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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

葱しょってない鴨

日記

なごり雪のおかげで、観光名所である道庁赤レンガ庁舎も雪化粧。観光客が、嬉しげに記念写真を撮っていた。雪が残っていてよかったね。

 

雪は残れど池の氷はすっかり溶けて、鴨が気持ちよさそうに泳いでた。

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こっちはお散歩中の鴨。日差しの下で、ひなたぼっこ中だったのかもしれない。

 

冬季も食べるものには困らなかったのか、丸まっちくて、栄養状態もよさげ。観光客はきっと鴨に甘いから、冬季であっても餌はたっぷり貰ってたのかも。かもかも。

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葱はしょってない。

 

個人のクレジットヒストリーが、すっかりその人の暮らしぶりや生活まで明らかにするように、取引先や資本関係がわかれば、その法人の性格もすっかり明らかになる。

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 何なのこの会社は一体???と謎に思った時、すぐに調べることができればたいていの謎は解決する。なんでも明らかになる社会は、嘘がつけない社会でサトラレ、言行一致に優しい社会。

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ディズニーの曲特集ということでSONGSを見てるけど、ディズニーの曲を日本語で聞くことはほとんどないから、妙な気分。甘々な歌詞が落ち着かない。甘々な歌詞が脳髄に突き刺さる感じがしてイヤだから、日本語の曲はほとんど聞かないようにしてる。

 

ディズニーの映画そのものが聖書のように、何度も何度も繰り返さないと、あんたたち大事なこと忘れちゃうでしょ、という仕様になっているけれど、日本語で聞く甘々のディズニーソングも似たようなもの。

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甘々なラブソングを好んで聞くわりには、あんたたち他人にはちっとも優しくないよねという気分が盛り上がってきて、どうしようもない。

 

嘘やん、と思う日本語はシャットアウト。

 

英語で聞くディズニーソングなら、深く歌詞を突き詰めることもなく、お掃除や片付けがはかどるソングとして重用してる。極端な話、メロディーだけでいい。

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“らしさ”により縛られているのは、男性なのか女性なのか。

 

知ったこっちゃないけど、男性が日本語で歌う『ありのままで』は、知ったこっちゃないとはなかなか言えない男性を、より自由にしそう。オリジナルの“完璧な女の子はもういない”が都合よく抜け落ちてるあたり、まったくもって日本仕様。超訳じゃん。

 

お休みなさーい。

ブレイク・ライヴリーのファッション・ブック的映画、『アデライン100年の恋』見た

映画 レビュー

よそではそろそろ桜が咲こうかという時期なのに、なごり雪がしつこく降る。ほんと、いつまでもしつこくてうーんざり。

 

ブレイク・ライヴリーが最初から最後まで美しい💕『アデライン100年の恋』見た。

 

いつまでも若く美しいままの女性アデラインを、ブレイク・ライヴリーが演じてる。ブレイク・ライヴリー、私の中では勝手にRICAKOと同じクラスタにカテゴライズしてる。美人でスタイルよしで、気取らずサバサバ系。

 

ガハハと大口開けて笑うタイプで、カジュアルなファッションがよく似合って、セクシードレスを着ていても健康的。

 

その彼女が、この映画ではあらシック。

 

なんてったって100年は生きてる女性だから、好みがコンサバ。ドレスを着ていても露出控えめ。クラシカルかつコンサバな衣装を着て次々に登場するブレイク・ライヴリーを、ただ目で追ってるだけでも満足。とはいえ、ロマンチックラブストーリーとしても満足できた。

 

美人は美人という種族を死ぬまで生きるものとはいえ、いつまでたっても20代の若々しさだと、周囲から浮く。おまけにひと目を引く美人となれば、美の伝道師と尊敬されるよりも、不審がられるのがオチ。

 

周囲が変わっていくなかで、彼女だけはいつまでも変わらない。

 

アデラインの実年齢にふさわしくない若さと美貌がかえって周囲の不審を招き、警察に目をつけられた時から彼女の逃避行が始まる。身分詐称や、入れ替わりなんかの犯罪の匂いがするからな。。

 

もともとお金には困らない階級の出身者で、逃避行を重ねているとはいえ、常にメインバンクとは切れない設定(しかも長年のお付き合い。。)なところがまた、非現実感を後押しする。

 

ひと目を惹く美人とはいえ一緒に年を取れないから、うかつに誰かと恋に落ちることもない彼女が、恋に落ちる相手があらまぁこれまたロマンチック。ご都合主義と言われそうであっても、ブレイク・ライヴリーを美しくみせるための映画だから、これはこれでよし。

 

かつての恋人と思いがけずに再会する、ハリソン・フォードの芸達者ぶりが際立ったさ。

 

金髪だから、服装が地味でも地味にならずにシックなんだよなぁと、黒髪黒目種族のモンゴリアンからすると、羨ましいかぎり。

 

ドレス姿もいいけれど、なにげない普段着がいっちゃんおしゃれで、通販カタログを眺めるようにウットリしたさ。いつまでも若く美しいままの彼女が、そこに喜びを感じるのかというラストは、けっこう含蓄あり。

 

若く美しいままの人が、いつまでもそのままを望んでいるとは限らない。

 

ただファッションを眺めるためだけに見る。たまには、そういうのもよし。とはいえ流行に左右されないファッションは、結局お高いんだよな。。

 

お休みなさーい。

ゼロトレランス

日記

日本で異常に現金使用比率が高いのは、結局のところ他人を信用できない日本人の国民性に行き着くと思ってる。

 

ニコニコ現金払いにタンス貯金なら、データの改ざんを心配することも個人情報が抜き取られる危険性も極小。

 

メリル・ストリープの『幸せをつかむ歌』で、メリルはスーパーのレジ打ち役を演じてた。カード払いを受け付けるだけでなく、ついでに20ドルくらい口座から下ろしたいとの客のリクエストに応え、お金を渡してた。スーパーのレジにATM機能が備わりつつあることを示すシーンで印象に残ってる。

 

ATMというマシンがなくても、ATM機能が備わったものであればスーパーのレジでも信用するものなんだ、と印象に残った。

 

一方では小切手がそれなりに通用するアナログ社会であっても、そこからキャッシュレス社会まであともう一歩。日本だと、あともう二三歩くらい???

 

結局のところ、お金はデータで容易に表せるものだから、データだけのやり取りになるまであとほんのちょっと。データの改竄もされず、そっちの方が安心だと思えるようになるのは、使用量がけた違いに増えた時。

 

お金の出入りややり取りには、本人以上にその人の行動パターンや思考パターンがよく表れる情報の宝庫。だから、クレジットヒストリーにどんな人間かがよく表れる。

 

コツコツ貯蓄型か、ドカンと一発当てて、大きく減らしてまたドカンと当てる博打型か。どう考えてもコツコツ型は、ドカンと一発屋にカモにされそうだから、どうしてもつるむ必要があるならコツコツ型。じゃないと、むしられる。

 

信用できる相手に条件をつけ、あれもダメこれもダメとダメ出しばかりする人間にとって「ゼロトレランス」という考え方は、目からウロコ。

 

例えば異国に一人ぼっちとか、誰も信用できない人にとっては、そもそも誰も信用しなくてもいいシステムの方が具合がいい。

 

ルールが事細かに決められているからこそ、管理者もなく、逸脱した行為があればチェーンから外れ、もっとも長く続いたチェーンこそが真とか。ルールブック読み込み型には最適。

 

チートが不利になる技術、最たる脆弱性は「人」の裏返しで面白い。

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(はらこ飯)

技術については、さっぱりながら、ブロックチェーンの世界観は面白いと思いつつ、『ブロックチェーンの衝撃』ページをめくるたびに、眠気が襲ってくる。あぁ眠い。ついでにブロックチェーンの行き着く先は、結局のところシェアリングエコノミーの隆盛だと思うと、その前にくたばりたいという気持ちが募るばかり。今んとこは。

 

お休みなさーい。

いつまでたっても戦争が終わらない戦士が可哀想すぎる『マン・ダウン 戦士の約束』見てきた

映画 映画館 レビュー

3月になると、年度末の予算消化工事や予算消化出張のように、一挙に映画の公開本数が増える。わりとマメに上映予定をチェックしてるのに、まったくノーマークの映画がひょっこり顔を出す。

 

『マン・ダウン 戦士の約束』も、まったくノーマークな戦場を舞台としたシリアスな映画。“圧倒的想像力をかきたてる衝撃のラスト8分!“のコピーにつられて見に行った。

 

ラストに仕掛けたっぷりで、つい語りたくなる。そんな作品だった。

 

戦場が舞台ながらもゲームチックで、ドンパチもスプラッタ―も嫌いな女性であっても嫌悪感なく見れた。ストーリー自体も霧がかかったようにミステリアスで、ミステリアスなストーリーに合わせて、映像もミステリアス仕立て。クリアーで明るいシーンは、すべて戦場に行く前のもの。過去がことさら明るく幸福に見えるなんて、悲しいね。

 

アフガニスタンから帰還した、アメリカ海兵隊員のガブリエルが主人公。戦場から帰還した故郷からは人が消え、妻も息子の行方もわからない。戦場から帰還した後も、戦場のような故郷で姿なき敵と闘い、消えた妻と息子を取り戻そうとする、哀しい戦士のお話。

 

予告編を見ればわかるけど、ガブリエルの息子ジョナサンが、とってもかわいいんだ。

 

とってもかわいいジョナサンは、ちょっとだけ気弱で線が細くて、そこがガブリエルにとっての悩み。ガブリエルは妻と息子を何よりも誰よりも大切に生きている人。根っからの職業軍人というよりは、生活のために軍人を選んだようなタイプ。

 

とはいえ海兵隊に入れるくらいだから、それなりに素質ありで、厳しい訓練にも耐えて立派な職業軍人へと成長する。

 

立派な職業軍人になるということは、立派な殺人マシーンになるということとイコールとはいえ、心、内心まで立派な殺人マシーンになることはできなかったのがガブリエル。

 

何よりも大切だと思っているものと、よく似た何かをすっかり破壊し尽し、取り返しがつかないことをしてしまったと悟った時、善良な人は罪の意識に耐えられない。狂う。

 

おかしくなる方が、正常なんだ。

 

言語化して他者に説明できるのは、「そのこと」について語ることができるのは、その人の中ですっかり整理がついた後。その時何があったのか。ガブリエルは、心の整理がつかないまま、故郷へと帰ってくる。

 

帰ってきた故郷はゴーストタウンのようで、愛しい妻と息子の姿も見えない。家族のようにいつも一緒だった親友も、もういない。

 

傷ついた心、魂を癒す場所や拠り所さえ失われたまま、どうやって傷ついた魂を癒すのか。

 

それなりに戦闘っぽいシーンも多いけど、リアルさからは遠く見えるのは、リアルな現実から遠く離れている戦士の心象風景に沿っているからと思えば納得。現実感なき世界を生きてる方が、ガブリエルの現実に近いんだ。

 

故郷は戦場ではないはずなのに、戦いは終わらず、家族の姿は見えない。

 

最終的に傷ついた戦士を受け入れるのは家族しかいないのに、その家族はおらず、家族にさえ受け入れられなかったら、その戦士はどうすれば戦いを終えることができるのか。

 

これじゃあいつまでたってももリアル、現実に戻れなくなるばかり。

 

ターゲットとした街を確実に落とし、住民が全滅しようが気にも留めず、大量虐殺も意に介さないマシーンのような人間なら、マシーンに置き換えてしまえばいい。マシーンにだってできるようなことを、やってるんだから。

 

感情のある人間だから、狂うし、おかしくなる。おかしくなる方が、戦場以外の場では、まともな人間さ。

 

衝撃のラスト8分間は、言ってみれば混乱と混乱の衝突。

 

そこが映画のキモだから、語りたいけど語れない。でもやっぱり語りたくなる。あのシーンは、戦場に最適化されたばかりに混乱してる人間と、平和な暮らしに最適化されて、戦場にある人の心理や背景を理解できない人との混乱がぶつかってできてるシーンだよね、と。

 

戦場経験者が見ている世界を、彼らにとっての現実を見せにくる映画。決して戦場に立つことはない人にでも、彼らの見てる混乱した世界はこうなんだよと、よくわかる。

 

戦場に行く前と後ではすっかり人が変わり、「あなたは一体誰?」となっても、在りし日の姿を思い出させるものさえあれば大丈夫。

 

息子のもとに帰りたい、ただ息子をもう一度抱きしめたいという父性愛が、ほとばしってる。父性愛に的をしぼったあたりが、とってもリアル。哀しいけど、職業軍人家庭ではありがちなことなんだろう。ありがちなことだったら、対策取ればいいだけのことなのに。

 

ちょっとひねりの効いた戦争もの。たとえどんなに話題になっても、『フューリー』なんかは絶対に見ることはない人間でも楽しめた。

 

お休みなさーい。

めざせスッキリ

日記

地下鉄サリン事件の一報を聞いた時、後輩と顔を見合わせて「マジかよ。。」「なんじゃそりゃ」と驚いたことを、鮮やかに思い出す。

 

出来の悪すぎるフィクションを見せられた時と同じくらい、いたたまれなかった。

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(コンテチーズが美味しかった。メモメモ。)

『雨の日は会えない、晴れの日には君を想う』というタイトルは、ここ数年の中でも屈指のキャッチ―さ。晴れの日=人生順風満帆の時にはその人の不在を悲しみ、雨=泣きたいほど辛くて悲しい試練の時には、その人を巻き込まずにすんで良かったと思う。そんな愛し方を咄嗟に思いつくタイトルなんだけど、映画の内容はどうやらそうでもないらしい。

 

雨の日には君を想う、晴れの日には会えないだったら、それとっても都合のいい人よね。

 

気付けば3月もあと10日ほど。4月からは新年度。いつだってIt’s Newは喜ばしい。

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(ごぼうをバルサミコと赤ワインで煮てみる。酸っぱいけどいいおつまみ)

探し物があったので、ウロウロ。冬のコートはもういらないくらい、春めいた日。つっても北国基準だけど。お店で売ってるような春物を着るのはもう少し先。ここは東京と違う。足並みを揃えるべきは同じ高緯度地方のファッションで、GWまでにはもう一度雪が降ってもおかしくないから、油断はできず。

 

探してたのは、とってもしょうもない、小さなもの。小さすぎるし欲しいのも少量だから、ネットで注文するのも申し訳なくて足で探す。とはいえ探してる時には見つからないもので、生活がどんどん遠くなる街中では逆に見つけにくくなっている。行くべきは、イオンやヨーカドーなどのようなスーパーだったかも。

 

新生活準備で、生活用品を扱うお店はどこも長蛇の列。行く人来る人それぞれが、新生活準備に余念がない。そういやぼちぼち、引越しのトラックも見掛けるようになった。

 

あれも捨てたいこれも捨てたいで、処分したいものが山盛り状態。物置と化してる部屋+物置と化しているクローゼット分の荷物が消えたら、ずいぶんスッキリする。

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 (チーズかつおのおにぎり。コンテは塩気がきつすぎて、おにぎりには不向きだった)

あぁスッキリして暮らしたい。スッキリ暮らすためには電子機器のコードが邪魔過ぎで、なぜこんなにも電子機器のコードが多いのかと発狂しそうになる。エレクトロニクスの国の住民の自覚たっぷりな、自分が悪いんだけどさ。

 

当面の目標は、ルンバでもブラーバでもスイスイ掃除できるよう、家具を減らして床面積を広くすることさ。

 

お休みなさーい。

みつ豆とディズニー映画と

日記

赤えんどう豆がたっぷり入った豆かん。唐突に食べたくなったので、記憶を頼りに自分で作る。

 

完成図としてイメージしているのは、浅草は梅むらの豆かんみつ豆の親戚だから、入っている豆は赤えんどう豆に違いないと決めつけていたけれど、梅むらの豆かんの写真をじっくりとっくり眺めると、赤えんどう豆より明らかに黒い。黒々としてる。もしかして黒豆なのか?

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(赤えんどう豆、ビフォーアフター

遠方に住んで実物が手に入らないと、こういう時に不便。

 

ほんとは黒豆かもしれないけれど、赤えんどう豆の食感の方が好きだから、赤えんどう豆を塩煮にする。塩煮にするか、砂糖で甘みをつけるべきか。ここでもまた悩んだんだけどさ。

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寒天を作るにも、甘みはどれほどにすべきか砂糖抜きにすべきかでまた悩む。記憶だよりでレシピなきスイーツ作りは、迷いがいっぱい。

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ゼラチンと違い、常温でも固まるのが寒天。適当な大きさにカットし、シロップとともに冷やして甘みを浸透させる。

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記憶の中の豆かんよりも、かなり頼りない感じに仕上がった寒天と、赤えんどう豆の塩煮が出来上がる。豆には火が通り過ぎた。ストイックに豆と寒天だけにしたかったけれど、誘惑に負けて、ついミカンの缶詰や思いつきでドライクランベリーまで入れてしまう。梅むらの豆かんからどんどん遠くなる。

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ミカンの缶詰のシロップだけでは、酸味があり過ぎていまいちなので、これもやっぱり思いつきで、「梅酒」を電子レンジで煮切ってみる。

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大きめの器でラップせず、電子レンジに1~2分かける。アルコール度数が19℃ほどあるので、煮切る前は濃厚に漂っていたアルコール臭も、煮切った後はすっかりどこかに消えている。梅風味が濃厚な甘めシロップの出来上がりで、こいつも加えて冷蔵庫へGO。

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(見た目はちっとも変わらない、梅酒の煮切り)

作りたいものとはずいぶん違ったけれど、とにもかくにも完成。

 

寒天の材料は、水とグラニュー糖だけというシンプルさ。水のゼリーみたいなものだから、固さも味付けも加減が難しい。まったく甘みがないと、多分食べる気がしない。

 

寒天の固さも、豆の塩梅も、材料はシンプル極まりないのに、どうしてこんなにも出来が違うのか。シンプルなものほど巧拙もくっくりはっきりで、難しい。

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(赤いのは、ドライクランベリー

『モアナと伝説の海』は、オセアニアポリネシアを文化的背景にしていて、『ムーラン』は中国ルーツ。『アナと雪の女王』は、いかにもディズニーらしいっちゃらしいお伽の国ではあってもやっぱり北欧圏の文化が濃厚に漂ってる。そういや『ポカホンタス』なんてのもあったね。

 

同じようにエキゾチシズムあふれる作品を日本を舞台に作るとしたら、その題材はどこから取るのか。

 

日本人にとってはお馴染みだけど、海外では知名度が低いものと言えば古事記、歌舞伎、源氏物語に、あるいはすでに宮崎駿がやってるけどかぐや姫とか?

 

マレーシアでは美女と野獣の同性愛シーンに物言いがついたそうで、作品の真価とは別の部分で物言いがつくのは作品にとっての不幸。たくさんの人に見てもらってなんぼの作品には、全方位から文句が出ないものの方がいい。

 

『モアナと伝説の海』では王子様役が見当たらないのは、深謀遠慮の結果でもあるのかも。エキゾチックな舞台でシンデレラストーリーをやったところで、目新しさもなければ、あるかもしれない誰かやどこかのコンプレックスを、無用に刺激する危険性もあるから。

 

結局マウイというキャラそのものにも、物言いがついてたみたいだけど。

 

ディズニーのようなグローバル企業が、いかにもディズニーらしい作品を持ち込んでも、ローカライズされた作品を持ち込んでも、どっちにしても反発する人はするわけで。嫌なら見るなとは言えないところが、ビッグカンパニーのツラいところ。

 

もしもディズニーが、日本を舞台にエキゾチックな作品を作ろうしたら、選ぶモチーフは何にすると面白くなるか。日本人にありがちで日本人大好きで、他国からもの珍しがられるものといえば、忠臣蔵とか?

 

ディズニーの定番お姫様ものも外して、少年(=大石内蔵助の息子)を主人公にすることだってできる。ディズニーが作る忠臣蔵、それ見て見たいかも。

 

お休みなさーい。

ディズニーなのに王子様の出番なし、『モアナと伝説の海』見てきた

映画 レビュー 映画館

思わずハミングしたくなる、ステキな曲がいっぱいの『モアナと伝説の海』見てきた。見たのは字幕版。


映画『モアナと伝説の海』日本版予告編

 歌って踊る、海洋冒険ファンタジーにして、“嫌々”バディもの。見終わった後は、背筋が伸びて前向きになれて、心が凪ぐ。さすがディズニー。出てくるキャラクターもみんなカワイイ。凶暴でもカワイイ。

 

海に選ばれた少女モアナと、ごっつい割りにはすばしっこい大男マウイとの、凸凹コンビによる海の旅冒険編。ポリネシアンな南の海がとぉーっても魅力的で、今すぐハワイやボラボラ島あたりのリゾート地へと飛んでいきたくなる。年度末で仕事とストレスが溜まってる人には、目の毒で超キケーン。でもきっと、リフレッシュできる。

 

“海に選ばれた少女”という、ごっついパワーワード持ちの少女モアナが主人公。海に選ばれ愛されてるだけじゃなく、村中の人からも愛されてスクスク成長中。親に止められようと、掟を破ることになろうと、行ってはいけないとされる、遠い海の向こうに行ってみたくてしょうがない。

 

なんたって、海が呼んでるから。

 

おいでおいでと、モアナを海へと誘う波の動きが、素晴らしくよく出来ていて、CGやアニメーションの門外漢でも、こりゃすげぇ技術なんじゃないのか???とうっとりできる。

 

うっとりするのも道理で、

もうひとりの主人公“海”

と、映画公式フライヤーにもくっきりはっきり明記されている。フライヤーといえど、本国のGOがないと勝手なことは書けないらしいからな。これは公式見解ってことでいいんだろ。バディとなるマウイの立場どこよ。。

 

さて海に選ばれた少女といえど、航海は未経験のモアナ。海と運命がモアナのバディにと選んだのが、変身の達人マウイ。

 

モアナより年長のおっさんなんだけど、メンターというには稚気があり過ぎて、バディがいいところ。ぶっちゃけ相当大人げない。ロマンスなんか生まれようもない、モアナとマウイ、二人の距離感と関係性は、本意ではないけれど共同で作業に当たるしかない、どこかの職場でも通用するかも。かもかも。

 

恋愛抜きのバディというこの二人の組み合わせ、今までのディズニーにはないから新しい。

 

モアナはお姫様(というにはかなり質素)っぽくもあるけれど、今回王子様は出てこない。ディズニー、ついに王子様追放しちゃったよ。。王子様が居なかったら、ヒロインは強くなるしかない。ところでどうしてそんなに女性を活躍させたいのさ、ディズニー。その一方で、父親は娘に対して過保護になるばっかりなんだけど、そこさえ織り込み済みなのか???

 

全身にタトゥーが入ったごっつい風貌のマウイなんだけど、このタトゥーがまた大変によくできていて、見もの。

 

ファッションで入れるタトゥーとは明らかに別物の、民族固有の伝統に根差したものだったねそういやと、タトゥーのルーツに思いを馳せられる。

 

舞台としたオセアニアポリネシアに調査旅行をし、歴史や文化を入念にリサーチした片鱗と異文化へのリスペクトが、どのシーンからも顔を覗かせる。

 

純然たるエンタメ作品ながら神話的で、適度にワンパターンで教訓的で、落ち着くべきところに落ち着いて、よかったよーと別の世代にも繰り返し伝えたくなる。結末もストーリーも、すっかりわかっていてもなお、何度でも飽きずに見れそう。

 

心疲れた時に見るべきウォッチングリスト入り、確定。監督コンビは『リトル・マーメイド』も手掛けたらしいからな、それも納得。

 

モアナは航海に出る気満々ながら未熟で、女神テ・フィティの心を取り戻すという「使命」を果たすにも未熟。一方マウイは航海に出る気はサラサラなくて、イヤイヤ渋々ながらも航海の腕は達者で、頼りになる水先案内人。

 

荒波に揉まれたら、大抵の人間は鍛えられる。組む気のない相手ながら、しっかりバディとして機能していく過程に成長あり。少女モアナはもちろん、マウイだって成長する。成長しない冒険の旅なんて、見たってしょうがない。

 

鍛えられるのは、わかってるんだけどさ。じゃあそもそもどうして、誰も漕ぎ出したことのない海へと漕ぎ出すのさ?という答えも、「使命」とは別にちゃんと用意されているからますます神話的。

 

危険を冒しても航海に出るのは、実り多き場所、豊かな新天地を求めてのこと。

 

産めよ増やせよで一箇所にとどまっていたら、煮詰まってやがてその土地は枯れてしまう。あるいは、天変地異が待っているかもしれない。

 

ワンピースにパイレーツオブカリビアンに、古くは宝島に。海賊のイメージがつきまとう航海は、そういやそもそも新世界を求めてのものだったよね。リメンバー大航海時代。航海に出る船が増えたから、海賊という隙間産業も産まれたようなもの。海賊が先じゃない。航海は、誰かから奪うためじゃない。

 

あらゆる生き物を産む女神テ・フィティの造形がまた、神話的でス・テ・キ。最後までワクワクが途切れない。もちろんこれは、個人の感想です。ストーリーに退屈を感じた時は、技術に思いを馳せればよし。相当高度な技術が、使われてるっぽい。

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すべてのピースが収まるべきところに収まった時、現れるのはとびきり美しい航海図。羅針盤となる景色があって初めて、飛び出してみたら?と未経験者にだって勧められるってもの。

 

大人というには未成熟で、トリックスターそのままに茶目っ気たっぷりなマウイのキャラにイメージぴったりな声を、ドウェイン・ジョンソンが演じてる。字幕版で見てよかった。

 

インタビューで、ドウェイン・ジョンソンがおいおい泣いたとか言っていた。この映画でおいおい泣いたのか???と、あの巨体とのミスマッチで不思議な気持ちにもなれる。

 

お休みなさーい。