日本で異常に現金使用比率が高いのは、結局のところ他人を信用できない日本人の国民性に行き着くと思ってる。
ニコニコ現金払いにタンス貯金なら、データの改ざんを心配することも個人情報が抜き取られる危険性も極小。
メリル・ストリープの『幸せをつかむ歌』で、メリルはスーパーのレジ打ち役を演じてた。カード払いを受け付けるだけでなく、ついでに20ドルくらい口座から下ろしたいとの客のリクエストに応え、お金を渡してた。スーパーのレジにATM機能が備わりつつあることを示すシーンで印象に残ってる。
ATMというマシンがなくても、ATM機能が備わったものであればスーパーのレジでも信用するものなんだ、と印象に残った。
一方では小切手がそれなりに通用するアナログ社会であっても、そこからキャッシュレス社会まであともう一歩。日本だと、あともう二三歩くらい???
結局のところ、お金はデータで容易に表せるものだから、データだけのやり取りになるまであとほんのちょっと。データの改竄もされず、そっちの方が安心だと思えるようになるのは、使用量がけた違いに増えた時。
お金の出入りややり取りには、本人以上にその人の行動パターンや思考パターンがよく表れる情報の宝庫。だから、クレジットヒストリーにどんな人間かがよく表れる。
コツコツ貯蓄型か、ドカンと一発当てて、大きく減らしてまたドカンと当てる博打型か。どう考えてもコツコツ型は、ドカンと一発屋にカモにされそうだから、どうしてもつるむ必要があるならコツコツ型。じゃないと、むしられる。
信用できる相手に条件をつけ、あれもダメこれもダメとダメ出しばかりする人間にとって「ゼロトレランス」という考え方は、目からウロコ。
例えば異国に一人ぼっちとか、誰も信用できない人にとっては、そもそも誰も信用しなくてもいいシステムの方が具合がいい。
ルールが事細かに決められているからこそ、管理者もなく、逸脱した行為があればチェーンから外れ、もっとも長く続いたチェーンこそが真とか。ルールブック読み込み型には最適。
チートが不利になる技術、最たる脆弱性は「人」の裏返しで面白い。
(はらこ飯)
技術については、さっぱりながら、ブロックチェーンの世界観は面白いと思いつつ、『ブロックチェーンの衝撃』ページをめくるたびに、眠気が襲ってくる。あぁ眠い。ついでにブロックチェーンの行き着く先は、結局のところシェアリングエコノミーの隆盛だと思うと、その前にくたばりたいという気持ちが募るばかり。今んとこは。
お休みなさーい。