クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

楽天のお買い物情報メディア『それどこ』に寄稿しました

『それどこ』では、電気圧力鍋を使って電気圧力鍋でできるレシピを、いくつかご紹介。色々作ってるけど、やっぱり煮豆を作ってることがいっちゃん多い。

srdk.rakuten.jp

小腹が空いた時の、ほどよいデザートになってちょうどいい。栗やカボチャにサツマイモ、ホコホコした食感のものは、おしなべて女性受けがいいとされているけれど、そこに「豆」も加えたい。いいよ、豆。美味しいよ。

 

甘い煮豆はびっくりするほどたくさんの砂糖を使うので、単なる水煮にしてポタージュスープにするという方法もアリ。

 

カボチャににんじんにカブにさつまいもに。今までたくさんのポタージュスープを作ってきたけれど、白花豆のポタージュは個人的に大ヒットだった。途中の工程で発生する白花豆のペーストが、これまたフムスっぽくて旨いんだな。

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 骨付き肉の料理や煮豆など、今まで「メンドクセ」と思ってスルーしてた料理が、苦にならなくなった。ま、個人の感想だけど。

 

書籍や映画などAmazonのヘビーユーザーだけど、その他日用品や生活用品を買う時には楽天もよく使ってる。なんなら原稿料は楽天ポイントでいいやと思う程度には、お世話になってるリピーター。ちなみに原稿料は、もちろんポイント払いじゃない。

 

自分が使っていてよく知っているサイトからの依頼で、よく知っていて便利に使っているサイトへの寄稿だから引き受けた。使ってもいないのに、これサイコー!とか嘘書かなくてもいい依頼だったから引き受けた。

 

寄稿の内容もブログっぽいカジュアルな文体可で、ブログっぽい文章しか書きたくないからちょうどよかった。

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「ことば」を武器として使うつもりは毛頭ないけれど、いざという時には盾にする気くらいは満々。自分のためにしかことばは使いたくない。他人のために自分のことばを使う気のない人間にとっては、ブログを書いてるくらいでちょうどいい。

 

本や映画のレビューや、レシピの書き起こしに旅行記も、誰に向かって書いてるんだと問われれば、ぜんぶ自分のため。自分のためだから、ステキスクラップブックを作るつもりで、時には馬鹿げた労力を使って書いている。いいね、と思うものについてのことしか書きたくない。

 

顔の見えない他人のために自分のことばを使うのは、もっともイヤなんだ。

 

顔出しだから可ってことでもなく。資金の出所が見えない相手のことは、信用するのが難しい。

 

慎重にならざるを得ない経験をすれば、いやでも慎重になる。それでチャンスを逃したと言われても、痛くもかゆくもなし。

 

それはともかく。電気圧力鍋は、便利です。

 

お休みなさーい。

ボナペティ~が生で聞ける『Julia & Jacques Cooking at Home』

ものすごーく空腹の時でもそうでない時でも、これさえ食べてればハッピー💕 と、ご機嫌になれるようなお気に入りの店を探したいものよ。。

 

隠れ家をウリにする、一見さんお断りなお店は感じ悪くてキライ。誰にでも間口広くオープンなお店で、それでいて美味しいお店を贔屓にしたい。並んでもいいから。

 

メリル・ストリープが「ボナペティ~」とどっから声出てるんだと思う声で、人気料理研究家を演じた『ジュリー&ジュリア』という映画がありまして。

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人生に行き詰まりを感じているNYに住む若い女性ジュリーが、かつてテレビで人気だった料理研究家ジュリアの料理本から凝ったフランス料理を再現してブログにアップして、やがては人気になるというストーリー。

 

現代のNYに住むジュリーの暮らしと、アメリカに本格的なフランス料理を広めたジュリアが生きる1960年代が交差する趣向だった。

 

「ボナペティ~」というのは、料理番組を持つジュリアの決め台詞。フランス料理は高級なものと考えられていた時代に、おバカキャラでフランス料理の伝道師となったらしい。

 

ジュリー&ジュリア』でもちょっとだけ映し出される、当時の料理番組『Julia & Jacques Cooking at Home』、Amazonプライムで見っけ。「ボナペティ~」を実際に聞くことができて感動。ジュリアの髪型や落ち着きのないコミカルな動きが、メリル・ストリープそっくりでびっくりさ。

 

いやまぁ、メリルがジュリア・チャイルドをお手本にしてんだけどさ。

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(つくしがカワイイ。こういう遊び心、好きさ)

エル・ア・ターブルに載ってる料理とオレンジページに載ってる料理ではずいぶん雰囲気が違うものだけど、『Julia & Jacques Cooking at Home』でジュリアが作る料理も、フレンチっぽいけど素朴。現代の感覚からすると、めっちゃ家庭的。

 

洗練されたNYのダイニングシーン(とか言っちゃうよね?雑誌って)と比較すると、まさに「おばあちゃんが作る味」っぽい。

 

きっとセットに違いない、ジュリアが料理を作るキッチン周りもモノがゴチャゴチャで、その垢抜けなさが、素朴な1960年代の雰囲気を濃厚にしてる。あぁ、おばあちゃんちっぽい。

 

モノを貯め込んで捨てないのは、次や将来は買えるかどうかわからないから。モノをポイポイ捨てられるのは、次や将来に必要となった時でも買えるから。という考え方がすっかり身についてしまったので、あぁモノ捨てたい。ジュリアのキッチン周りを見て反省したね。

 

現代アメリカ人のキッチンには必ずある、便利な調理家電や調理ツールが『Julia & Jacques Cooking at Home』では極小。その代わりに、レードルやスパチュラ(ヘラとも言う)のようなグッズがてんこ盛り。

 

盛り付けに使う食器も、派手すぎずに実用的すぎないラインで、見てて楽しい。1960年代のアメリカには、分厚い中間層がしっかり存在してたことがよくわかる。

 

記念すべき放送第一回に作ってる料理がステーキやハンバーガーという、アメリカンなメニューなところもご愛敬。どの辺がフレンチなんや???と、思うメニュー多し。

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(こいつはフランクフルター・クランツ)

 今や日本のコンビニでも手に入る“クレーム・ブリュレ”。この時代は、フランスの本物のリッチデザートとして新鮮な存在だったかと思うと、不思議な気分。

 

クレーム・ブリュレと言えば、最後にバーナーで表面をあぶってカチカチにするものだけど、バーナーが消火器?と思うサイズなところが、レトロ。

 

ジュリー&ジュリア』では、ずいぶん凝ったフランス料理を作っていたけど、『Julia & Jacques Cooking at Home』で作ってる料理はどれも、フレンチ???と思うカジュアルさ。

 

材料も、現代の日本のスーパー、特に都市部だったら苦もなく手に入りそうなものばかりで、半世紀も経てば、日常レベルがどれだけグレードアップしたかがよくわかる。

 

しばらく退屈しなさそ。

 

お休みなさーい。

『ブロックチェーンの衝撃』読んだ

サブタイトルは、“ビットコイン、FinTechからIoTまで社会構造を覆す破壊的技術”と、ものものしい。 

ブロックチェーンの衝撃

ブロックチェーンの衝撃

 

 日本最大の外資系PR会社シニアバイスプレジデント監修による、ブロックチェーン初学者向きにしてブロックチェーンのPR本。

 

最先端テクノロジーとは無縁でも、IoTはくらいは聞いたことがあってそのイメージもつかめる人なら、この本を読み込めばブロックチェーンのイメージも掴みやすくなる。

 

監修者含む16人の著者により、それぞれ得意とするアプローチで16人16色のブロックチェーン論が語られる。

 

まだ新しい技術かつ未知数で、どう転ぶかわからない技術だから、いいところも悪いところもひっくるめ、できるだけ多くの情報があった方がいい。時間がない人や知りたい情報が限定されている人は、目次や著者のプロフィールから読みたいところだけを抜粋すればよし。

 

技術に明るい人が読んでも満足できるに違いない、技術要素もそれなりに充実していた。その方面の技術にはまったく明るくないので、そのあたりは字面を追っただけだけど。

 

初学者が読んでわかったことその1:ブロックチェーンとビットコインの違い

仮想通貨ビットコインはブロックチェーン技術の元祖ではあるけれど、元祖から分岐して似て非なる本家ができるように、単独でブロックチェーンと使われる場合には、ビットコインの根幹技術であるブロックチェーンとは別ものを指す。

 

大別して

ビットコインの根幹技術たるブロックチェーン

・パブリック型ブロックチェーン

・プライベート型ブロックチェーン

に分けて考える必要がある。

 

この三者はそれぞれ、性質も技術の応用分野も違うもので、三者をごっちゃにすると何がなんだかわからなくなる。大ざっぱにすべてのブロックチェーンを一緒くたに語るのはナンセンス。ということがよくわかった。

 

初学者が読んでわかったことその2:すべてのはじまりはビットコイン

サトシナカモトという名とマウントゴックスの破綻と。一般的にビットコインを有名にしているのはこの二つで、そのせいで胡散臭さも付き纏うことになっている。ところがマウントゴックスの破綻は、それでもビットコインの取引は止まらず、システムがクラッシュもダウンもしなかったことで、逆に評判をあげたとか。

 

その評判はどこの誰によるものか。本書ではそこまで詳細には語っていないけれど、東証がダウンしたら大変だねという認識がある身からすると、すでに市場参加者の不正くらいではびくともしない堅牢な市場なんだと、理解するしかない。

 

その一方で、ライブドアショック東証が売買停止をくらった過去に学べば、“それでも市場がダウンもクラッシュもしなかった”というエピソードは、信頼の補強に役立つから意地でもそうするわな、という意地悪な見方もできる。

 

ブロックチェーンを理解する時、まずはもっともピュアな形のブロックチェーンである、ビットコインのブロックチェーンから入ると、そのイメージがつかみやすくなる。

 

パブリックかつトラストレスかつパーミッションレスで、不特定多数が参加でき、信用を前提としないシステムで、分散型かつ管理者不在。

 

チェーンでできた輪っかがパラレルにいくつも繋がっているとイメージすると、大体間違いなし。

 

「チェーンが最も長く続いた輪っかが真」で、続かなかった輪っかは自動的に破棄される仕組み。取引記録はオープンで、改竄ができないところがとっても重要。ところで好き勝手に合意なく書き換えられるのなら、それは契約書ではなく単なる「指示書」でしょ。と、この一文は特定の人にあてたあてこすりです。

 

初学者が読んでわかったことその3:ビットコインはインターネット的

 ビットコイン、一部クラスタでは大人気らしいことはなんとなく伝わってくる。人気の秘訣はビットコインがとてもインターネット的で、

特定の管理者がおらず、特定の権力の支配下になく、世界の人々によって維持されている民主的なもの

だからだと睨んでいる。誰にも支配されたくない独裁者嫌いの自由人が愛しそうな要素がたっぷり。ついでにビットコインのような仮想通貨は、地下銀行やさらにいえば課税逃れやマネロンといった反社会的要素を、その性質上完全に排除することが出来ない。

 

完全にクリーンなインターネットが存在しないように、完全にクリーンなビットコインもきっと存在しない。なんてったってトラストレス、信用を必要としないんだから。

 

一方で、完全にクリーンなインターネットは存在しないけれど、完全にクリーンなインターネットサイトやコミュニティはすでに実装されつつある。

 

ブロックチェーンの欠点のひとつが、“荒らしに弱い”という点も、まったくもってインターネット的。フリーライダーや、破壊衝動が抑えられない参加者、あるいは徹底的に利己的に振る舞う参加者が現れた時、そのチェーンは壊れてしまう。

ピュアなP2Pネットワークはずっと生き残る

ように、設計されているんだってさ。

 

インターネットがリアルとの接点を深め、ネットとリアルの融合が進みつつある現在では、インターネット的という言葉も形骸化しつつある。

 

インターネット的という言葉もその意味するところも消えてしまいそうな今、残すなら、生き残るのなら、もうシステムとして残すぐらいしかない。インターネットに大いなる幻想を抱いた人の夢の欠片ちっくでもあるのが、ビットコインのブロックチェーンなんだ。

 

初学者が読んでわかったことその4:ブロックチェーンの未来もビットコインの未来も分岐的

 16人16通りのブロックチェーンに対する未来予想図は、どれも流動的でたらればのエクスキューズ的。「もしもこの技術が先に実装されたら」で容易に前提が覆るくらい、流動的で、未確定。たらればでバラ色の未来図を描き出す一方で、そうならないかもしれない可能性も正直に記述していて良心的。

 

ブロックチェーンの技術をどう生かすかは、技術を生かす人や業界次第。

 

仮想通貨が法定通貨となる未来も、ノンバンクが銀行に逆転する未来も、クラウドにとって代わる可能性もあるけど、どう転ぶかは流動的。

 

金融分野だけでなく、非金融分野における応用としてのスマートコントラクトやIoTとの連携まで幅広く取り扱っていて、何でもできそうでいて、その実万能でもなく始まったばかりのことまでよくわかった。

 

止めることも盗むことも改竄することもできない代わりに、ファイナライズがクリアーじゃないとか。現時点でのデメリットも明確で、理解しやすかった。専門用語を咀嚼するのは大変だったけど。

 

初学者が読んでわかったことその5:ブロックチェーンは魔法でも万能でもないこと。

インターネットがリアルとの接点を求めてその形を変えてきたように、ブロックチェーンもピュアな形で残るとは限らない。インターネットがリアルとの接点を強めた時その形を変えたように、将来のブロックチェーンは当初の形とは違う形で、生活の中に入ってくるのかも。オプションとも言える別の技術と組み合わせることで、可変性がいや増すようできているのが、ブロックチェーン。

 

信用を前提としないシステムとはいかなるものかとか。読めばすんなり理解できるよう、どれも説明が平易でよし。関連書を引き続き読んでみたいと思う程度には、面白かった。

 

お休みなさーい。

葱しょってない鴨

なごり雪のおかげで、観光名所である道庁赤レンガ庁舎も雪化粧。観光客が、嬉しげに記念写真を撮っていた。雪が残っていてよかったね。

 

雪は残れど池の氷はすっかり溶けて、鴨が気持ちよさそうに泳いでた。

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こっちはお散歩中の鴨。日差しの下で、ひなたぼっこ中だったのかもしれない。

 

冬季も食べるものには困らなかったのか、丸まっちくて、栄養状態もよさげ。観光客はきっと鴨に甘いから、冬季であっても餌はたっぷり貰ってたのかも。かもかも。

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葱はしょってない。

 

個人のクレジットヒストリーが、すっかりその人の暮らしぶりや生活まで明らかにするように、取引先や資本関係がわかれば、その法人の性格もすっかり明らかになる。

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 何なのこの会社は一体???と謎に思った時、すぐに調べることができればたいていの謎は解決する。なんでも明らかになる社会は、嘘がつけない社会でサトラレ、言行一致に優しい社会。

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ディズニーの曲特集ということでSONGSを見てるけど、ディズニーの曲を日本語で聞くことはほとんどないから、妙な気分。甘々な歌詞が落ち着かない。甘々な歌詞が脳髄に突き刺さる感じがしてイヤだから、日本語の曲はほとんど聞かないようにしてる。

 

ディズニーの映画そのものが聖書のように、何度も何度も繰り返さないと、あんたたち大事なこと忘れちゃうでしょ、という仕様になっているけれど、日本語で聞く甘々のディズニーソングも似たようなもの。

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甘々なラブソングを好んで聞くわりには、あんたたち他人にはちっとも優しくないよねという気分が盛り上がってきて、どうしようもない。

 

嘘やん、と思う日本語はシャットアウト。

 

英語で聞くディズニーソングなら、深く歌詞を突き詰めることもなく、お掃除や片付けがはかどるソングとして重用してる。極端な話、メロディーだけでいい。

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“らしさ”により縛られているのは、男性なのか女性なのか。

 

知ったこっちゃないけど、男性が日本語で歌う『ありのままで』は、知ったこっちゃないとはなかなか言えない男性を、より自由にしそう。オリジナルの“完璧な女の子はもういない”が都合よく抜け落ちてるあたり、まったくもって日本仕様。超訳じゃん。

 

お休みなさーい。

ブレイク・ライヴリーのファッション・ブック的映画、『アデライン100年の恋』見た

よそではそろそろ桜が咲こうかという時期なのに、なごり雪がしつこく降る。ほんと、いつまでもしつこくてうーんざり。

 

ブレイク・ライヴリーが最初から最後まで美しい💕『アデライン100年の恋』見た。

 

いつまでも若く美しいままの女性アデラインを、ブレイク・ライヴリーが演じてる。ブレイク・ライヴリー、私の中では勝手にRICAKOと同じクラスタにカテゴライズしてる。美人でスタイルよしで、気取らずサバサバ系。

 

ガハハと大口開けて笑うタイプで、カジュアルなファッションがよく似合って、セクシードレスを着ていても健康的。

 

その彼女が、この映画ではあらシック。

 

なんてったって100年は生きてる女性だから、好みがコンサバ。ドレスを着ていても露出控えめ。クラシカルかつコンサバな衣装を着て次々に登場するブレイク・ライヴリーを、ただ目で追ってるだけでも満足。とはいえ、ロマンチックラブストーリーとしても満足できた。

 

美人は美人という種族を死ぬまで生きるものとはいえ、いつまでたっても20代の若々しさだと、周囲から浮く。おまけにひと目を引く美人となれば、美の伝道師と尊敬されるよりも、不審がられるのがオチ。

 

周囲が変わっていくなかで、彼女だけはいつまでも変わらない。

 

アデラインの実年齢にふさわしくない若さと美貌がかえって周囲の不審を招き、警察に目をつけられた時から彼女の逃避行が始まる。身分詐称や、入れ替わりなんかの犯罪の匂いがするからな。。

 

もともとお金には困らない階級の出身者で、逃避行を重ねているとはいえ、常にメインバンクとは切れない設定(しかも長年のお付き合い。。)なところがまた、非現実感を後押しする。

 

ひと目を惹く美人とはいえ一緒に年を取れないから、うかつに誰かと恋に落ちることもない彼女が、恋に落ちる相手があらまぁこれまたロマンチック。ご都合主義と言われそうであっても、ブレイク・ライヴリーを美しくみせるための映画だから、これはこれでよし。

 

かつての恋人と思いがけずに再会する、ハリソン・フォードの芸達者ぶりが際立ったさ。

 

金髪だから、服装が地味でも地味にならずにシックなんだよなぁと、黒髪黒目種族のモンゴリアンからすると、羨ましいかぎり。

 

ドレス姿もいいけれど、なにげない普段着がいっちゃんおしゃれで、通販カタログを眺めるようにウットリしたさ。いつまでも若く美しいままの彼女が、そこに喜びを感じるのかというラストは、けっこう含蓄あり。

 

若く美しいままの人が、いつまでもそのままを望んでいるとは限らない。

 

ただファッションを眺めるためだけに見る。たまには、そういうのもよし。とはいえ流行に左右されないファッションは、結局お高いんだよな。。

 

お休みなさーい。

ゼロトレランス

日本で異常に現金使用比率が高いのは、結局のところ他人を信用できない日本人の国民性に行き着くと思ってる。

 

ニコニコ現金払いにタンス貯金なら、データの改ざんを心配することも個人情報が抜き取られる危険性も極小。

 

メリル・ストリープの『幸せをつかむ歌』で、メリルはスーパーのレジ打ち役を演じてた。カード払いを受け付けるだけでなく、ついでに20ドルくらい口座から下ろしたいとの客のリクエストに応え、お金を渡してた。スーパーのレジにATM機能が備わりつつあることを示すシーンで印象に残ってる。

 

ATMというマシンがなくても、ATM機能が備わったものであればスーパーのレジでも信用するものなんだ、と印象に残った。

 

一方では小切手がそれなりに通用するアナログ社会であっても、そこからキャッシュレス社会まであともう一歩。日本だと、あともう二三歩くらい???

 

結局のところ、お金はデータで容易に表せるものだから、データだけのやり取りになるまであとほんのちょっと。データの改竄もされず、そっちの方が安心だと思えるようになるのは、使用量がけた違いに増えた時。

 

お金の出入りややり取りには、本人以上にその人の行動パターンや思考パターンがよく表れる情報の宝庫。だから、クレジットヒストリーにどんな人間かがよく表れる。

 

コツコツ貯蓄型か、ドカンと一発当てて、大きく減らしてまたドカンと当てる博打型か。どう考えてもコツコツ型は、ドカンと一発屋にカモにされそうだから、どうしてもつるむ必要があるならコツコツ型。じゃないと、むしられる。

 

信用できる相手に条件をつけ、あれもダメこれもダメとダメ出しばかりする人間にとって「ゼロトレランス」という考え方は、目からウロコ。

 

例えば異国に一人ぼっちとか、誰も信用できない人にとっては、そもそも誰も信用しなくてもいいシステムの方が具合がいい。

 

ルールが事細かに決められているからこそ、管理者もなく、逸脱した行為があればチェーンから外れ、もっとも長く続いたチェーンこそが真とか。ルールブック読み込み型には最適。

 

チートが不利になる技術、最たる脆弱性は「人」の裏返しで面白い。

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(はらこ飯)

技術については、さっぱりながら、ブロックチェーンの世界観は面白いと思いつつ、『ブロックチェーンの衝撃』ページをめくるたびに、眠気が襲ってくる。あぁ眠い。ついでにブロックチェーンの行き着く先は、結局のところシェアリングエコノミーの隆盛だと思うと、その前にくたばりたいという気持ちが募るばかり。今んとこは。

 

お休みなさーい。

いつまでたっても戦争が終わらない戦士が可哀想すぎる『マン・ダウン 戦士の約束』見てきた

3月になると、年度末の予算消化工事や予算消化出張のように、一挙に映画の公開本数が増える。わりとマメに上映予定をチェックしてるのに、まったくノーマークの映画がひょっこり顔を出す。

 

『マン・ダウン 戦士の約束』も、まったくノーマークな戦場を舞台としたシリアスな映画。“圧倒的想像力をかきたてる衝撃のラスト8分!“のコピーにつられて見に行った。

 

ラストに仕掛けたっぷりで、つい語りたくなる。そんな作品だった。

 

戦場が舞台ながらもゲームチックで、ドンパチもスプラッタ―も嫌いな女性であっても嫌悪感なく見れた。ストーリー自体も霧がかかったようにミステリアスで、ミステリアスなストーリーに合わせて、映像もミステリアス仕立て。クリアーで明るいシーンは、すべて戦場に行く前のもの。過去がことさら明るく幸福に見えるなんて、悲しいね。

 

アフガニスタンから帰還した、アメリカ海兵隊員のガブリエルが主人公。戦場から帰還した故郷からは人が消え、妻も息子の行方もわからない。戦場から帰還した後も、戦場のような故郷で姿なき敵と闘い、消えた妻と息子を取り戻そうとする、哀しい戦士のお話。

 

予告編を見ればわかるけど、ガブリエルの息子ジョナサンが、とってもかわいいんだ。

 

とってもかわいいジョナサンは、ちょっとだけ気弱で線が細くて、そこがガブリエルにとっての悩み。ガブリエルは妻と息子を何よりも誰よりも大切に生きている人。根っからの職業軍人というよりは、生活のために軍人を選んだようなタイプ。

 

とはいえ海兵隊に入れるくらいだから、それなりに素質ありで、厳しい訓練にも耐えて立派な職業軍人へと成長する。

 

立派な職業軍人になるということは、立派な殺人マシーンになるということとイコールとはいえ、心、内心まで立派な殺人マシーンになることはできなかったのがガブリエル。

 

何よりも大切だと思っているものと、よく似た何かをすっかり破壊し尽し、取り返しがつかないことをしてしまったと悟った時、善良な人は罪の意識に耐えられない。狂う。

 

おかしくなる方が、正常なんだ。

 

言語化して他者に説明できるのは、「そのこと」について語ることができるのは、その人の中ですっかり整理がついた後。その時何があったのか。ガブリエルは、心の整理がつかないまま、故郷へと帰ってくる。

 

帰ってきた故郷はゴーストタウンのようで、愛しい妻と息子の姿も見えない。家族のようにいつも一緒だった親友も、もういない。

 

傷ついた心、魂を癒す場所や拠り所さえ失われたまま、どうやって傷ついた魂を癒すのか。

 

それなりに戦闘っぽいシーンも多いけど、リアルさからは遠く見えるのは、リアルな現実から遠く離れている戦士の心象風景に沿っているからと思えば納得。現実感なき世界を生きてる方が、ガブリエルの現実に近いんだ。

 

故郷は戦場ではないはずなのに、戦いは終わらず、家族の姿は見えない。

 

最終的に傷ついた戦士を受け入れるのは家族しかいないのに、その家族はおらず、家族にさえ受け入れられなかったら、その戦士はどうすれば戦いを終えることができるのか。

 

これじゃあいつまでたってももリアル、現実に戻れなくなるばかり。

 

ターゲットとした街を確実に落とし、住民が全滅しようが気にも留めず、大量虐殺も意に介さないマシーンのような人間なら、マシーンに置き換えてしまえばいい。マシーンにだってできるようなことを、やってるんだから。

 

感情のある人間だから、狂うし、おかしくなる。おかしくなる方が、戦場以外の場では、まともな人間さ。

 

衝撃のラスト8分間は、言ってみれば混乱と混乱の衝突。

 

そこが映画のキモだから、語りたいけど語れない。でもやっぱり語りたくなる。あのシーンは、戦場に最適化されたばかりに混乱してる人間と、平和な暮らしに最適化されて、戦場にある人の心理や背景を理解できない人との混乱がぶつかってできてるシーンだよね、と。

 

戦場経験者が見ている世界を、彼らにとっての現実を見せにくる映画。決して戦場に立つことはない人にでも、彼らの見てる混乱した世界はこうなんだよと、よくわかる。

 

戦場に行く前と後ではすっかり人が変わり、「あなたは一体誰?」となっても、在りし日の姿を思い出させるものさえあれば大丈夫。

 

息子のもとに帰りたい、ただ息子をもう一度抱きしめたいという父性愛が、ほとばしってる。父性愛に的をしぼったあたりが、とってもリアル。哀しいけど、職業軍人家庭ではありがちなことなんだろう。ありがちなことだったら、対策取ればいいだけのことなのに。

 

ちょっとひねりの効いた戦争もの。たとえどんなに話題になっても、『フューリー』なんかは絶対に見ることはない人間でも楽しめた。

 

お休みなさーい。