今日7月30日は、狸小路商店街が一年でもっとも賑わう日、狸まつり。老若男女でごった返してた。モンスターに頼らなくても、この日に限っては集客力抜群さ。
とはいえポケモンGOで人がワラワラな景色、一度はみて見たい。秋葉原にドラクエのすれ違いスポットが出現した時、すれ違いを求めるたくさんの人の群れに、ゲームとは縁遠いながら、心が躍った。何か新しいことが始まってる気がして、ワクワクした。
東京は、日本でいちばん文化が集積してる場所。メインカルチャーからポップカルチャーにサブカルチャーまで、なんでも揃ってる街。クラシックでも前衛でも、その気になれば第一線の人から教えを請うことも可能で、どこまでも自分の興味を掘り下げることができる。
濃厚にカルチャーに浸りたい人や、常に面白いものや新しいものに触れたい人にとって、選択肢は地方より断然多いパラダイス。なのにその東京で、ポケモンGOが今流行りにはやってる。
ありとあらゆるカルチャーに気軽に触れられる環境で、それでも大勢の人がポケモンを選んだのなら、もう文化、カルチャーをゲームにOnしていくしかない。
ということくらい、頭のいい人たちは当然考えるわけで、気付かないうちに知的文化的知識をゲームを通じて体得する同種の試みは、ポケモンに限らず今後も続くんだろう。
道徳やモラル的なものは、教条的に教え込んだら本音と建て前で使い分ける狡猾さにつながって、思ったほどには広がらない。だから、エンタメを通じて広く薄く、網をかけるように浸透させていく方が、結局は効率がいいと思ってる。
都市居住者が今後も増え続けると、衣食足りずに礼節も足りないまま、衣食足りて礼節を説く人への反感を募らせる層も増え続ける。都市の格差は苛烈だから。道徳やモラルを説いたところで聞きゃしない。だから、遊びを通じて体得するのがいちばんなんだ。
ライトノベルやアニメにコミック、それ以前は映画や文学的なものがそのツールだった。今ならゲームを拡散ツールにするのが、いちばん効率がいいのかも。
そして旧時代の拡散ツールは、最新の拡散ツールであるゲームの土台として取り込まれ、さらに昇華してゆく。どちらのツールが上位か下位かの話ではなくて、どちらも必要で、どちらのパワーも最大限に引き出されたから、ポケモンGOのような大ヒットにつながったと考えるとスッキリ。
イングレスにはなかったポケモンというキャラクターが加わることで、より敷居が低くなって、大勢に受け入れられやすくなってるから。
欲しいものが手に入らなくてツマンナイ思いをした人が大人になって、ルアーモジュールを差してちびっこ喜ばせて。つまらなさそうな子供や誰かのつまらなさを解消してるかと思うと、ほっこり。
“かつてあったいいことは、どこかで生きつづける”を思い出してニッコリできる。誰かにもらったいいことのバトン、ちゃんと受け継がれ続けてる。ポケモンGOのヒットは、そこがいい。
お休みなさーい。