クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『グランド・イリュージョン』と豆のポタージュと

花粉飛び交う関東の陽気か、3月とはいえ小雪が舞う北の国か。羨むべきはいったいどちらか、花粉も雪もカンケーない南国にでも高飛びしたい。

 

舞い散る小雪のせいで、外出意欲はすみやかに減退。99%捨てるものしかないクローゼット整理は遅々として進まず、引っ越し以来封印されていた段ボールをひとつ開けたところでうっちゃり。

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(これは気分転換で作った、豆のポタージュ)

こういう気分の時はB級映画さ、と『グランド・イルージョン』を見る。

 世紀のマジシャン4人組が主人公の、劇場型犯罪おバカ系。ショー要素が満載で、頭使わずに楽しめる。劇場型犯罪とはいえ、根底にあるのはマジックへの「愛」だから、爽快とか、痛快とかスカッとするという単語がよく似合う。

 

マジックショーの最中に、遠くパリの金庫から消えた札束の行方を筆頭に、衆人環視の中で繰り返される劇場型犯罪。翻弄される警察と、警察をあざ笑うかのように犯行を重ねるマジシャン集団フォースメンの対決が、ルパン三世スペシャル版っぽいストーリー。

 

実はフォースメンも姿の見えない黒幕の指示で動いていて、彼らを陰で操る人物は一体誰???というのも重要なポイントで、観客を飽きさせない盛りだくさんの趣向がかえって目まぐるしすぎて、途中で飽きてしまった。これは個人の感想です。

 

アトラクションいっぱいのテーマパークに行ったところで疲れしか感じない。池でボートくらいのアドベンチャーでいいやと思う人間にとって、頭使わないアドベンチャーは、やっぱり退屈の方が勝ってしまう。

 

マジックショーは、映画で見るよりラスベガスかどこかのショーで実際に見た方が面白そう。

 

マジシャンの人、かつてはテレビでもよく見かけたものだけど、近頃さっぱり見掛けないのは、ショーに出た方が稼げるからか。ファンでもない人に難癖つけられる可能性のあるテレビよりも、イルージョンに素直に感心してくれるファンがいるショーの方が、そりゃいいやね。

 

マジックの種明かし、手の内もところどころ明かしつつ、映画は進むよフィナーレに向けて。難癖つけて、愛のあるマジック、イルージョンの世界をぶち壊す無粋な者への抗議と制裁もしっかり織り込みながら。

 

娯楽大作は、映画館の大きなスクリーンで見た方が、魅了されやすくイルージョンの世界にも浸りやすい。もひとつノレないという感想になったのは、手のひら視聴という環境も大いに関係あり。

 

原題の『Now You See Me』というタイトルがカッコいい。

 

ハデハデ~なマジックショーは、ライブでこそ見たくなる。例年2~3月は、もっとも映画館から足が遠のく季節。春よ来い。

 

お休みなさーい。

 

ケイシー・アフレックがオスカーを獲ったので『セインツ-約束の果て-』見た

ケイシー・アフレックが、アカデミー主演男優賞受賞\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

 

お兄さんのベン・アフレックに比べると、日本人的には地味な印象のケイシー・アフレック。派手派手な作品よりも、じっくりと腰を落ち着けて鑑賞するような人間ドラマの方が、彼の持ち味が出るのかも。かもかも。

 

『セインツ-約束の果て-』も、地味な人間ドラマ。銃をぶっ放すシーン多目で出血多量ではあっても地味。

セインツ ―約束の果て―  Blu-ray

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 (Amazonビデオ入りしてた)

映画公式サイトによると「もうひとつのボニー&クライド」とのキャッチコピーで紹介されているこの作品では、ケイシーが『キャロル』のルーニー・マーラと、離れ離れになっても求め合う夫婦役を演じてる。

キャロル(字幕版)
 

 ボニー&クライドは、映画史に残るラストシーンで有名な『俺たちに明日はない』のならず者カップルで、クライドを演じたのは、ウォーレン・ビューティ(あるいはベイティ)。

 アカデミー作品賞を『ラ・ラ・ランド』と間違って発表し、ぬか喜びをさせるという世紀の珍事を演じたプレゼンターその人。耄碌したとみせかけて、実は確信犯だったとしても驚かない。どこまで本気かわからない、悪ふざけが似合う人。迷惑だけど。

 

さて『セインツ-約束の果て-』は、ケイシー・アフレック演じるボブとルーニー・マーラ演じるルースの、痴話げんかシーンから始まる。

 

互いの他には何も持たないならず者同志、強盗などのイリーガルな仕事で生計を立ててきた二人だから、その結びつきはめっちゃ強い。

 

ルースの妊娠をきっかけに、「これで最後」と足を洗うつもりで挑んだ仕事でヘマをして、ボブは仲間を失い、牢獄へと送られる。一方のルースは女の子を出産し、ならず者から“よき母親”へとジョブチェンジに成功してる。

 

ルースの環境には変化が訪れたけど、牢獄のボブは、ルースと一緒だった時の“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのまま。ルースとまだ見ぬ娘への愛情を生きるよすがに、検閲を受けながら手紙を書き続けてる。

 

牢獄という閉鎖環境で自分を見失わないよう手紙を書き続ける静かな姿も、強盗上等のならず者という姿のどちらも板についているのが、ボブ。粗暴さと紳士な面をあわせ持つ二面性ある人物をつなぐのは、ルースへの深い愛情で、そこには違和感もなし。

 

誰かを深く愛している人は、その人のためなら冷酷非道にだってなれるから。

 

家族恋しさに脱獄したボブは、ルースと娘の元へと戻ろうとするけれど、その前に立ち塞がる男性がふたり。

 

ボブとルースの育ての親とも言えるスケリットと、保安官のパトリック。パトリックは、ボブが牢獄へ入ることとなった事件で、ボブに撃たれた人物。事件関係者であるルースを見守るうちに、ルースに好意を抱くようになった人。

 

ボブは家族を取り戻そうとするけれど、家族を失った男スケリットは、ルースとその娘を疑似家族として大切にしていて、ボブがルースの元に戻ることを許さない。ついでにボブがスケリットたちから、悪事で稼いだ金をかすめ取っていたことも許さない。

 

何としてでもルースの元に戻り、新天地でやり直そうとするボブを、徹底的に妨害する。

 

ボブはルースに会えるのか。パトリックの好意を承知しているルースは、ボブを待ち続けることができるのかが、見どころ。とはいえ正直メリハリに乏しくて、ハラハラドキドキ感には欠ける。

 

1970年代のテキサスという荒涼とした土地には、手に汗に握る展開よりも、地を這うように暗-い描写の方がよく似合ってる。

 

再び会える日まで、届くかどうかもわからないまま、ボブは手紙を書き続ける。手紙が来なくなる日が、二人の再会の時となるのか。

 

“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのままで突っ走るボブには、「生きてこそ」という視点が欠けている。「生きてこそ」という視点が欠けているから、無茶ばっかりする。

 

一方母となったルースには、娘という未来につながるものがあるから、刹那や破滅に向かって無茶することはない。

 

互いに求め合う気持ちに変わりはなくとも、歳月は特にルースを大きく変えた。

 

刹那や破滅に向かってともに手を取り突っ走れるのは、人生の中でほんの一瞬。ほんの一瞬訪れた、“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのままで突っ走ったボブは、ある意味幸福なままだったのかも。

 

ケイシー・アフレック、シリアスな顔になるとベン・アフレックの面影が強くにじみ出てくる。彼の方が優し気ではあるんだけど。

 

ゴーン・ベイビー・ゴーン』もそうだけど、シリアスな役柄を演じることが多い気がするケイシー。地味な役をきっちり演じ切ってきた成果が、オスカーなのかも。

 とにかくめでたい\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

 

お休みなさーい。

デジタルといえど儚し

ジェニー・ガースと検索したら、シャナン・ドハーティとサジェッションされた。グーグルさん、いい仕事し過ぎ。

 

ついでにサンタナ・ロペスことナヤ・リヴェラと検索したら、ブリトニーことヘザー・モリスがサジェッションされるのかと思いきや、グーグルさんのおすすめは、リア・ミシェル。確執がある(と言われている)取り合わせをサジェッションしてくるなんて、グーグル、やっぱり邪悪やん。

 

ついでに日本語だと、シャナンは悪口言われまくりのゴシップが目立ち、ジェニーの方はそうでもなく優等生扱い。英語だと、両者とも本人のインスタやtwitterが上位にくる。

 

ビバヒルのケリーことジェニー・ガースのインスタを見ると、現在も幸せそうでひと安心。真実はどうあれ、ジェニー本人が見せたいと思ってる世界観で、ファンは満足さ。シャナンはシャナンで、いいことばかりでもない彼女の世界を率直にリリースしていて、そこがまたシャナンらしくていい。

 

大昔の邦画ならいざ知らず、今も昔も映画やドラマは海外志向。日本の芸能界にはびたいち興味ナシで、名前と顔が一致しないケースも多し。テレビ、特にCMになると、「この人誰?」を連発してる。ハリウッドやその他、海外進出した時にだけオッと思う程度。それ以外は超超有名人以外知らない。

 

ほぼ自分の興味あるフィールドにしか関心を持たないと、こういう風になる。

 

ニュースアプリのスマートニュースは、サイゾーが最も読まれているサイト。そのせいか、デフォルトの設定では芸能ニュースが多い。だから、芸能ニュースが極力目に入らないよう編集してる。サイゾーが最も読まれてるニュースアプリだからな、ここは。という認識で、他に読むものはないのか物足りないと思った頃に、新しいサイトが逐次投入されるという、ステキ設計。

 

欠乏感と充足感と、その繰り返し。

 

ずいぶん前に観たドキュメンタリー映画、そろそろ動画になってるだろうと思ったら「コンテンツ提供者との契約により、現在提供しておりません」とのつれないアナウンス。

 

例えデジタルデータとなっても需要が少ないものは、儚いものよ。

 

一度観てるからいいんだけどさ。そもそも需要が少ないものは、公開時に観ておくのがもっとも確実。見逃したらもう当分は見られない。

 

もういまさら好みは変えられないし、変わらない。好みのものの供給方法、一見選択肢が広がったようでそうでもないみたいなので、供給に合わせて需要、視聴する方も防衛策を考える。

 

お休みなさーい。

安全安心

お金の匂いがしない場所で、いつまでたってもカネカネカネと唱えてる人には、いったいどんな理由があるのか。お金の匂いがする場所にはいけない、何らかの理由があると考えるのが普通。

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“ネット、楽して金儲け、お手軽“なんてワードで、検索したこともない。虚業に頼るよりも、実業の世界の方が安定して収入が得られることくらい、よーく知ってる。ついでに、今やネットは楽してお金儲けができる場所なんかではないことも、よーくわかってる。

 

だから、お金の匂いがしない場所に最後まで残り続けるのは、結局はお金カンケーなしな人が残るはず。なんだけど。。どうなりますことやら。

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消去法で、ブログは自分のために書く、ただ書くことや記録を残すことが好きな人しか残らない場所になるはずでもあるんだけど、そのあたりもビミョー。書く場所を借りている、レンタルブログという性質上、無くなるのなら別のどこかに移るだけ。

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土地が有り余っているど田舎ならいざ知らず。安全や安心と引き換えに、お金払ってスペースを使うことに、何の疑問も抱いてないから有料プランにしてる。安全性がいや増してるのかどうかは知らね。

 

ありとあらゆる手段でイヤガラセしたい人が、一人なのか多数なのか。しつこく湧いてきてうんざりする。ありとあらゆるSNSがクリーンになるなか、誰にでもわかる形で表立ってのイヤガラセはできないから、その手法はより陰湿になるだけ。あほくさ。

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雪のない季節はどうってことのないありふれた景色だけど、雪が降ると途端にフォトジェニックになるのが、支笏湖周辺。雪が残ってる間にもう一度くらい行きたいと思っていたけれど、思うように予約が取れなくて、結局今シーズンは再訪がかなわず。

 

新千歳空港にも近くて、おもに中国人向けの別荘地として開発されたとかなんとか言われてる場所にも近いのかも。ニセコはきっとアジア人、特に中国人が進出するには、もう遅すぎるから、そこよりも不便かつ未開発な場所なら、さもありなんと思ってしまう。

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札幌近郊はそこそこインフラも整っていて、かつ少子高齢化が絶賛進行中だから、外国人が増えても不思議じゃないところ。適度にインフラも老朽化しているから、最新のテクノロジーを試す場所としても向いている。パトロン、資金提供者さえ見つかれば。

 

実験、すればいいじゃんと思うけれど、過疎ってるエリアは概して保守的だから、「ふれあい」とか「思いやり」という文脈から外れたハードランディングは、うまくいきっこない。

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あなたは被験者、あるいは実験動物です、大いなる指示者に従ってくださいと強制されたところで、そんなの知るかとそっぽ向くだけさ。

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繋がらなくてもいい人と繋がるようになったネットで、何度振りほどいても距離を詰めてくる人は、圧倒的に仲間が少ない人。口汚い人は好きじゃないし、他人を道具扱いする人も、好きなものについて語らず嫌いなもののことしか語らない人も好きじゃない。

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インターネットは、好きなものについて語っていたら好きなものが寄ってくる場所らしいけど、友人・知人を増やすために、好きなものについて語ってるわけじゃない。好きなものについて語ることが好きだから、時々馬鹿げた長文書くだけ。

 

好きなものについて話すよりも、好きなものについて書かれたものを読む方が、圧倒的に楽しいだけ。

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公序良俗に反せず、好きなことについて書くためのスペースとして、この場所は使っていくだけさ。

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お休みなさーい。

レモンティーケーキと『八十日間世界一周』と蜂蜜と

レモンティーのティーバッグで作ったから、レモンティーケーキ。

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15㎝スクエア型のケーキに、ティーバッグ4パック+αを使ってる。それでもレシピの半分で、紅茶使用量は控えめ。飲み物はコーヒーを合わせるべきか紅茶を合わせるべきか。どっちでもいいんだけどさ。

 

「今日すべし」と予定していた事柄をサクサクと消化し、非常に満足した気分で迎えた夕方に、大惨事発生。キッチンの床に大量の蜂蜜がこぼれだし、床がねちょねちょに。蜂蜜の妖精の怒りでもかったかな?という勢いで、ねちょねちょネットリ。

 

蜂蜜好きなもので、買い置きしていたのは2キロはあるかという大量の蜂蜜。その過半が流れ出し、拭っても拭いてもねちょねちょ。最後はお風呂掃除用のバスマジックリン(スプレー式洗剤が、それしかなかった)の助けを借りて、どうにかした。化学合成洗剤、スバラシイ。

 

家に籠っている時、以前はラジオをよく聴いていたけれど、近頃は録画した紀行番組を環境用BGMがわりに流してる。音声はごく控えめ。人生で一度は経験したかった白夜を経験してからは、世界のどこに対しても表面的な興味しか持てなくて、紀行番組を見ながらどうしても見たい・行きたくなる景色を探してる。

 

どうしても見たくなるような景色はたいていアドベンチャー系で、険しい山の中だったり、現地の人でさえ足を踏み入れるのが難しそうな秘境系だったりで、ちょいと行ってきましょうかな景色は、なかなか見つからない。

 

文字情報も映像も溢れてるから、何を見ても「どこかで見たよう」な気になってばっかり。知らない街のことこそ知りたいと思ったとき、思い出したのが『八十日間世界一周』。ジュール・ベルヌが、1872年に発表したユーモア小説。

八十日間世界一周(上) (光文社古典新訳文庫)

八十日間世界一周(上) (光文社古典新訳文庫)

 

 

八十日間世界一周(下) (光文社古典新訳文庫)

八十日間世界一周(下) (光文社古典新訳文庫)

 

 日本では明治がはじまったばかりの頃。「世界一周は80日間で可能」なことを、証明するためだけに世界旅行に挑戦する、イギリス紳士のお話。イギリス紳士の原型イメージは、『八十日間世界一周』とネビル・シュートの『パイド・パイパー』から出来上がってる。

 

寡黙で、名誉と信義を重んじる。いつも背筋をしゃんと伸ばし、愚痴っぽいことは決して口にしない。そんなイメージ。本物のイギリス紳士なんて一人も知らないし、本物のイギリス紳士じゃない人は、泣き言言いたい時には、グチグチ愚痴っても一向に構やしない。

 

寡黙なイギリス人紳士フォッグ氏と旅するのは、陽気なフランス人下僕パスパルトゥーで、正反対なふたりによるバディものとしての楽しさもある。

 

折悪く起こった銀行強盗と勘違いされ、フォッグ氏を逮捕しようとつきまとう、フィックス刑事も交えての世界一周の旅。その当時の人から見たエキゾチックな街の景色や風習、旅の苦労や当時最新あるいは現地ならでは旅の乗り物も追体験できて、すごーく趣向の変わった旅番組でも見てるような気になった。

 

世界のどこに行ってもスタバやマクドナルドがある現在からすると、エキゾチックさ満点で、そこでしか経験できなさそうなイベントにあふれてるから行ってみたさも湧いてくる。

 

日本人どころかアジア系でさえひとりもおらず、それでいて身の危険は感じなかった外国の地下鉄が精一杯で、そもそもアドベンチャーにまったく向いてないんだけどさ。

 

どんなトラブルに直面しても、フォッグ氏はすべてお金の力で解決しようとする。言い換えれば、お金さえあれば思想信条を問わず、外国人だろうと何とかなる世界を旅してるってことで、現代に比べて国境のハードルは飛び切り低い。セレブであっても入国禁止を食らうこともある、現代の方が国境のハードルは高いかも。かもかも。

 

世界旅行する人、西洋から東洋への個人旅行がとびきりマイノリティーだった時代だからこその読み物で、日本も登場。ところどころ間違ってるけれど。

 

イザベラ・バードが『日本奥地紀行』のもととなる、日本旅行をするより前に書かれた『八十日間世界一周』で、ジュール・ベルヌが日本を描くのに参考にしたのはやっぱりアーネスト・サトウあたりになるのか。

 

イトウの恋 (講談社文庫)

イトウの恋 (講談社文庫)

 

 

  ジュール・ベルヌ自身の体験をもとにしたというよりは、資料を読み込んで書かれたもの。資料が豊富だったと思われるエリアの描写は細かくて、そうでない場所はそれなりなところにも、当時の世界観が垣間見える。

 

子ども向けの読みもので出逢ったのが最初だけど、大人向けになると脚注による補足事項も豊富で、間違いは間違いとして正してあるところがいい。現在価値に換算すると、本当に馬鹿げた大金を投じていて、呆れ返れる。酔狂な賭けに本気で挑む、暇もお金も持て余した人のべらぼうさは、大人になった今の方がよくわかる。

 

暇もお金も持て余した人が賭けに夢中になるのは、今も昔も大して変わらない。大博打に成功したら、また法外なお金が転がり込んできて、またまた退屈な日々に戻りそうなところ、そうではないラストを持ってきてるところもいい。

 

冒険のあとに日常に戻ること。指輪物語でもひとつのテーマだったけれど、古今東西を問わないテーマで、それだけ成し難いんだな、きっと。

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お休みなさーい。

邦題が残念すぎる、『マネー・スキャンダル 破滅への欲望』見た

原題は『EQUITY』。株式や正当な権利、あるいは公正・公平を意味する単語で、その方がゲスっぽい邦題よりもずっと内容に即してる。

 ウォール街投資銀行でタフに働く女性ナオミを筆頭に、ガツガツ働く女性を描いた作品。映画というより、テレビドラマっぽい。有名な女優も俳優も出てこないのに、ストーリー、内容の面白さとスピィーディーさで引き込まれた。

 

登場するのは、「仕事こそわが人生」タイプの女性たちばかり。成功のモチベーションは「お金」と言い切り、女性が野心を露わにして何が悪いのさ?と120%仕事に生きる姿が描かれる。

 

煎餅かじりながら、別世界バリキャリの世界を垣間見る。ロースクール出身者だったり、バリキャリらしいバリキャリ(この言葉もたいがい古いんだけど、他に適切な言いようがないのでしょうがない)が、ガツガツ働く姿だから、好感度大。

 

お金はあって当たり前。お金を稼ぐことよりも、「お金を稼ぐ仕組みの中に身を置く」のが楽しい人たちのお話。お金そのものよりも、お金を稼げる人との評判が、彼女たちを別世界、あるいは新しい世界へと連れていく。

 

景気よくお金が循環する世界に生きてる人たちは、そんなことなんてとっくに承知。誘惑や魔の手も多い業界で、誘惑や魔の手に負けずに「より稼げる人」との評価を得ようと、がっつくナオミ、年齢不詳。若くないことだけは確か。

 

用意周到かつ細かいところにもよく気が付く観察眼に優れた人で、『プラダを着た悪魔』のメリル・ストリープほど、部下を振り回すこともない。業界の違いっちゃそれまでだけど。

 

IT企業を次々に上場させてきたナオミだけど、前回のIPOではケチがつき、負けられない戦いに挑んでる。気合じゅうぶんなナオミだけど、ナオミをさらなる高みへと行かせたくない勢が、地味に足を引っ張りに来る。

 

公正、フェアであることにこだわるナオミと、正攻法では勝ち目がないからアンフェアな罠を仕掛ける側と。そのあたりの駆け引きが、男と女、上司と部下、あるいは旧友との間でさえ繰り広げられ、気の休まる暇もない姿を描き出す。こりゃ疲れるわ。

 

こんなのやってられないという時の、アンガ―コントロール方法もしっかり身につけて、それでもままならないのは、関係者各位にもそれぞれの思惑があるから。

 

アンコントローラブルな出来事を、コントロールできたら喜びもひときわ大きくなるってもんで、アドレナリンも盛大に出てそう。

 

カードが次々に裏返り、時には打つ手なしと絶望さえ味わうような業界なのに、なぜ魅せられるのか。その答えはやっぱりマネーで、「よく頑張ったね」というご褒美が目に見える形で提示されるから、納得感も大ありなんだな、きっと。

 

努力することに、迷いも疑いも持たない。そういう人種が、正当な報酬めざしてタフに働く物語だから、ウォール街という遠い世界のことでも共感する。

 

努力、頑張ることに迷いも疑いもなければ、そりゃ前のめりに働きますわな。

 

今どきのウォール街がどんなものなのか、さっぱり見当もつかないから、ステレオタイプでタフな女性たちの競演が、かえって面白かった。ちょうどいい息抜きで、動画配信に求めているのは、ライトでいて満足感のあるこんな作品。

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(これは金柑のシロップ漬け)

 

お休みなさーい。

『ダウントン・アビー5』が終った

よそではもう桜や菜の花が咲き、春一番も吹いたとか春の便りが聞こえてくるけれど、北国の春はまだ遠し。

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最高気温も最低気温も零度以下という真冬日で、小雪さえ舞い散るありさまさ。2月もあと一週間ちょっとで、2月は逃げるを実感する。観光客も居なくなり、観光都市とはいえ、3月はもっとも閑散とする季節かも。

 

雪国ならではの景色を見るために遠出する気にもなれないのは、雪景色に新鮮味を感じなくなったから。つまりは飽きた。すでに指折り数えて、アクティブに動き回れる季節を待ち望んでる。雪道を運転できないのが、すべての敗因さ。行動範囲が限られるから。

 

ダウントン・アビー5』が終わってしまった。1週間おきというサイクルがちょうどよくて、唯一楽しみにしていたドラマなのに。動画配信では海外ドラマも見放題だけど、その気になったらぶっ通しで見れてしまうので、ありがたみなし。

 

適度に待たされるのがいいのさ。

 

主要キャラクターはどんどん卒業していき、次のシーズン6では、バイオレットとイザベルのおばあさまキャラ二人の存在感が増すばかり。登場人物の平均年齢も大幅に上昇してそうなところ、孫キャラの登場で平均を押し下げる。やっぱり平均値は信用ならねぇ。

 

最後までお付き合いする、残る視聴者も「退屈に強い」タイプできっと老成してるから、結局はお互いさまなんだけど。

 

リアリティ番組は好きじゃないから、リアリティ番組臭がうすいドラマが見たいけど、そうなるともう、動画で昔のドラマを探す方が早いのかも。時代劇どっぷりの老人みたいに、古っーいドラマや映画を漁りそうになるのでよくない傾向。

 

厳冬期の北国でさえなければ、もう少しアクティブに動き回ってるさ。

 

行くところは商業施設ばかり。

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田舎寿司。全国うまいもの市みたいなイベントで手に入れた。これ、ネットで見たことある奴や、と素直にお買い上げ。ネットで知名度を上げて、その後、イベントに出して露出を高めていく。正しい地方創生の在り方って感じー。

 

美味しい。ひと口で食べるには難儀するけれど、ネタの味付けが上品であっさりとしているから、パクパク食べられる。薄味なのにしっかり味の染みた煮物。自分では作れない&下手と自覚してるから作らないので、より美味しく感じる。

 

ゆず酢のきいた酢飯が、特に美味。

 

しょうゆなしなところもヘルシー。外国人に煮物、だしの味がどこまで受け入れられるのかわからないけれど、ヘルシーなものを食べたい欲求が強い人にウケが良さそう。

 

魚や肉を使ったお寿司、今や海外でも珍しくないみたいだから、「日本ならでは」の食べ物となると、じーさんばーさん系になるんだな、きっと。

 

じーさんばーさん系の食べ物、むしろ好物なので、コンビニやスーパーでも手に入るようになるといいな。

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イベント便乗型商品より、食指も動きやすくなる。(でも買ってるんだけどね、結局)

 

お休みなさーい。