クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

アイスランドを舞台にした『ひつじ村の兄弟』見てきた

おじいさんと羊が出ずっぱりで主役の映画、『ひつじ村の兄弟』を見てきた。映画の舞台としては珍しい、アイスランド辺境の村で牧羊とともに生きる人たちを描いた、アイスランドデンマークの合作映画。台詞は耳慣れないアイスランド語だった。

 アイスランドの人里離れた村で、隣同士に住む老兄弟グミーとキディーは、先祖代々から受け継がれてきた優良種の羊の世話に生活のすべてを費やして生きてきた。その一方で彼らは、この40年もの間全く口をきかないほどに不仲だった。ある日、キディーの羊が疾病に侵され、村全体が恐怖にさらされる。保健所からは殺処分を命じられるものの、絶滅の危機にさらされた先祖代々の優良な羊を守るため、兄弟は40年ぶりに力を合わせることになる。(フライヤーより引用)

 2015年のカンヌ国際映画祭(第68回)にて、ある視点部門グランプリ受賞作。キャロルも海街diaryもサウルの息子も差し置いて、最高作品パルムドール賞にはディーパンの闘いが選出された年の、ある視点部門グランプリ受賞作。ある視点部門の審査委員長は、イザベラ・ロッセリーニだそうです。


カンヌ国際映画祭にてある視点部門のグランプリに輝いた作品が日本上陸!映画『ひつじ村の兄弟』予告編

雪原の中の羊にシンパシーを感じて見に行った。アイスランドという寒さ厳しい場所の、人より羊が多い村。羊を馬や牛に変えたら、北海道でもありそうな風景。おとぎ話、寓話っぽいストーリーだった。

 

人魚姫に赤い靴。童話がしばしばそれはないんちゃう!?と文句つけたくなる残酷さややるせなさをはらんでるように、この映画もちょっとちょっとー!!!それで終わりかーい!!!とツッコミたくてうずうずした。

 

起承転結や序破急で、きれいにまとめられたストーリーが好きな人にはフラストレーションがたまるかもしれない要素がたっぷり。ラストを含め、観る人に考えさせる要素がふんだんに盛り込まれてるから。

 

主役は中の悪いおじいちゃん兄弟。生活態度や性格にも似たところは少ないながら、唯一の共通点は羊をこよなく愛しているところ。羊コンテストで優勝するのが生き甲斐で、最上級の娯楽となっている二人。羊に対する愛情は、山よりも海よりも深く、人より羊を愛してるのかもしれない。なんてったって由緒正しい羊たちだから。工業製品のように育てられている、近頃の羊とはまったく別物だから。

 

病院や商店のある街から離れた、冬になれば一面銀世界に変わる人里離れた村。そこにある日、伝染病という爆弾が落ちてくる。

 

その病スクレイピーは致死率が高く、羊の神経系を侵す恐ろしい病気。異常プリオンが原因なところも狂牛病とよく似てる。ひとたびスクレイピーが発生すれば、行政による殺処分は待ったなし。牧羊で生計を立てている平和な村が見舞われた、大災厄

 

政府からの補償があるとはいえ、先祖代々彼らの村が育ててきた、大切な純血種は失われてしまう。殺処分を機に牧羊をやめてしまう村人も現れるなか、羊大好き、羊こそわが人生の老兄弟、グミーとキディーはどうなるの?という感じでストーリーが進む。

 

くすっと笑える控えめなユーモア入りだけど、全体としてはとても静かな映画。映画館の大きなスクリーン(といってもミニシアターなんだけどさ)で見たから“もと”取ろうと一生懸命見てた。もしもこれが手のひらサイズ、タブレットによる動画配信で見たとしたら、退屈になって投げ出したかもしれない。それくらい、刺激になれた人間にはある意味で我慢を強いる映画だった。こういう静けさも、時には悪くない。

 

それで終わりかーい!!!と、もやもやがたっぷり残るラストだけに、きっと好き嫌いがはっきりわかれる。

 

判断を観客にゆだねる映画、最後の謎を解くのは私って感じで嫌いじゃない。

 

自然環境も厳しく生産手段も限られた寒村で、唯一の生計手段さえ断たれてしまう人たち。伝統を絶やさないために抵抗を試みるも、その抵抗が成功するかどうかは神のみぞ知る。なにその厳しさ、ひどっ。と、ひどいひどいと言い募ったところで、都合よく助け手が現れるわけでもない。

 

見た人が気持ちよくなる結末を用意しないあたりがとっても誠実。世界を牽引するNYやシンガポールに東京といったグローバルシティには転がってるチャンスも、ピンチをチャンスに変える酔狂な出資者も、辺境の辺鄙な村には転がってない。そもそも条件が多いに異なる他者の成功体験をなぞったところで、しょせんは行き詰るだけ。成功者と同じ真似をして成功できるのは、成功者と条件が近い人に限られる。

 

無慈悲なまでの現実を織り込んで、所与の与えられた条件が厳しい人間は、いつだって筋書きのないドラマを生きて、その先の物語は自力で紡いでいくしかない。

 

グリムにアンデルセンに新見南吉に。ハッピーエンド以外の結末も多い童話の数々は、現実の厳しさや哀しさを詩的に歌い上げる。救いようのない現実に手向けられた花束のようなものだから、ことさら哀しく詩的で心に残るのかも。終わり方が安易じゃないから、結構好き。

 

ちなみにアンデルセン童話の中では、『ナイチンゲール』、別名『小夜啼鳥(サヨナキドリ)』が一番好きだった。

 

お休みなさーい。