クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ハッピーワンダフルニューイヤー

平成もついに30年かと思うと、感慨もひとしお。

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わん。

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わんわん。

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これは昨日食べた奴だけど、わんわんわん。

 

すでに3つのカワイイ犬を、美味しくいただいて満足。満腹。

カワイイものは、食べられる運命なのさ。

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お菓子ばっかり食べてたわけではなく、ちゃんとお節料理も作って食べた。

サーモンマリネに黒豆、それにローストビーフさえあれば、だいたい満足。

とはいえそれ以外のものも、作り過ぎてしまう罠。

 

食べてばっかりのお正月というわけでもなく、

聴こえるのはただ風の音ばかりという環境で、本をお供に長湯という至福も貪ってる、

ハッピーワンダフルニューイヤー。

 

明けましておめでとうございます。

 

お休みなさーい。

怒りや憤りに導かれ、君よ、影を呼び出すことなかれ

師も走るという師走もこれ以上ないほど押し迫った大晦日、栗きんとんに失敗してしまったので、デパートへと急ぐ。

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大晦日のデパート。あぁ大晦日だよ。。という特別な気分が味わえるかとちょっとワクワクしたけれど、店内もデパートのある中心部もさほど人も多くなく、大変に歩きやすかった。

 

バブル期の、通勤ラッシュを思わせる押し合いへしあいの混雑を彷彿とさせるよすがもなし。空港、あるいは空港に向かう交通機関なら、もしかするとあぁ大晦日。。という雰囲気に満ち満ちてたのかも。

 

お正月を控えたせいか除雪も行き届き、なんなら自転車でも問題ないくらいの歩きやすさで、大晦日というよりも、冬なのにまぁまぁ天気に恵まれた、普通の休日っぽい。

 

今年は金柑の蜜煮にも初めて挑戦。栗きんとんには失敗したけれど、こっちは初めてにしてはまぁまぁの出来で、満足。

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盆や正月、あるいはクリスマスといった特別な日に利用者が大きく減るのなら、そのサービスのメインユーザーは、特別な日にはそれなりに忙しくなる、日常を生きる人たちってことになるんじゃないすかね。

 

日常を生きる人から日常を奪い、非日常を生きろと押し付けたところで、目一杯抵抗されるのがオチ。非日常を生きる人にとってはそれが日常茶飯事のことであればなおさら非道だけが際立ち、日常を生きる人との乖離が激しくなるだけさ。

 

虚構でしか描きえないものそれは、異形とのめぐり逢い。

 

という仮説を、このたびうん十年ぶりに完結した物語に触発されて思いついた。もうひとつ仮説を思いついているけれど、それはこれから検証する予定。中断されたから追い掛けるのもやめた、その年月があまりにも長いので、検証にも相応の時間がかかる。ポチッと電子書籍というわけにもいかないのでなおさら。

 

蛇王とか、劇場型犯罪を敢行する愉快犯とか、ゲドが戦う影とか。その種の異形のものとの邂逅は、虚構に託して語るしかない。ただ気に食わないという理由だけで、虚構に託して実在する人やモノを断罪するのは、単に下品な憂さ晴らしで現実の写し鏡で物語でもなんでもないわな。

 

物語でもなんでもないから、フェイクニュースという便利な呼び名がぴったりくる。厳密なフェイクニュースの定義とは、多分大いに違ってるけどさ。

 

どうして俺・私がこんな目に遭うのか。という怒りや憤りに導かれ、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンと目の前に現れた、異形の声にあなたは耳を傾けますか、どうしますか。

 

ゲド戦記あたりをサクッと動画で見てみようと思ったけれど、こちらもポチっとはいかず。不便ですこと。

 

怒りや憤りに導かれ、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンと徘徊する影を封じ込めるため、大金を投じてシステムをすっかり変えてしまったあとで、憤怒の河を渡る最後の一人になるなかれ。その河は、最後の一人が渡り切ったあとに、やがては枯れてしまうものだから。

 

物語を綴るために必要だからと影をわざわざ呼び出すのなら、そもそもなんのための物語なんすかね。本末転倒に表裏一体に。もう少し四文字熟語の語彙を増やしたいと切実に思った、2017年の年の末。健やかに過ごすというありようの尊さが、身に染みた一年でもございました。

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どこから食べるべきか。なかなかに悩ましい。

健やかに過ごしたいと願いつつ、こういうのは止められないのよねぇ。

 

アラビア遊牧民には、移動そのものをよしとする思想があるそうで、活躍する場は海と砂漠で異なるけれど、稼ぐことしか考えなかったから滅ぼされたカルタゴの民と、根底となる思想は一緒なのかも。

 

お休みなさーい。

大きく下げても、一定ライン以下までは下がらないものなーんだ?

  • 民進党元代表の蓮舫氏、立憲民主党に入党
  • ペルーのフジモリ元大統領恩赦で釈放に反発、首都リマでは大規模な反対デモ起こる
  • 北海道で暴風雪が吹き荒れ、留萌港の灯台が根本より折れる

クラリオンガールとしてデビューした頃の蓮舫は、クリクリした大きな目とボーイッシュさが魅力の人だった。アホの子か賢い子かは話せばわかり、頭の回転が早い人だということは、司会をさせればすぐわかる。おもてなしの人か、おもてなしして欲しい人かも、人前に立てば丸わかり。

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右肩上がりでグングン上昇したかと思うと、どどーんと下がり、これから地獄かと思うとまた上がって、小休止。と、山あり谷ありのジェットコースターを経験させるそのココロは、離れがたくさせること。

 

また上がるかもという期待が、対象への前のめりな入れ込みに繋がり、潮時を見失わせる。

 

およそ賭け事らしい賭け事には、一切近寄らない。ギャンブル、楽しー♪なんて回路は一生開くことはない。賭け事は、しょせん胴元が勝つものだから。

 

大きく下げても、一定ライン以下までは下がらずに下方硬直性を発揮するのなら、そこは自由競争の場ではなくて、何らかの介入が働いて、価格決定権を握るプライスリーダーがいる場なんだと考えた方がしっくりくる。

 

最近大きく上がって大きく下げた、とある金融商品の話。プライスリーダーに嫌われると、市場からはきれいさっぱり姿を消すようになってるんでしょ。

 

市場として育てたいから介入が起こり、市場を破壊、あるいは毀損するものは退場を迫られる。という当たり前の話なんだけど、当たり前が通じない人にはどこまでも通じないんだな、これが。

 

今年一年間にAmazonで買った金額の総計を振り返ってみたら、まぁざっくり12万円くらい使ってた。1ヵ月に2万円以上使い込み過ぎると、使いすぎ~とブレーキがかかるから、だいたいそんなもの。

 

改めて振り返ってみると、単価の低下に驚くばかり。おもに買ってるのは電子書籍と映画などの動画。書籍の場合は、300頁を越えると電子書籍で読む気がしないから、高単価な本ほどリアル書店で買っている。自然、新書や雑誌などの比較的低価格なものを、多数買っていることになる。あらこれ、安物買いの銭失いって奴やん。

 

おまけに買った時についてくるポイントのおかげで、結果的に安く買っていることになり、Amazon経済圏の中でぐーるぐる回ってる。買い手に都合よすぎて怖くなる。

 

売り手よし買い手よし世間よしのトライアングルにあてはめて考えると、出来上がるのはどう考えてもいびつなトライアングル。その気持ちがどこかにあるせいか、比較的高単価なものは取り寄せずにリアル店舗で買う傾向にあり。

 

本以外のものでも、リアル店舗になかった場合に限ってネットで買おうとするリアル店舗派で、リアル店舗に期待するのはショールーム機能。ということが、はっきりしてすっきり。

 

戦闘力は高いけれど経済力には欠ける、武に勝る国があえて勝ち目のない戦いでも戦端を開くのなら、実はとっとと負けて戦勝国の奴隷にでもなり下がりたいという下心があるのかも。

 

奴隷になって、あれしろこれしろと命令されてる方が、今日はどうやって民を食べさせようと悩まなくても済めば、そもそも今日一日をどうやって生き延びようかとも考えなくてすむやね。と、架空戦記を眺めながら思った。

 

お休みなさーい。

あとは寝て待つだけ

  • 漢字の国際規格化完了、常用外漢字のPC表記がより正確に
  • 北日本と北陸、爆弾低気圧襲来で、猛吹雪など大荒れとなる恐れ
  • フィリピンでの台風被害、洪水や地滑りでの死者220名を超える

登録する氏名は身分証明書と同じものに限ると言われながら、恐らくは常用外漢字のために身分証明書上の氏名とは似て非なる漢字で勝手に登録された経験、ある人にはきっとあるある。そうかあのモヤモヤは、国際規格が統一されてなかったゆえの面倒ごとだったのかと、天下統一を寿ぐキ・モ・チ。

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クリスマスとは、特に関係のないエクレア

あらぬ方向に思わぬものが転がっていた、わが家のベランダ。昨日の夜は、特に風が強く吹いていた。

 

クリスマスも終わり、年賀状も目途がつき、あとはお正月を寝て待つだけ。大掃除らしい大掃除も、腕が上がらなくなるほどがんばったおかげで、もう済んでいる。それでも断捨離にはまだ終わりは見えないけど、不用品回収のタイミングもあるので、今年はもういいや。

 

そう古くからある言葉ではないのに、いつの間にか定着していたハラスメントという言葉。

 

セクハラ、モラハラパワハラとバリエーションも豊かで、別にそんなに豊かにならんでもええでと、字面だけでもうお腹いっぱいさ。

 

Twitterでもすでにつぶやき済みだけど、忘れないようにもう一回。

 

傷つけることで誰かの優位に立とうとするその理路(あるいは根性)からして、モラハラと承認欲求は表裏一体。

 

そもそも満たされた生活を送っている人が、他者に対して攻撃的になるわけがない。ついでに承認欲求も満たされていたら、張り切ってモラハラする理由もなし。

 

モラハラ体質が骨の髄まで染み付いてる人は、攻撃対象と定めた相手に対し、あらゆる手段を使って攻撃し、立ち直れないようなダメージを与えるのがお好きなんだってさ。まぁなんて迷惑な。

 

そんな時も、傷つけようとする相手から、傷つけられない強い気持ちがあれば、ダイジョーブ。強い気持ちは、知識を積み上げればたいてい自動的についてくる。あぁそういうことかと、あらかじめ構造が見えていたら、気分はどっちらけ。ネタの割れた手品を見て、驚く方が難しい。

 

今年を振り返るニュースが目立つ、今日この頃。2017年でもっとも心に残ったのは、「雪男イエティは熊」だったこと。2017年を待つまでもなく、真相にたどり着けたような気がしてしょうがない。

 

お休みなさーい。

 

 

 

 

 

クリスマスなので、鶏を丸ごと調理してみた

クリスマスというホリデーシーズンに、海外、特に欧米からニュースらしいニュースが流れてくるわけもなし。彼らにとってはお正月みたいなもの。

 

こんな日に仕事するのは、ワーカホリックかそれとも違う宗教の人。祝日が異なる人たちと一緒に働くと、いちばんのメリットは休日が取りやすくなるってことさ。

 

クリスマスといえば、一年の中でも屈指のハレの日。何作りますかねぇと悩みつつ買い物に出かけると、出会ってしまった「鶏丸ごと」。あぁこれを料理したい。というわけで、今年のメイン料理は鶏に決定。いかにもクリスマスらしい。

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外国産かと思ったら、北海道産だった。“鶏の半身揚げ“にザンギに、いつもは細切れで出会う鶏肉、どーんと一羽丸ごとだと迫力あり。内臓は、思った以上にきれいに取り払われ、中身はすっかり空洞。

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鶏はまず水洗いし、キッチンペーパーで水気をふき取る。そこに、スタッフィングを詰めていく。雑に市販のレバー・パテとマッシュルーム、そして玉ねぎをみじん切りにして、鶏に詰める。想像以上に空洞だったので、ちょっと多目かと思う量でちょうどよかった。

 

油を鶏全体に回しかけてから、これもやっぱり市販のシーズニングを全体にまぶして、電気圧力鍋へGO。隙間から白ワインを適当に流し入れてスイッチオン。あとは、出来上がりを待つだけ。

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お尻の大きなウサギに見えなくもない

鶏といえば丸焼きだけど、どう考えてもパサパサになりそう&しっとり焼き上げるのは至難の技っぽかったので、電気圧力鍋蒸し鶏風にする道を選んだ。二度加圧し、すっかり火が通ったら完成。

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あとはさつまいものポタージュと、なんちゃってアッシュパルマンティエ風を添える。なんちゃってなのは、マッシュポテトとひき肉(今回はコーンビーフで代用)のフィリングを入れる順番を間違えたから。ほんとは、マッシュポテトが下。

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ついでに、どこかのレシピサイトで見つけた、トルティーヤ生地にゴルゴンゾーラ、はちみつにくるみをトッピングしてピザ風に。見た目はピザっぽくなったけど、味はやっぱりトルティーヤだね。。という出来上がりで、何事もやってみないと分かんないもの。わざわざやってみなくても、やらなくていいものもあり。

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鶏の丸ごと蒸し。

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完成した時点でやり切ったという達成感の方が強く、食べるのはついでみたいなもの。

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どう考えても、食べきれるわけがない量。ふた切れ・三切れほどでもうお腹いっぱい。とはいえ濃厚なフィリングがアクセントになって、淡白な鶏の味を引き立ててくれたので、味にはそれなりに満足。

 

とはいえ、カニ食べてる時みたいに無口になれる。骨があるから、決して食べやすくはない。決して食べやすくはないから、一年に一度で十分さ。疲れる。

 

食べ切れなかった残りは、スープの具やリゾットその他にして消費する予定。食べ切れない量を作って、その後もチビチビと同じものを食べ続けるという発想も、お節っぽいからイベント向きレシピ。

 

クリスマス休戦という価値を共有できるかどうかは、話が通じる相手かどうかを見極める試金石にもなる。

 

正月あるいは旧正月に置き換えてもいいんだけどさ。相対する国がそれなりに大事にしてる行事ごとの日には、事を荒立てないという発想さえ通じないのなら、同調してもらうのもそりゃ難しくなるさ。

 

お休みなさーい。

それは献身に値するものか、よーく考えよう

法人税率の引き下げを受けて、通信大手のAT&Tなどはすでに大型投資を予定しているとか。直接政府が介入して、雇用の創出や公共事業を通じて経済を活性化させた、ニューディール政策民間活用版に、なったらいいわねぇと渋茶すする。

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予約して買う福袋で欲しいものナンバーワンは、クリスマス用オーナメントの詰め合わせ。どうせクリスマス間近になると叩き売られるんだから、あらかじめお買い得価格で、ついでに福袋として売ってくれたら、買う人は買いそうな気がするんだけど、どんなもんでしょ。

 

スーパーはすでに、お正月用品へとシフトしていた、せわしない年の瀬。

 

風邪で寝込んだ日は、小難しいこと考えられないから、子供向けの本、児童書を読むくらいでちょうどいい。児童書といえども行間は文字でびっしりで、児童書よりもスルスル読める薄っす~い行間スカスカの自己啓発書よりも読みごたえあって、新鮮だったわ。

 

大人目線と子供目線では、読後感がずいぶん違うというレビューに興味を覚えてポチッたのは、『ミオよわたしのミオ』というアストリッド・リンドグレーン原作の本。

ミオよわたしのミオ (岩波少年文庫)

ミオよわたしのミオ (岩波少年文庫)

 

 孤児院、そして意地悪な養父母に引き取られた少年ボッセが主人公。少年ボッセが架空の王国で、波乱万丈の経験をするという、お子様向けファンタジーの王道のようなストーリー。それでいて、ラストには膝カックンを食らうようなオチが待っていて、嬉しい楽しいで終わらせない、怖いお話でもあった。

 

怖さに気付けるのは、きっとある程度経験を積んだ人限定と思われるので、経験値の浅い人が読むと、ハリーポッターの方が面白いじゃんという感想になりそう。

 

アストリッド・リンドグレーンといえば、『長くつ下のピッピ』に映画にもなったロッタちゃんシリーズ、最近だと『山賊のローニャ』と、数々の児童文学の名作を生み出してきた人。その人が、架空の王国での波乱万丈冒険の旅に、大いなる落とし穴を仕込んどくとはねぇ、と感慨深い。

 

さて、少年ボッセはある日突然架空の王国へと旅立つことになるんだけど、そっちの国では彼は、それは一体誰のことやねん???という“ミオ”という名で呼ばれてる。

 

しかも猫なで声。ミオよわたしのミオと、彼の本当の名前はガン無視して、呼びたいように少年ボッセを呼ぶのは、優しい王様。王様のもとでは、食べるものにも住むところにも、一緒に遊ぶ友達にも困らない、ステキな日々を過ごせる。

 

でも、彼の本当の名前は決して呼ばれない。

 

それは一体誰のことやねん???という呼び名を受け入れている限り、約束される甘い生活と、理由も知らずに駆り出される悪者退治の旅。なぜ?と考えることを捨て、架空の王国の求めるままに過ごしてる限り、いつまでも続く甘く優しい生活お友達つき。

 

でも。決して本当の名前では呼ばれない、その架空の王国から一歩外に出た本当のあなたは、一体どこにいるのさ???

 

と、ネトゲやソシャゲ漬けで廃人一歩手前となった子供がもし自分に居たら、こんな気持ちになるのかと思いましたよ。読後に感じるのは、まず哀れという感情。あとイメージとしては、帰還兵なんかもぴったりきた。

 

王様=リーダーの指示に従っているあいだは、衣食住も安全も保障され、理由も知らされずに言われるままただ悪に立ち向かい、無事生還すれば多くの仲間=戦友と一緒の楽しい日々が待っている。

 

ところが戦争が終わって故郷に還ってきてみれば、そもそもが孤児で待つ人もいない身。誰かが寂しがっててくれるといいなぁと願う姿。とも考えられて、なおさら切ない。

 

空想と孤独は相性よしで、孤独と相性がよすぎるから、空想は優しくて残酷。

 

決して本当の名では呼ばない王様を喜ばすため、架空の王国で剣をとって闘ったとしても、その献身は、ひと時の癒しとなっても必ずしも孤独に報いるものとは限らない。

 

ということを、子供のために嬉しい楽しい数々のお話を書いた人がわざわざ筆をとって書いてるってことは、子供目線に「だけ」立った、安易に子供を喜ばすだけのコドモダマシへの忌避感でもあったのかしらねぇ、と渋茶すする。

 

甘くて優しいだけのコドモダマシフィクションに溺れてたわけじゃないから、

合理的でない人の行動は、市場競争で淘汰されてしまって、市場経済の動きには反映されない可能性も高い

『経済学のセンスを磨く』 大竹文雄著より引用

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ってことも、すんなりと受け止められる。

 

ミックスAmazonプライムにネットフリックスで見放題のアニメにゲームに。リッチになったお子様向けコンテンツと比べると、やっぱり地味で面白いと思う回路が開くまで訓練が必要な、本を読むという行為。

 

空想と孤独は相性よしだから、みんなが楽しんでることが、必ずしも楽しめない人向きのメディアとも言えるかも。なんて考えましたよ。みんなが楽しんでることが、必ずしも楽しめない人が勝手に掘り進んだ道が、勝手に大きくなった姿、前にも見たよ。歴史が繰り返されるかどうかは、知らね。

 

お休みなさーい。

正義のヒーロー出動のお値段

  • 日本相撲協会、すべての力士・親方を集めて暴力根絶に向けての研修会を開催
  • 独立に揺れるスペインのカタルーニャ州で、州議会選の投票始まる
  • 日本企業による中国での人民元建て債券による資金調達が解禁へ

相撲取りが一堂に会すると、ちょっとした迫力。こんな絵面には、きっと当分お目にかかることもなし。テロが身近となった世界では、被害者が自己防衛のために振り上げた拳だって過剰反応と見做されて、暴力ダメ絶対という単純なルールの前では分が悪い。念のため、日馬富士の件とはまったく関係のない、単なる私見。

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救急車を呼ぶにも有料の世界は最初から性悪説をとっていて、優しくしたらつけ上がるタイプの人間を織り込み済み。優しい顔を見せたらどこまでいってもつけ上がるタイプの人間、クラスタに対して、もっとも効果的なのはコストの負担を求めること。

 

優しい顔を見せたらどこまでいってもつけ上がるタイプの人は、コスト負担を求められた途端、逆上することがあり、おかしな人かどうかを見極める分水嶺にいい。

 

そもそも生きる世界が違い過ぎて、常識も違えば、頭のネジが一本か二本、あるいはもっと足りない可能性あり。芸術とか宗教とか。なんだか主語が大きすぎるタイプのやつは、奉仕して奉仕して奉仕して、なーんの見返りもなくてもそれが生きる道。

 

的な、使役する側にとってだけ都合のいい理屈を、ぶん回してるという自覚もなしにぶん回しつつ距離つめてくるから、厄介。なので、無視無視無視。

 

正義のヒーローものというジャンルがあって、今でも土日の早朝あたりのテレビ枠でやっている。たまーに見る、というか眺めることがあるけれど、セリフだけはずいぶん立派で小難しいこと言ってんだよね。

 

昭和の昔のヒーローものはもっと単純で、悪い奴は見るからに悪かった。

 

見るからに悪そうではないけれど実は悪い奴で、悪い奴を倒すにもいろいろ理屈つけてやっつけなきゃで、正義のヒーローもそりゃ苦悩するわ。

 

正義の味方と悪い奴と、双方ともに苦悩を抱えつつ戦うから、問題が複雑に見えて解決も遠のくんだけど、小利口な理屈並べて小難しそうな考え方をお子ちゃまに伝授するより、もっと大事なのは、コスト意識。

 

今回の正義のヒーローの出動に要した費用はおいくら万円。悪者によって破壊された人的・物的損害の復旧に必要な費用はおいくら万円。現在の地球防衛軍の収支は、現在のところ黒字。今後同様の攻撃には、X回耐えられる見込みです。あるいは、次回より赤字に転落、当分の間正義のヒーローの出動はありません。とかなんとかさ。

 

現実に起こる争いも、つきつめれば損得の問題に帰するんだから、正義はノーコストという考え方をアップデートするにもちょうどよし。

 

正義はノーコストという無策が、十字軍に、白虎隊に、特攻隊に子供兵という人命の無駄遣いを生む土壌になってきたんだから、正義をテーマに語るのなら、一緒にコストも教えなきゃだわ。

 

正義のヒーローの出動は当分なし、呼ぶならお金チョーダイ、今フトコロ寂しいから、ギャラはたっぷりねと告知しておいたら、気軽に正義のヒーロー呼びつける人も居なくなって、自助の気持ちも生まれるかもね。かもかも。

 

お休みなさーい。