リモンチェッロ飲んだ。
自家製のせいか、甘いだけじゃなくって、レモンの皮齧った時みたいな苦味も効いてて美味しかった。レモンが採れるところ では”梅酒”みたいな扱いのお酒らしいけど、自家製で作ろうと思ったら、95度のピュア・アルコールやスピリタスで作るんだって。最近飲んだお酒の中では 一番甘ったるくて、かつアルコール度数も一番高いお酒。久しぶりにノックアウト状態になった。
教訓 快楽にまぎれこんだ毒って、とびきり甘いんだよねー。
バカみたいに上ばっかり見てるから、思いがけないもん見つけた。多分ヤドリギのはず。花屋さんで見たり、花材として扱ったことはあるけど、木に生えてるところを見たのは初めてかも。
ヤドリギの実は鳥があちこちの木に運んでく。ヤ ドリギの実って、指で潰すとネバネバとしてるんだよね。ネバネバっとしてるから、鳥が木から木へと飛んでいく間にポチッと落し物した時に、上手く着床すれ ばヤドリギに、そうでない場合は排泄物として消えていく。生き残ったラッキーな木なのねーって思うと感慨も湧いてくる。その辺が関係してか、ヤドリギっていろんな説話に出てくる。
最 近読んだ文章で、『ある言葉が、書き手を通路として貫いて彼方から降臨してくることがある。そのとき、その言葉を発したのは書き手なのか、それとも彼方の 存在なのか(略)~私が出会っているのはその書き手なのか、それとも書き手という通路を伝ってこちらまでやってきた彼方の存在なのか』っていうのがあっ て、超かっこいいと思った。今どきだとどんな文章もググれるんだから、知りたい人は出典検索すればすぐわかると思うよ。
今どきだと完全なオリジナル探す方が難しくって、大抵はすでにある何かを加工して、”一番今っぽい”見せ方してることが多いんだろうなーとは思ってる。
そこらへんにいる誰かでも、大昔の人でも。とにかく誰かが書いた何かに触発されて、違う誰かが何かを考えたり作ったりする。最初の「何か」がやってくるその過程が、いつの間にか大樹に寄生してるヤドリギみたいだなって思った。
誰 かが広げた”表現”という枝にいつの間にか寄生したヤドリギがいて、その実を啄んだ鳥がまた別のどこかに飛んで行ってポチッと落し物して。うまく育ったヤ ドリギが、宿主である大樹とはまた別の枝広げてる。大樹の養分吸いながら。ヤドリギの中に流れてるのは大樹とのハイブリッドな”表現”で、そのヤドリギの 実をまた鳥が啄んでどこかにポチッと落し物してまた別の”表現”が生まれていって。。という繰り返しなのかなーと。
本物のヤドリギは、本物の鳥がその実を運んで行ってくれるから、また新たな場所で芽吹いてるけどね。
運んでいってくれる、鳥みたいな何かが居ないと、ダメになってしまう何かもきっとあるんだよね。
ほのめかしばっかりで、何がダメなのか、全然さっぱりなんだけど。
お休みなさーい。