今となってはふた昔前に公開された『チャーリーズ・エンジェル』は、何度も見返してるオールタイムベストの1本。
テレビシリーズが最初で、2000年公開の映画ではヒロイン3人を、キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リューが演じてる。
チャーリーズ・エンジェルというタイトル通り、チャーリーという謎多き人物(多分お金持ち)の指令で、身体能力が高く美しい3人の女性が、時に密偵のように働きながら活躍するというアクションもの。まず、女性が主人公でアクション満載という設定が秀逸。
優等生に問題児に、変人。3人のヒロインをタイプ別に客観視すればそんな感じ。時にはセクシーな衣装で女性的魅力を振りまいているけれど、彼女たちにとってセクシーであることは武器のひとつ。武器だから、料理人が包丁を研ぐように手入れは怠らないけれど、セクシーさを振り撒くのは計算のうちで何らかの作戦行動の一環でしかない。
この映画公開当時の2000年では、悪知恵が働き悪だくみする悪党であっても、この種の女性の前では無防備で鼻の下も伸びるんだ。だから、作戦も遂行しやすかったんだという見方もできる。それから20年以上たった今となっては、この種の悪党の鼻の下が伸びて無防備になるのは一体どんなシーンなのか。想像もつかないけれど。
この映画が何回見返しても痛快なのは、彼女たちエンジェルは”チャーリーのエンジェル”であることがアイデンティティーの最上位で、何の迷いもなく指令をこなしていくところ。
彼女たち、アレックス・ディラン・ナタリーには各々プライベートがあり、プライベートではその年齢の女性らしいロマンスもあるけれど、チャーリーからの指令第一でチャーリーのエンジェルとして行動すること最優先で、そこにブレがないから痛快で爽快。彼女たちが繰り広げるアクションを安心して見ていられる。
彼女たちにエンジェルという名を与えたのも秀逸で、悪魔の使いじゃないから、チャーリーの指令はいつも不正や不正義を糾すために下される。だから、エンジェルたち個々のプライベートや人生より”チャーリーのエンジェル”が最上位でも何ら問題なく、問題ありだときっと途中で脱落してる。
”チャーリーのエンジェル”であることを疑問にも重荷にも感じないエンジェル達が、存分にエンジェルらしく暴れ回ってる。その姿は、旬の短い花の咲き時を惜しむように愛でているのではなく、ひとつの解を示したものなんだと思う。
体力や容色が衰える代わりに経験値が蓄積され、より知恵が悪い方に回るようになる。その種の悪に対し、一対一で対峙できなくとも団体戦、チームなら対抗できると暗示しているのかもと考えるのも楽しい。
『チャーリーズ・エンジェル』はその後も続編が作られ、”チャーリー”という謎多き正義漢の代わりを企業がつとめ、エンジェルたちの作られ方も変わっていく。だから私はやっぱり最初期の謎多き正義漢のもと、”チャーリーのエンジェル”というアイデンティティー最上位で勧善懲悪に振り切ったストーリーの方が好みで、その方がよりフィクションらしい。
フィクションだから作り物。だけどノンフィクション、現実に存在する、罪を逃れてほくそ笑むような嫌な奴が懲らしめられるというストーリーだから、フィクションとして楽しめて支持できる。
複雑な現実社会は、誰にでも簡単に理解できるように作り変えることはできない。それは現実これはフィクションと虚実にきっぱりと線を引くことができないから、虚か実かといったグレイな領域にきっぱり線を引いて振り切った作り物は、何度も安心して見返すことができる。



突然のドカ雪。1月の積雪量としては記録的だったとか。例年より雪が少なかった年末が、遠い昔のように思える景色になった。
チャーリーズ・エンジェルの続編として前のめりになれそうなストーリーは、私ならこんな感じ。任務で大怪我を負い、任務続行が難しくなったので引退した元チャーリーズエンジェルの子供(大怪我の原因・血の繋がりはなくとも可)が主人公。母たちの活躍に憧れ厳しい訓練にも耐え、晴れてエンジェルとなったまだ年若い青年が、母達の時代にはなかった事件を解決していく。彼個人のエンジェルとしての意識は高いけれど、何しろ時代はチームで団体戦で、個人の判断と企業の判断やチームの判断はすれ違う。それでも母の時代を知っている彼は、単なる仕事以上の義務感でチームの意識も変えていく。
多分どんなチャーリーズエンジェルが出てきても、キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リュー演じるアレックス・ディラン・ナタリー以外のエンジェルでは満足できない。だから、思い切った方向転換のエンジェルなら食指が動くかも。かもかも。








