クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

これでも弥生三月

今日から三月。雛祭りまであともうちょっと。

 

とはいえ北の国は、これから本格的な冬の始まりかな?と錯覚する、数年に一度レベルの荒天で、札幌でも朝からずっと雪。そろそろ地肌が見えそうだったベランダも、ご覧の有り様。

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不要不急の外出は控えてとの警告に素直にしたがって、大人しく過ごす。

 

北海道は猛吹雪、沖縄は地震と、春の始まりは波乱ぶくみ。

 

女性の社会進出の歴史は、過去にはできなかったことや当たり前ではなかったことが、今では当たり前になるという営みの積み重ねで、今さらもう不自由だった昔には戻れない。とはいえ人口逆ピラミッド型の日本では、女性の社会進出が今のように当たり前ではなかった時代の記憶濃厚な女性の数の方が多い。

 

私たちの時はもっと大変だった、苦労した。なのに。。という数に勝る人たちの不満を封じ込めるには、窮屈でも法やルールで縛るしかない。逆に言えば、法やルールで縛って対抗策を講じない限り、少数者は際限なく負け続けてイヤな思いをさせられる。

 

『ザ・タウン』という映画は、ベン・アフレック率いる覆面強盗集団に銀行の女性支店長が誘拐され、誘拐したものとされたものとが恋に落ちるという、ありえそうにないストーリーで展開するアクションムービー。

 

誘拐された方は、親しくなった相手が強盗とは知らないまま相手と知り合うので、思ったほど荒唐無稽ではなかった。地元で生まれ育った青年は覆面強盗で生計を立て、よそからやってきた同世代の女性は、若くして銀行の支店長というポジションの対比が何より印象的だった。

 

舞台はボストン近郊のチャールスタウンで、恐らく女性は高学歴者。勤務する銀行には年配のオジサンも大勢いるのに、大勢いるオジサン達を差し置いて支店長は若き女性だから、きっと高学歴者なんだと類推した。

 

その光景を、当たり前と思えるかどうか。

 

フィクションの中とはいえカチンとくる人は、女性の社会進出を心底では歓迎していないと思えるかも。男性でも女性でも、エリートというだけで若造がトップになるのがカチンとくる人は、覆面強盗となる地元の若者によりシンパシーを感じそうで、いざという時にはこっそり彼らの味方になってそう。

 

地元を離れられない男性にとって、強盗こそがわりのいい仕事になり、よそから来た同世代の女性は、本来彼らとはまったく交わらない世界で生きる。地元を離れられない女性とよそから来た同世代のリッチマンによるシンデレラストーリーはあっても、その逆は少ない。

 

少ない理由のひとつは、女性の方が社会的で、同性の目や評判をそれだけ気にするからとも言える。

 

正攻法、誰に聞かれても恥ずかしくない仕事で稼ぐ、若くてリッチな女性は都会では珍しくもないけれど、地方や郊外に行くほど、その数は少なくなる。ただでさえ少数派で目立ちがちな女性が、好んで噂のタネになるような話題をさらに提供する義務もなし。

 

という心理的ストッパーも、働いてるかもね。

 

それなりに能力も高く、(不幸なことに)人望もあって土地に縛りつけられるベン・アフレックレベッカ・ホールの本来始まるはずのなかった恋愛は、仁義なき戦いもどきの死闘を経て、穏やかな幕切れを迎える。

 

何事もなければとっくに後にしていた、いいことも悪いことも詰まった故郷で、本当は穏やかに暮らしたかったというラストは、すこし寂しいけど清々しくもあった。

 

涙をビジネスに変えられるのは映画だけとか言う人もいるけれど、涙をチャリンチャリンとお金に変えるビジネスシステムのために、誰かの涙を次から次へと必要とするなら興覚めもいいとこで、ちっとも清々しくないやね。

 

お休みなさーい。