クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

向き不向き

100円程度、あるいは税込みでワンコイン以下のものを1個だけ。という買い物は、ネットではしない。ネットで単価の安いものを買うならまとめ買いする。配送コストやついでに配送業者の置かれている環境が聞こえてきてたら、自然にそうなる。

 

物理的に100円程度あるいは税込みでワンコイン以下のものを、買いに行けなくなった時。

 

  • 配送コストを考えても納得できるまで、複数のものをまとめてネットで買うか。
  • 配送コストを無視して、必要なものを必要な数だけネットで買うか。
  • 100円程度あるいは税込みでワンコイン以下のものを物理的に買いに行けるようになるまで、持ってるものでとにかく間に合わせて待つか。
  • または、100円程度あるいは税込みでワンコイン以下のものと同じような代替品を、物理的に手に入る場所まで買いに行くか。

 

何をどこで買っているのか。日頃から購買行動をモニタリングしてサンプルを取っておき、極端な選択肢を与えた時にどのような行動にでるのか様子を見るのは、控えめに言わなくても単なる社会実験。

 

新興国はどうだか知らんけどさ。社会実験も治験も、事前に承諾がとれてないとデータとして使えないのは先進国のジョーシキよな。

 

他者の利益に配慮するのが、美徳で協調となるのが日本の特色なんだって誰かが言ってた。

 

自らの首を締めつつ自分を殺してまで他者の利益に配慮するのは、協調ではなく単なる隷属。そう考える日本以外の国にとっての協調は、徳に惑わされずにちゃんと取るもん取ってるんだってさ。

 

協調という美名で覆われた隷属を受け入れてまで、“徳性”のあるところをこれみよがしにアピールして喜ぶようなメンタリティは、だから政治由来のものじゃない。

 

近代社会がどこも政教分離を選ぶのは、取るもん取れずに徳性をアピールしたところで、打ち出の小槌をちゃんと我が物にしてない限り、徳だけでは世の中を回しきれないからだと思えば納得。

 

徳性なんて知らんがなで、ツラの皮が厚くてなんぼ。

 

そういうメンタリティの人を相手にするんだったら、必然的にみんなのツラの皮も厚くなっていく。

 

与えて与えて与えて、なんぼ。と、徳性をアピールして世の中渡っていくのは、徳性と紐ついた打ち出の小槌をちゃんと我が物にしてからのお話。

 

徳性と紐ついた打ち出の小槌を我が物にする前から、近い将来手に入る予定でーす、で他者の徳性をあてにしてちゃっかり自分が欲しいものを取りに行く態度は、どう考えても徳性からははるか彼方な態度。

 

はるか彼方な態度だと見抜かれてるから、いつまで経っても徳性と紐ついた打ち出の小槌が転がり込んでくる気配、薄げ。

 

どう考えても、叩けば埃が出る徳性と紐ついた打ち出の小槌を叩いて歩く、ツラの皮のぶ厚さで世の中渡っていく方が向いてそ。