クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

結界の内側

21世紀でデジタル化が加速する現代では、ラテン語を学んだところで実用的な使い道はあんまりなさげ。ラテン語を学んだ成果が期待できる分野といえば、学究方面に限られる。

 

ところがラテン語は、フランス語やイタリア語あるいはスペイン語(だからポルトガル語含む)のベースにもなっていて、ラテン語を語源とする単語がそれらのどの言語にもふんだんに存在する。らしい。

 

語源が同じだから、フランス語とイタリア語であってもだいたい一緒。類推がきく。日本語の標準語における方言のようなもので、高級言語であるラテン語から派生して、複数の日常的に使われる言語が生まれたような関係性と似たようなものと思ってる。

 

同根だから、イタリア語しかあるいはフランス語しか話せない人でも、フランス語やイタリア語を理解することは容易で、習熟するのもそれだけ早い。

 

デジタルファーストで、話し言葉や書き言葉よりもデジタルな言葉、例えばプログラム言語が書き言葉や話し言葉の上位に来る世界でも、興味のない人は知らないだけで、ラテン語のような存在があるのかもしれないと思うとちょっと面白い。まったく実用的ではないけれど、複数の言語の相互理解に役立つ高級言語。そんな位置付け。

 

法律の体系やあるいは商取引の体系には、大雑把にいえば二つあった。旧大陸系と新大陸系と考えればわかりやすく、欧州系と英米系やあるいは米国方式。デジタル化が進んでいるのは誰がどう見てもアメリカの方で、デジタルの世界、体系では圧倒的に新大陸系に馴染んでいる。

 

GoogleAmazonAppleの端末やついでにFBと、日々新大陸系のデジタルツールやサービスに触らない日の方が珍しいくらいだから、圧倒的に馴染んでる。

 

法律や商取引の体系は、旧大陸方式に馴染んでいた歴史の方が長いけれど、欧州とアメリカと。どちらの経済規模が大きいかと考えると、新大陸。古い旧大陸のままでは経済規模にまさる新大陸に太刀打ちできないから、旧大陸系の国、EUに加盟する国は増えたけど。

 

法律や商取引の体系にはそもそも二つあって、処理方法が若干違うから、どちらの体系に従うかで時には混乱し、混乱がたまには裁判沙汰になっていた。デジタルの世界、体系でも新旧二つの体系を残したまま、デジタル以前と同じように問題が発生した場合には裁判で争って解決するのか。それともそもそも体系が異なるから逐次問題が発生するなら、新旧が融合したひとつの体系にまとまろうとするのか、どっちなんでしょ。

 

サイバーセキュリティといった場合、何をどうやって守るのか。具体的なやり方についてはまったく無知だから、イメージするのは結界。結界の内側なら安心というイメージは、そもそも結界を知らずイメージもできない人には伝わりにくい。

 

結界といえば陰陽師で、陰陽師が使うのは呪文。呪文を唱えて結界を張っているというイメージに馴染んでる。一方陰陽師と同じようなシャーマン的存在といえば、西洋の魔法使い。魔法使いは杖を持ち、杖にパワーを集めて(多分)超常現象を起こしている。

 

呪文か杖か。唱えることは誰にでもできるけれど、唱えた言葉にパワーを込められるのは修行を積んだ者のみ。杖に似たものは誰にでも作れるし持てるけれど、超常現象を起こせるような杖は、やっぱり修行を積んだものにしか与えられない。

 

修行というトレーニング期間は共通しているけれど、魔法使いには杖というツールが必要で、陰陽師に必要なのは呪文を唱えられる肉体という器。

 

杖というツールの量産の方が、やっぱり簡単そう。ではあるけれど、だからまずはアスリートの数を増やして鍛え上げられた肉体という器を増やしてきた相手に対して、杖の使い手の数が不足してたら、ツールを量産する意味がない。

 

ショートカットを用意しても、結局は耐えられなかったらショートカットの意味もなし。

 

デジタル世界の言葉、プログラム言語が上位に来る結界の内側で、話し言葉や書き言葉に頼ってパワーを発揮しようとしても、結界の内側だったらやっぱり意味がない。