クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

クリスマス近景

あのね、バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くんだ。入るときにはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。

そんなことをすると彼らは肥っちまって、二度と穴の外へは出られなくなる。戸口につかえて通れないからね。

ナイン・ストーリーズ、バナナフィッシュにうってつけの日より引用)

 出された餌を後先考えずにただ食らう、下等な生き物ほど生存欲求も強く、生存欲求が強いから、肥え太って穴さえ破壊するのが現代のバナナフィッシュかも。不幸をエネルギーに変える、不幸なほど不思議とパワーアップする人がいる、諸行無常

 

ジェントリフィケーションが絶賛進行中の札幌市中心部では、ちょっと目を離した隙に、あっちでもこっちでも工事が始まってる。

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明治開拓期にまで遡る北海道発のディベロッパー、伊藤組会長の元私邸にも重機が入り、賃貸マンション(!!!)が着々と建設中。超高級サービスアパートメントでも作るつもりか。

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 道路を挟んでお向いさんとなる北大植物園の一部かと勘違いするほど、自然豊かで広大な敷地。マンションが完成した暁にはいったいどのような景観となるのか。いつ完成するのかもさっぱりだけど、今から楽しみ。

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どこの野山かと思うような、これが敷地の一部なんだ。

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冬季は休園中の、北大植物園。緑でモフモフしてる季節もいいけれど、冬枯れで寒々しい季節の植物園もまた、目の保養さ。

 

北大植物園を通り過ぎ、石山通りを越えたところにある大金畜産の本店は、金曜日と土曜日の週末だけ営業してる店舗。バーベキューシーズンや、年末年始などホリデーシーズンになると、混み合うお店。なんだろうこの、イベントにはやっぱり美味しいお肉だねという道民性は。間違いなく美味しいから、まぁいいんだけどさ。

 

クリスマスも間近なホリデーシーズンは、店舗のディスプレイを見るのも楽し。

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大正時代に建てられた、旧文書館別館というルーツに相応しいディスプレイにほっこり。入り口に飾られたリースも、控えめだけど品があってステキ。

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喫茶室に飾られた、立派なクリスマスツリー。どこにもメリークリスマスの文字は見えないけれど、そこがかえってシックでよし。

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小腹が空いていたので注文したケーキセットは、このボリュームに飲み物付きで、たったの750円。小腹を満たすどころか、片腹が痛くなるほど満腹になった。

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一個600円という、東京でしか通用しないようなお値段がついたパンもあるというのに、なんというリーズナブルプライス。

 

セイコーマート六花亭もそうだけど、北海道民の懐具合に合わせたお値段設定だから、いつでも人が絶えない、北菓楼の喫茶室。ジェントリフィケーションが絶賛進行中とはいえ、胃袋方面では鉄壁の守りを見せるのが、北海道ローカル勢。飢えに対する怯えや記憶が鮮明だと、胃袋に優しくなるのかも。

 

一箇所だけだと宣伝くさくなるから、公平を期して六花亭札幌本店も一緒に取り上げる気の使いよう。

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なんで一般人がそんなことまで気にしなあかんねん、と馬鹿らしいけれど、自分が浮かび上がるためなら何だってする、迷惑極まりない輩を牽制するためには、これもやむを得なし。単に季節のステキディスプレイが、撮りたかっただけさ。

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六花亭札幌本店のエントランスにある、うちわによるディスプレイ。地味に季節に合わせて衣替えしてるのさ。

 

仲通りから入る、別のエントランスにも季節のディスプレイあり。札幌ホワイトイルミネーションに合わせたものか。日が暮れると、さらに幻想的な美しさが見られそうで、これもステキ。

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やらなくてもいいこと。義務ではないけどあった方がいいよねということを、敢えてやっているから、愛される。それも余裕があっての賜物で、やらなくてもいいことの足しにでもなるならと、チャリンチャリンと課金しといた。便利な言葉だね、課金。

 

同情するなら金をくれと大声で無心されるより、余裕を見せつけられる方が、財布の紐もゆるむってもんさ。

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お休みなさーい。

超絶オンチな実在の女性をモデルにした『マダム・フローレンス!夢見るふたり』を見てきた。

超絶オンチな実在の女性をモデルにした、最初から最後まで不協和音を奏でっぱなしのコメディー、『マダム・フローレンス!夢見るふたり』を見てきた。


メリル・ストリープ×ヒュー・グラント!映画『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』予告編

主役のマダム・フローレンスをメリル・ストリープが、マダム・フローレンスの過保護な夫シンクレアをヒュー・グラントが演じてる。実年齢では年の差ありだけど、ヒュー・グラントの老け顔メイクの賜物か、あんまり年の差は感じなかった。

 

超絶オンチな女性が、なぜ“音楽の殿堂“カーネギー・ホールの舞台に立つことができたのか。マダム・フローレンスのリサイタル映像は、今でもカーネギー・ホールのアーカイブでは一番人気なんだとか。

 

下手すぎ、オンチすぎるから、マダム・フローレンスの人となりに、かえって興味もわくってもんで。実は『マダム・フローレンス!夢見るふたり』以前にも、彼女をモデルにしたフランス映画の『偉大なるマルグリット』を見てる。

 どちらも実在の女性をモデルにした作品だけど、“事実はひとつ。真実は、その事実を解釈する人の数だけある”が実感できる、まったく趣向の異なる作品になっていて面白い。

誰が聴いても音痴なのに、誰からも愛されたという、まさに“耳”を疑うソプラノ歌手。最初はあっけにとられた人々も、いつのまにか自由で大らかな歌声に魅入られてしまったという。1944年に76歳でカーネギー・ホールの舞台に立った。(『偉大なるマルグリット』フライヤーより引用)

 『偉大なるマルグリット』で紹介されていた、マダム・フローレンスのバイオグラフィーはたったこれだけ。一方、『マダム・フローレンス!夢見るふたり』の公式サイトには、もっと詳細な彼女の人生が紹介されている。

 

映画『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』公式サイト

※ネタバレが嫌いな人は、リンク先を読まなくてよし。

 

『マダム・フローレンス!夢見るふたり』はコメディ仕立てなので、笑えるポイントがいっぱいで、笑いの種類もいっぱい。愉快でたまらないという陽気な笑いもあれば、もうこれ笑うしかないよねという、悪意に満ちた陰性の嗤いもあり。

 

マダム・フローレンスに関する「事実」は、すべての人にとってオープンな情報ではないから、断片的な「事実」しか知らない人にとっては、ただ愉快で素っ頓狂なだけ。属する階級が異なれば、そこはさらに遠慮なしとなって、彼女は容赦なく悪意に満ちた嘲笑に晒される。

 

マダム・フローレンスについての事実をつぶさに知ってる人、夫であるシンクレアや忠実なメイドは、決して彼女を笑うことはない。彼女と親しい人、例えば彼女専属の伴奏者でピアニストのコズメも、彼女の音痴に絶望しながらも、次第に嗤えなくなっていく。なーんにも知らないうちは、遠慮なく笑ってたんだけどさ。

 

事実を知れば知るほど、笑い者にはできなくなる人物が、マダム・フローレンスという人。彼女自身もその周囲も、“個人的な大人の事情”を大声で吹聴する必要もその気もないので、そのジレンマを一手に引き受けてるのが、夫であるシンクレア。

 

マダム・フローレンスに対する過保護っぷりが見もので、ここも笑いどころ。

 

対マダム・フローレンス用の紳士な面と、まったく紳士でない部分を同時に併せ持つ、シンクレアその人も複雑な人。どうしてこうなっちゃったのか。マダムに対する愛情の源泉は、彼女の財産にあるのか、それだけでもないのか。その部分をもっと掘り下げてたら、より納得できたかも。かもかも。

 

とにかく女性に対してマメな人。あるいは、誰かが恥をかくシーンに耐えられない、極端に繊細な人なのか。シンクレアという男性も、マダムと同じく相当に興味深い人物で、つい割れ鍋に綴じ蓋というフレーズが浮かんでしまう。。

 

会う人すべてにその事情をオープンにすることはできないけれど、間違いなく悪意や嘲笑の対象になってしまう人物や事態を、どう悪意から守るのか。

 

『偉大なるマルグリット』と『マダム・フローレンス!夢見るふたり』では、事態の収拾の仕方、決着のつけ方に、個性の違いがはっきりと現れている。

 

着地点をどこにもってくるのか。『マダム・フローレンス!夢見るふたり』の方が、収拾のつけ方がよりハッピーかつ、より高度、傷ついてしまうのは織り込み済みだけど、傷さえ優しく包み込むようで、こっちの方が好き。

 

芸達者なだけでなく、本来とっても歌唱力のあるメリル・ストリープが、素晴らしい歌唱力を封印して超絶音痴に徹してるから、いい。とっても歌唱力があるという事実を知らなければ、単なる音痴にしか聞こえないところに皮肉のスパイスが効いてる。

 

Youtubeもなければニコ動もなかった1944年という時代には、「好き」で音楽を貫けたのは、やっぱり恵まれた人。好きを貫けたとしても、“音楽とはこうあるべし”と、べしべしと、楽しんでもらいたいとただ楽しそうに歌ってる人の横っ面さえ殴りに来る。

 

べしべしが幅をきかせる時代には、楽しいや下手の横好きで引っ張る趣味の世界は、肩身狭いんだ。コミケに何万人も訪れる、趣味のマーケットが超巨大となった今とは隔世の感もあれば、ハイカルチャーの壁も高くそびえてる。

 

べしべしが小気味よく、聞き分けの悪い誰かの横っ面を引っ叩くのが心地よかったクラスが居心地悪く感じるようになった時は、ほんらい裾野が広がった時。

 

金と暇にあかせて調子っぱずれのメロディーを、カーネギーでさえ披露できるなら、俺・私はもっと上手に歌えるという人が、次々にステージに上がっていけばいいのさ。

 

彼女が、動画配信で気軽に同好の士と繋がれる時代に生きていたら、スーザン・ボイルにはなれなくても、ある種のキワモノとして人気が出たかもと想像すると、ちょっと楽しい。

 

楽しんでもらいたいと、楽しそうにやってる人。ただ笑い者にするだけでいいのかと戸惑いながら、それでもやっぱり笑わされてしまった。

 

夫であるシンクレアは「僕のためだけに歌ってよ」(注:そうすれば無用なトラブルとも無縁で心穏やかに暮らせるからな。。)と願うけれど、マダムの願いは夫以外の人のためにも歌いたいで、不協和音は不協和音のまま。最後まで音程を取り戻すことはない。

 

だからといって、そこに幸せがないとは言えず、最後はほんのりハッピーという、現実感のある落としどころで安心した。

 

感動の嵐に包まれるような、大きく感情を揺さぶってくる作品とはちょっと違うけど、これはこれでよし。皮肉と冷笑がたっぷり振りかけられた、『偉大なるマルグリット』より何倍も好き。

 

嘲笑や悪意は、時には社会にとっても有用となるけれど、ぶつけていいのは壁となって立ち塞がっている場合だけ。相手が卵なのか、壁なのか。すべての事実をオープンにするわけにはいかない状況で、壁と卵を取り違えたら、そこには後味の悪さしか残らなくなる。

 


とんでもなくオンチなマダムの物語!映画『偉大なるマルグリット』予告編

『偉大なるマルグリット』のカトリーヌ・フロと、『マダム・フローレンス!夢見るふたり』のメリル・ストリープと。どちらの音痴っぷりが際立ってるのか。見比べてみるのも楽しい。

 

お休みなさーい。

バイバイ、雪だるまのホテル

降るときゃ降る雪のせいで、いつの間にかすっかり雪景色。見てるだけなら、キレイ。雪道を行かねばならぬ時は、まじ勘弁。転ばぬようにペンギン歩きで、ポテポテ歩いてる。

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ビバ、ロードヒーティング。文明の利器はスバラシイ。ロードヒーティングなしの歩道は、歩きにくくてしょうがない。

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歩道の雪を融かすため、道路の中に温水などが流れるパイプ(その他イロイロあり)を埋め込んで、真冬の寒冷地でもラクラク歩ける仕組みさ。と、説明したところ、エコじゃないとかエレクトロニクスの国はクレイジーとか、散々バカにされたものだけど、どう考えても便利。

 

積雪に悩む国、例えばロシアなんかは積極的に取り入れたらいいのにと、かなり真面目に思ってる。低賃金の奴隷労働で、誰かに雪掻きしてもらうよりよっぽど文明的。超冷温にどこまで耐えられるのかといった周辺技術は、軍用機素材の開発にだって、転用可能で何かとお得。そんなことはまったく考えずに、雪道をテクテク歩く。

 

ひとの行き来が激しい横断歩道ほどツルツルで、滑るように歩いて転ばないようにする。

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札幌市中心部では、ジェントリフィケーションが絶賛進行中。古くからある建物が、またひとつ歴史を閉じていた。

 

大通公園ホテル」。

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看板の雪だるまが目印。大通公園北側という、超超超好立地にあるホテル。跡地はホテルになるのか、はたまたマンションとなるのか。今からその未来図に興味津々。泊まったことも、お世話になったこともないとはいえ、寂寥感も山盛りだけど。

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大通公園の写真を撮っているうちに、その存在に気付いたホテル。写真を撮っていなかったら、気付きもしなかったかも。かもかも。雪だるまの看板がやっぱりトレードマークだったらしく、閉館のお知らせにも「“雪だるまのホテル”として皆様より格別なご厚情を賜り“」との文言あり。

 

立地良しなわりには宿泊料金も良心的っぽくて、定宿にしてた人も居そう。古くからあって建物の減価償却はとっくに終わってるからこそ、良心的なお値段で運営できた、飲食店やその他。年々減りゆくばかりで寂しい限り。

 

外国人観光客の数は右肩上がりで、大通公園で行われるイベントは年々大がかりになっているのと好対照。

 

さっぽろホワイトイルミネーションも、キラキラ仕様に磨きがかかってきた。

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平日の夜だと観光客も少なくて、見やすくて歩きやすい。地面もツルッツルなので、マイペースで歩けないと、滑って転びそう。

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ゆるキャラ発見。愛想を振りまいてた。

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カラフルなドーム型のイルミネーションが、今のところいっちゃん気に入ってる。

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こういうツリー型もいいんだけどね。たいへん立派でインスタジェニック&フォトジェニックなツリー、台座には“冬期オリンピック・パラリンピックを札幌に“のスローガンありで、なかなかあざとい。

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インスタやSNSに写真をアップすると、少なからぬ人の目に“冬期オリンピック・パラリンピックを札幌に“のスローガンも拡散されるわけで、スローガン入りのものは大抵気合が入ってる。

 

右か左かの政治が嫌になったら商売、あるいは広告へとは言うけれど、何を売って何を広告するかも、じゅうぶん政治的。

 

お金もらったら何でも広告する無節操スタイルが、いっちゃん政治から遠いのは間違いなし。

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犬が喜んで庭駆け回りそうな、わざわざ誰も行かない、歩いてない場所を選んで歩く人多数。大勢が歩いた後はツルツルで、転ぶ危険もマシマシなのさ。

 

お休みなさーい。

シネマ歌舞伎『NEWシネマ歌舞伎 三人吉三』見てきた

シネマ歌舞伎で『NEWシネマ歌舞伎 三人吉三(さんにんきちさ)』見てきた。原作は河竹黙阿弥(幕末から明治の人だ!)作と古―い作品。現代風にアレンジ&ブラッシュアップすると、めっちゃカッコいいんだ。


シネマ歌舞伎『三人吉三』予告編

 3時間半の舞台を、2時間15分にギュギュっと凝縮。10巻完結のコミックを1本の映画にまとめたようなもので、シネマ歌舞伎はどれもそうだけど、これも濃い。伏線が何本も張り巡らされた、それでいてそのどれもがキッチリと回収される、複雑なストーリーが見どころ。

 

三人吉三巴白浪 | 歌舞伎演目案内 - Kabuki Plays Guide -

 

 こちらのキャラクター紹介には出てこない、「主も悪よのう。。」という台詞がぴったりな、悪徳代官様風の強欲な人物のもとに、名刀庚申丸と、その代金百両が届けられたところから物語はスタート。

 

縦糸になるのは、百両という大金。横糸になるのは名刀庚申丸。

 

金は天下の回りもので、グルグル回るこの大金百両が、関係者全員を引き合わせて、振り回す。振り回すのは大金だけでなく、将軍家より下賜されたいわくつきの名刀庚申丸をめぐっても諍いは絶えず、諍いが人の業や因果を明らかにしていく。

 

主役級の三人、和尚吉三・お嬢吉三・お坊吉三以外にも、夜鷹(←枕ありの夜職のこと)のおとせ、おとせと恋仲になる十三郎に其々の父親にその他大勢と、登場人物も入り乱れまくり。

 

誰が何をめぐって争って、何を欲しているのか。目まぐるしく展開するストーリーに置いてけぼりになった時は、大金と名刀に紐つけると、理解が進みやすい。多分。

 

天下の回りものである大金が、知り合うはずのなかった関係者を引き合わせて、ぶん回す。その様子は、アフィリエイトによる巨額のアフィリエイト収入が、攻守ところを代えて、関係者間をコロコロ行ったりきたりする様子とそっくりさ。

 

こっちに寄越せ、いや俺・私のもんだ。無くなったら生きてはいけませぬと、命懸けで取り戻そうとする様子、ほんとそっくりで醜いよー。諍いの元になるからと、いっとき預かることになった和尚吉三が、ストーリーの要で登場人物をつなぐ要。

 

彼がおとせと兄妹であったために、知らなくていい秘密を抱え込み、その秘密は地獄まで持って行くと決心したからさぁ大変さ。

 

三人吉三は、悪党が活躍するピカレスク・ロマン。

 

盗みに人殺しと悪事に手を染めまくっているけれど、それがカッコよく見えてしまう悪党のお話。三人揃ってチャンチャンバラバラの立ち回りシーンは、中村勘九郎中村七之助尾上松也の息もピッタリで、ただもうひたすらカッコいい。BGMまでカッコいい。歌舞伎なのに、サントラ欲しいと思ったくらい。あるのか知らないけどさ。

 

悪党が主役で「お日様の下では語れない」お話だから、舞台も暗め。

 

時折市井の人のシーン、子供の世話や煮炊きといった料理に他愛も無くお喋りに興じる姿が映し出されるけど、和尚にお嬢、お坊吉三の三人は、決して「生活」の中には入っていけない。

 

その生い立ちからも決して「生活」の中には入っていけない三人の姿は、行き場もなく深夜のコンビニにたむろするヤンキーにそっくりで、悲哀も漂いまくり。和尚吉三はなぜかぶっとい鎖のネックレス?を首から下げていて、それがまたヤンキーあるいはラッパーぽい。(←そういうファッションを何と表現するのか、語彙に乏しいだけです)

 

「お日様の下では語れない」お話だから笑いも必要で、セリフにもダジャレ多目で、ギャグ担当のキャラもしっかり登場。年食った夜鷹の三婆トリオは、そのまんまニューハーフショーでも通用するかも。かもかも。

 

お金と名刀に振り回されながら巡り合う関係者たち。実はずっーと前から切っても切れない“縁“で結ばれていて、百両の大金と名刀が、セットで揃うとさらなる不幸を招き寄せる。

 

チャンチャンバラバラの立ち合いシーンについ騙されそうになるけど、ストーリーはめっちゃシリアスかつ入り組んでいて、トーンも暗め。関係者全員が不幸になっていく、本来とっても救いのないお話なのに爽快感があるのは、景気のいい効果音とBGMのおかげ。ストンプみたい。

 

和尚吉三とおとせの父親である土左衛門伝吉から、おとせについての重大な秘密を聞いてしまった和尚吉三。家族の闇も深いのに、義兄弟といっていいお坊吉三とは、庚申丸をめぐって親の代から因縁のある間柄であることが判明して、こっちも八方塞がり。どこにも救い、“光”の見えない状態に置かれる。

 

ストーリーの要で関係者をつなぐ要でもある和尚吉三が、もはやこれまでと観念するところで、すべては反転する。暗闇から真っ白な世界へ。

 

舞台ではきっと最終幕だったに違いない、和尚吉三が捕えられ、お嬢吉三とお坊吉三が逃げ惑うのは、雪が舞い散る白銀の世界。季節は節分を過ぎた頃だから、雪が降っていても全然おかしくない。

 

景気よくヒラヒラと、真っ白な雪が舞い散るなか最後の大立ち回りを見せる三人の姿は、この作品の中で一番の山場で見どころ。そりゃもう、惚れ惚れとするほど美しい。

 

誰が悪かったのか、どこからやり直せばよかったのか。たらればなしでやり直しのきかない三人の生き様は、ただ哀れで美しくて哀しい。

 

そしてすべては真っ白になって、ジ・エンド。悪党と呼ばれた三人は、真っ白な世界でこと切れる。

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一回しか見てないからよくわかんないんだけど、最初しか出番のなかった八百屋久兵衛に、百両も庚申丸も託すヒマあったっけ???ここは動画で見直したいところ。

 

百両という大金と、いわくつきの名刀庚申丸がふたつ揃った時は、また新たな諍いが始まる時。そう勝手なエンディングでもつけて、蛇足を台無しにしておこう。

 

衣装はひびのこづえ。暗い舞台でも、真っ白な舞台でも、衣装が際立っていたのはそのせいか。着物の柄見るのスキーとしては眼福だった。

www.kabuki-bito.jp

 三人吉三は、何度も上演されている古典だけに、決め台詞もいっぱい。ここぞという決め台詞では、観客からの合いの手も飛び込んで、観客との掛け合いがよりいっそう舞台を盛り上げてた。「バルス!」で盛り上がるルーツ、意外とこの辺なのかも。かもかも。複雑怪奇に入り組んだストーリーを、堪能した。

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(これは記事とはまったく何の関係もなし)

お休みなさーい。

クリスマスツリー集め

今日から12月。カレンダーをほぼほぼ意識しない生活を送っているので、今日が映画の日だってことも忘れてた。

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感謝祭までいいでしょ、としつこく部屋を飾っていたカボチャとも、今日でお別れ。いや目につかない所に隠しただけなんだけど。。結構デカいカボチャだったので、処分が億劫で隠しただけの場当たり的な処置。遅々として進まない断捨離といっしょさ。

 

そのかわりにポインセチアを飾って、クリスマスに向かって気分を無理やり盛り上げる。

 

クリスマスに向けての飾り、ツリーとかキャンドルとかオブジェとか。ちまちま集めてきたブツが色々あるものの、そっちはのらりくらりと飾ったり飾らなかったり。別にキリスト教徒でもないからさ。

 

クリスマスリースか餅花か。季節に合わせての「しつらい」と気軽に考えればいいんだけど、どちらを見てもむかっ腹が立つので、月餅でも備えたい。

 

小雪が小雨に変わった今日は、手袋いらずの暖かさ。とはいえ、赤れんが庁舎の池には氷が張っている。池や川さえ凍る寒さが到来してるのは間違いなしで、南国からの観光客には珍しかろ。

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観光客向けの冬のイベント、ホワイトイルミネーションも始まったものの、寒さとの闘いで長居はできず。駆け足&ピンポイントでしか見てないから、全貌を知らず。いつでも行ける地元民なんてそんなもんさ。

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さすがに12月ともなると、クリスマスツリーもあちこちに出現してる。

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(大通ビッセのエントランスで見つけたツリー)

自分ちに飾るのは面倒&億劫だけど、道行く人の目を楽しませようと飾られたツリーを、じっくりとっくり眺めるのは大好きさ。

 

街で見つけたクリスマスツリーの写真なら、24枚集めるのも簡単かも。

 

メリークリスマスかハッピーホリデーか。どちらが適切か、判断のしようがなければ判断保留でツリーもあっさり仕様。メリーメリークリスマスと掲げるには、PCに配慮して遠慮が勝るのが今の状況か。

 

こいつは無印で見つけたもの。

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こういうクリスマスっぽいお菓子も好きさ。やってることは相も変わらず地味だけど、気分だけはキラキラと行きたいもんだね。

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(ライトアップされた北菓楼札幌本店)

 道行く人へのキラキラのおすそわけに、好感度もマシマシ。ついふらふらと、誘い込まれそうになるからキケーン。

 

今年のクリスマスケーキはどうしましょうと、そんなことだけで頭をいっぱいにしたいのさ。トナカイでピザを配達しようと試みたもの、トナカイの制御に失敗して断念という、オモシロニュースでもよし。

 

大通公園さっぽろホワイトイルミネーションは、クリスマス、12月25日まで。夜景写真の練習台にはもってこいだけど、風邪ひきそ。 

 

お休みなさーい。

二人が会ったからといって、何かいいことあったのか???『エルヴィスとニクソン~写真に隠された真実~』を見た

ヤクルトはそんなに好きじゃなくても、カップdeヤクルトならパクパク食べられる不思議。プリンよりも甘すぎず、ヨーグルトよりもおやつっぽいところがいい。乳酸菌が減ってようが、そんなことは無問題。美味しいは正義さ。

 

実話を大胆に脚色し、コメディに変えた『エルヴィスとニクソン~写真に隠された真実~』を見た。

 エルヴィス・プレスリーリチャード・ニクソン大統領。

 

ぶっちぎりの大スターと、ウォーターゲート事件でぶっちぎりの悪役となることが多い大統領と。この二人が、1970年に密かに会っていたという事実をもとに作られた映画。

 

事実をベースにはしていても、二人の会談に大いなる意味があったとはとても思えないという、後世の歴史家の判断を入れてか、コメディー仕立て。登場人物がゴージャスで、各々がニッコリ笑顔で微笑んではいても、そのタッグに意味なんかないことは、あやしい健康食品や胡散臭い宗教系でもお馴染みの構図。

 

会談の実現に苦労はしても、実現した会談に振り回されまくっても、「あらあらまぁまぁ、この二人で会談なんかしちゃってたのね」と後世の人の話の種にしかならなかった。話の種になっただけ、マシなのかもね。かもかも。

国立公文書館の画像資料の中で最多の閲覧回数を誇る写真とともに永遠に語り継がれる、キング・オブ・ロックンロールとニクソン大統領との面会に隠された、衝撃的かつユーモラスな語られざる真実の物語。(Amazonビデオ作品紹介より引用)

 1977年に急死したプレスリーは、1970年には35歳くらいか?キングと呼ばれるくらいだから、もう少し年食ってるかと思ったら意外と若かった。

 

さてそのキング、ミュージシャンとして大成功し、街を歩けば誰もが振り返るスーパースターとなっても、なんだかつまらなさそう。

 

レコードやコンサート、音楽だけで十二分に食べていける、幸福な時代のミュージシャンだから世間知ゼロ。一人では飛行機に乗ったこともなく、持ち込み禁止の拳銃と一緒に機上の人になろうとして拘束されたりする。

 

世間知ゼロがもとで数々のトラブルに見舞われるけれど、そのたびに“スーパースターの特権”を生かしてピンチを切り抜ける。ポリコレが遠くはるかなる時代だからこそできた、有名人ゆえの顔パスを生かしまくり。

 

顔がパスポートがわりの有名人相手でも、必要であれば身分証明書の提示を求める法の番人の方にこそシンパシー感じまくる手続き重視派。なので、ポリコレが機能してる時代に生まれてよかったと胸をなでおろした。

 

スーパースターの特権を生かしたいプレスリーは、“とある望み”を抱いて時のニクソン大統領との面談を望む。

 

今だったら、政府のメディア対策部門とプレスリー側の代理人が会ってゴチャゴチャネゴするところ、プレスリーが自力で大統領との面談を実現させようとするから、おかしい。自分の”顔パス”力を信じてなきゃできない所業の数々が、披露される。

 

世間知ゼロのスーパースターが、手続きや礼儀を重んじる大統領府に“スーパースター流“で挑むとどうなるのか。プレスリー本人はあくまで真面目だから、おかしさしかないんだ。

 

“とある望み”を抱いた動機も真面目。ふざけていればともかく、どこまでいっても真面目な相手なら、無下に扱うこともできないのさ。

 

大統領サイドだけでなく、プレスリーの付き人兼マネージャー的な人物も、振り回すだけ振り回して、君はそれで満足かいというオチもステキ。

 

ファンでもファンじゃなくても。国民誰もが知るスーパースターだからできた、無法で特別扱い。現代だったら不謹慎と、SNSでリンチに遭ってミュージシャン生命が危うくなりそうな出来事も、時代が変われば許されてしまう。

 

アーティストサイドの人は、スーパースターなら何でも許された、この時代への憧憬でもあるのかも。かもかも。スーパースターに向けられる眼差しの移り変わり。そういうものを知るのにもちょうどよし。

 

今だったらミュージシャンよりアスリートの方が、一般人への知名度も高く、キャーと嬌声で迎えられる確率もより高そう。

 

LINEブログで書く、有名芸能人・著名人の名前をほとんどを知らない。そっち方面への興味・関心が皆無な自分にとって、一体誰のためだったら不法行為さえ見逃せるだろうかと、ちょこっと考えたさ。

 

お休みなさーい。

こんなSFがあったら読みたい

今日も小雪がチラついて、明日の予報も雪模様。ゆっくりホワイトイルミネーションを鑑賞する、気力や根性も湧いてこない。

 

こんな記事を読んだ。

anond.hatelabo.jp

こちらは『ハローサマーグッバイ』や『たったひとつの冴えたやり方』に『ゲイルズバーグの春を愛す』が好みな、ジャケ買い派。これ書いた人におススメできるようなものは知らないけれど、こんなSFがあったら読んでみたい。最近のSFもラノベもまったく知らないから。

 

ジャンル的には「能力者」ものかな。

 

あるところに他人の考えが読めてしまう能力者「そいつ」が居まして、ターゲットとした対象者の私生活をつぶさに観察する。ターゲット対象者の脳みその中身が読めてしまうだけでなく、ちょっと気合を入れればターゲットに同化できて、対象者が見てるものや、今何をしているかまで丸わかり。

 

単なる観察、窃視にとどまらず、「観察日記」までターゲットの目にとまる場所にアップして、心理的ダメージを加えてくる念の入れよう。己の行為にどれほどの威力があるのか。効用・効果を確かめずにはいられないんだ。

 

「そいつ」は、他人の意識を遮断するには相当な気力を要するので、不特定多数がいる場所には長時間居られないタイプ。他人との関りを極端に避けつつ、特殊能力を生かして生活資金は十二分に確保している。

 

必要なのはターゲットを設定するリサーチ能力で、FacebookなどのSNSは絶好の狩場。決してSNSには登場しない政府要職系も、出身校をたどるなどしてターゲットにしてしまう。

 

一方ターゲットになってしまった「私」は、すべての私生活が見透かされていることに恐怖する。はじめは盗聴・盗撮といったインターネット犯罪を疑うけれど、カード犯罪など金銭的被害は皆無なので、警察に相談しても埒が明かない。

 

しかも、使用している器機には外部からの侵入の痕跡は認められず、盗聴や盗撮を立件することもできない。盗聴・盗撮が疑われる具体的なエピソードを明かすと、何らかのストーキング案件として相談した警察も同情的ではあるものの、パトロールを強化するくらいしかできることはない。

 

警察への相談・通報と同時進行で嫌がらせのレベルも上がり、「そいつ」は観察対象者の謀反にペナルティを与えるかのように振る舞い、「私」を心理的に追い詰める。と、同時に飴もチラつかせ、「言うことを聞けば苦痛から解放される」と仄めかしてくる。

 

「そいつ」は、不特定多数が居る場所には自分は出ていけない体質なので、依り代、スピーカーとなる人形を求めていて、人形になれと迫ってくる。

 

最初は恐怖したものの、そのうち怒りが勝るようになった「私」は断固拒否。「そいつ」は、人形にもなれないのならと、“誰もやりたがらないような仕事”にしかつけないよう、「私」の社会的信用を徹底的に貶めにくる。いわゆるレピュテーション汚染で、「私」のリアルな知人や近隣の人に、あることないことを吹き込んで、社会的に孤立させる。

 

この辺りは、「私」と「そいつ」の心理的攻防が、スリリングに描かれているとなおよし。

 

「そいつ」は今までにも同様の手法で、生身の人間を何人もスピーカーがわりに依り代としてきていた人物。不用になった場合の処分の仕方も、すっかり手馴れたもの。

 

ところが「そいつ」は過去に同様の手法を使い過ぎたため、一部では「あの人変だよねー」と、すでに噂になっていた。

 

流れ込んできた他人の見たもの聞いたものを、無意識にわがことのように語る、あるいは目につくところに書き込むことにより、「そいつ」のリアルでの居場所がなくなっていく。

 

「そいつ」にとっては、流れ込んできたものは吐き出さずにはいられないほど「不要なもの」で当然の行為なのだけど、その当然の行為ができる場所が次々に閉鎖、あるいは使い物にならなくなっていく。吐き出すことができる場所が減り、観察日記もひと目につかないよう隠されることが増えて、「そいつ」の精神のバランスが徐々に崩れていく。

 

強者が強者のままというのはやっぱりお話としてメリハリに欠けるので、圧倒的強者だったはずのものが強者でなくなるというのは、お話に欲しいポイント。

 

一方「私」は、口にさえ出してない、どこにも痕跡さえ残してない「思考」まで読み取られていることに気付く。もしかしてと実験を試みたところ、以前のように暴れ回ることができずに意気消沈していた「そいつ」は「私」に、その見立ては正しいと観察日記を通じてメッセージを送ってくる。

 

ところで「私」は、山川草木に魂が宿って、器物百年を経て化して精霊を得てよりといった、少し不思議に親和性があったので、特に驚かない。そういうこともあるやろう以上の感想が、出てこない。

 

アルコールやドラッグに逃げて、勝手に自滅していった過去の不用になったお人形と違い、「私」は少し不思議、あっても不思議じゃないで思考停止しているので、廃人になるまで何かに依存するこがない。

 

そういうこともあるやろう以上の感想は出てこないけれど、対策のヒントは得てしまう。

 

考えたことが相手に筒抜けになるのなら、物騒なことを考えるだけでも相手にはダメージになるかもと考える。

 

徹底的にネガティブな、攻撃的なことで脳内をいっぱいにする。ターゲットは「そいつ」。

 

思考が刃となって「そいつ」を傷つけることに「私」は満足するけれど、同時に行為の無意味さにも気付いて、「私」は熱心になれない。

 

人の思考が読めてしまう、どこまでいっても自分と他人は違うという、異形のものに生まれついた恨みや、人に受け入れない怒りや悲しみ。そもそもネガティブ要素でいっぱいの「そいつ」に、さらに傷をプラスしたところで「私」にとって意味はない。

 

クリアーであること。清明であること。

 

恐怖も怒りも「そいつ」にとってはいつものことで、向けられる恐怖や怒りを糧にしている気配さえあるのだから、真逆であることこそ「そいつ」にとっては想定外でイヤなこと。

 

クリアーであり清明であるために、何も考えていない状態の時には「踊る子豚」をイメージし、目にするものはすべてピースフルなものにする。

 

恨みにも怒りにも悲しみにも寄りかからない。

 

その境地に至ったところで、「そいつ」はもう「私」には観察対象としての興味を失う。

 

もっとネガティブパターンのバッドエンドも想像したけれど、ネガティブパターンのバッドエンド、好きじゃないからこの辺が限界。

 

カクヨムでやれよ案件かもだけど、こんなのたまーにしか思いつかないから、やる意味なし。

 

Gene Mapper -full build-』や『アイの物語』も面白かったけど、読んでみたいのは『オリクスとクレイク』。誰も望まなかった未来に後悔とともに生きる人の姿は、反面教師にもってこい。

オリクスとクレイク

オリクスとクレイク

 

 お休みなさーい。