クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

それは献身に値するものか、よーく考えよう

法人税率の引き下げを受けて、通信大手のAT&Tなどはすでに大型投資を予定しているとか。直接政府が介入して、雇用の創出や公共事業を通じて経済を活性化させた、ニューディール政策民間活用版に、なったらいいわねぇと渋茶すする。

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予約して買う福袋で欲しいものナンバーワンは、クリスマス用オーナメントの詰め合わせ。どうせクリスマス間近になると叩き売られるんだから、あらかじめお買い得価格で、ついでに福袋として売ってくれたら、買う人は買いそうな気がするんだけど、どんなもんでしょ。

 

スーパーはすでに、お正月用品へとシフトしていた、せわしない年の瀬。

 

風邪で寝込んだ日は、小難しいこと考えられないから、子供向けの本、児童書を読むくらいでちょうどいい。児童書といえども行間は文字でびっしりで、児童書よりもスルスル読める薄っす~い行間スカスカの自己啓発書よりも読みごたえあって、新鮮だったわ。

 

大人目線と子供目線では、読後感がずいぶん違うというレビューに興味を覚えてポチッたのは、『ミオよわたしのミオ』というアストリッド・リンドグレーン原作の本。

ミオよわたしのミオ (岩波少年文庫)

ミオよわたしのミオ (岩波少年文庫)

 

 孤児院、そして意地悪な養父母に引き取られた少年ボッセが主人公。少年ボッセが架空の王国で、波乱万丈の経験をするという、お子様向けファンタジーの王道のようなストーリー。それでいて、ラストには膝カックンを食らうようなオチが待っていて、嬉しい楽しいで終わらせない、怖いお話でもあった。

 

怖さに気付けるのは、きっとある程度経験を積んだ人限定と思われるので、経験値の浅い人が読むと、ハリーポッターの方が面白いじゃんという感想になりそう。

 

アストリッド・リンドグレーンといえば、『長くつ下のピッピ』に映画にもなったロッタちゃんシリーズ、最近だと『山賊のローニャ』と、数々の児童文学の名作を生み出してきた人。その人が、架空の王国での波乱万丈冒険の旅に、大いなる落とし穴を仕込んどくとはねぇ、と感慨深い。

 

さて、少年ボッセはある日突然架空の王国へと旅立つことになるんだけど、そっちの国では彼は、それは一体誰のことやねん???という“ミオ”という名で呼ばれてる。

 

しかも猫なで声。ミオよわたしのミオと、彼の本当の名前はガン無視して、呼びたいように少年ボッセを呼ぶのは、優しい王様。王様のもとでは、食べるものにも住むところにも、一緒に遊ぶ友達にも困らない、ステキな日々を過ごせる。

 

でも、彼の本当の名前は決して呼ばれない。

 

それは一体誰のことやねん???という呼び名を受け入れている限り、約束される甘い生活と、理由も知らずに駆り出される悪者退治の旅。なぜ?と考えることを捨て、架空の王国の求めるままに過ごしてる限り、いつまでも続く甘く優しい生活お友達つき。

 

でも。決して本当の名前では呼ばれない、その架空の王国から一歩外に出た本当のあなたは、一体どこにいるのさ???

 

と、ネトゲやソシャゲ漬けで廃人一歩手前となった子供がもし自分に居たら、こんな気持ちになるのかと思いましたよ。読後に感じるのは、まず哀れという感情。あとイメージとしては、帰還兵なんかもぴったりきた。

 

王様=リーダーの指示に従っているあいだは、衣食住も安全も保障され、理由も知らされずに言われるままただ悪に立ち向かい、無事生還すれば多くの仲間=戦友と一緒の楽しい日々が待っている。

 

ところが戦争が終わって故郷に還ってきてみれば、そもそもが孤児で待つ人もいない身。誰かが寂しがっててくれるといいなぁと願う姿。とも考えられて、なおさら切ない。

 

空想と孤独は相性よしで、孤独と相性がよすぎるから、空想は優しくて残酷。

 

決して本当の名では呼ばない王様を喜ばすため、架空の王国で剣をとって闘ったとしても、その献身は、ひと時の癒しとなっても必ずしも孤独に報いるものとは限らない。

 

ということを、子供のために嬉しい楽しい数々のお話を書いた人がわざわざ筆をとって書いてるってことは、子供目線に「だけ」立った、安易に子供を喜ばすだけのコドモダマシへの忌避感でもあったのかしらねぇ、と渋茶すする。

 

甘くて優しいだけのコドモダマシフィクションに溺れてたわけじゃないから、

合理的でない人の行動は、市場競争で淘汰されてしまって、市場経済の動きには反映されない可能性も高い

『経済学のセンスを磨く』 大竹文雄著より引用

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ってことも、すんなりと受け止められる。

 

ミックスAmazonプライムにネットフリックスで見放題のアニメにゲームに。リッチになったお子様向けコンテンツと比べると、やっぱり地味で面白いと思う回路が開くまで訓練が必要な、本を読むという行為。

 

空想と孤独は相性よしだから、みんなが楽しんでることが、必ずしも楽しめない人向きのメディアとも言えるかも。なんて考えましたよ。みんなが楽しんでることが、必ずしも楽しめない人が勝手に掘り進んだ道が、勝手に大きくなった姿、前にも見たよ。歴史が繰り返されるかどうかは、知らね。

 

お休みなさーい。