家・車・街路樹に船。色んなものを吹き飛ばしたハリケーンが吹き荒れる間、住民は一体どこに避難してたんだ???という素朴な疑問。シェルター的な地下室が標準装備なエリアだったんすかね。
居着いてる間は栄え、居なくなると家も傾くと言われる座敷童。
どこの誰ともわからないけれど、気にせず一緒に遊んだり、居るものとして数のうちに数えたりするにはある種の鷹揚さが必要で、細かいことを気にせず鷹揚でいられたことの象徴が座敷童。
そのくせ誰にでも見えるわけではないらしいから、大勢の人と同じものを見ながらも、違うものが見える人の前にだけ姿を見せた。と、考えると含蓄に富んでいる。
細かいことは気にしないけれど、大勢の人が気に留めないようなことには気が付き、気が回ると聞けば、どう考えても大物っぽい。
座敷童は目利きの人で、現代でいえばエンジェル投資家にでもなれたかも、かもかも。と、埒もないことを考えるのは楽し。『まんが日本昔ばなし』は偉大だった。座敷童の話がどんな風だったか。ちっとも覚えてはいないんだけどさ。
ハリケーンで木っ端みじんになる島の姿と、IoTで便利!未来!な世界がうまくつながらない。便利あるいは堅牢になった方がいいのは、どう考えても辺境の方なんだよな。
あとで動画見てみよう。