クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

さようなら、夏

そろそろ扇風機も用なしで、片付ける頃合い。さようなら、夏。

 

家のつくりようは夏をむねとすべしなのは、夏の暑さが厳しい場所のお話。冬の寒さや厳しさが命にかかわるような場所とは、おのずとそのつくりも違ってくる。今年は久々に夏バテしたくらいの暑さだったけれど、厳しい暑さの記憶もすでに彼方さ。

 

あらこんなところに、新しい建物が。ホテルか飲食店かと思ってじっくりしゃれた建物を見て見たら、お寺だった。という経験をすること、たびたび。建て替え時と重なっていたからか、北海道では伝統的寺社建築の職人集めるのも大変だったのか。

 

伝統とは距離を置きますと、形から入るのもコミュニケーションの一環。容れ物が変わると、中身が変わっても文句言われにくい。

 

顧客の創造といえば、ドラッカー潜在的なニーズを掘り起こせばそこに顧客がいて、商売が成り立つくらいの意味だと思ってるけど、顧客の創造に熱心になられても困る業種もあり。

 

病院、病院に準じた医療機関、葬儀社の顧客と言えば、病人に怪我人に死人。顧客だけで成り立ってる業種ってわけでもないけどさ。でも彼らが顧客の想像に目覚めて、死ねよがし・病気になれよがし・怪我しやがれよしに熱心になって、見込まれた将来の顧客に迫ってきたら困るでしょ。

 

あいつ病気になりやがれ。怪我しやがれ。死にやがれと、営業マン同士を競わせでもしてたら超絶ブラックで、今時だったらフィクションのネタでも不謹慎と謗られるかも。かもかも。

 

そんなことで熱心になられても。。というインモラルな行為でも歓迎するのは、そもそもモラルに背を向けた人たちと思えば間違いなし。

 

鬼を訳したらdevilとなって、そりゃそうなんだけど、いまいちしっくりこないのは日本昔ばなしのせい。日本昔ばなしに出てくる鬼は、時に悪魔というにはもう少し間抜けで、人間臭すぎたから。

 

悪魔を人間臭く描いた西洋の読み物もあったのかもしれないけれど、どっちかっていうと、悪魔は悪魔らしく伝わってる。人を越えた存在でありながら、時に人間臭い感情を振りまく超存在と言えば、神話の神様の方がよりそれっぽい。

 

神様とは区別する意味で、悪魔は悪魔らしく、悪魔的イメージで伝わってるのかも。かもかも。

 

お休みなさーい。