサービスを試してみて意見を述べる人も、そういやモニターと呼んでたね。近頃は、試しもせずにコピー&ペーストで意見を述べる人もいるけどさ。

 

いい面も悪い面も、試してみないと本当にはわからない。

 

だから、試したうえでいい面と悪い面の両方を、正直に伝えてる人は貴重。悪い面を淡々とお伝えしたところで、悪い面を見たくない人の目にも耳にも届きゃしないから、そういう時こそヒールが活躍するんでしょ。と、理屈ではわかっちゃいるけどさ。

 

伝えたいことを過不足なく伝えてくれるから、鮮明な映像を受信する受像機、モニターが重宝されるんでしょ。

 

ビットコインに手を出すんだったら、サトシナカモトの名前を聞いてすぐ、最初期の頃に手を出すべきだった。最初期のルールならシンプルで、シンプルな設計がどんどん複雑化していく過程を、つぶさにモニターできたから。

 

通貨、マネーの世界もリアルと仮想の融合が進み、仮想だからリアルだからと分けて考える段階は、今のビットコインはもう過ぎちゃったのかも。

 

行き場のない巨額のリアルマネーが、出口を求めて一箇所に集中したらリアル経済はクラッシュする。ってか、クラッシュした。

 

今のビットコインも、仮想通貨とはいえ一度に大量の換金売りが出たら、まずはサーキットブレーカーが敏感に反応してシステムがクラッシュして、悪条件が重なったらリアル経済まで巻き込んでクラッシュしそう。

 

リアル経済がクラッシュしたら困るからの、投機マネーで仮想通貨。と、いう目で最初は(でもないけど)見てたんだけど。

 

そこは仮想で、リアルマネーを縛るような法もない無法地帯なら、仮想マネーがクラッシュして現実問題として金銭的損害が発生しても、リアルとはカンケーなし!で、済むのか済ませるのかどうなのか。その一点にだけ、興味がある。

 

お休みなさーい。