ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞のニュースにすっかり驚いて、今夜やるはず、あるいはしたかったことの予定がスコーンとどこかに飛んでいった。もとより大した用事でもないんだけどさ。
(風に吹かれてのイメージ画像☆)
人の心をどれだけ捉えたか。動かしたか。生き方や行動を変えさせるほどに、大きな影響力を持ったのなら、別に「本」の形をしてなくてもいい。
本の形はしてないけれど、その言葉が詩的で文学的ならOKという判断を、めっちゃアタマ固そうな権威が下したことが驚きさ。
なんとなくなんだけど、経済成長著しいアジアやアフリカの新興国の文化は、映像や音楽ファーストになるんだろうと勝手に思ってる。
紙とペンしかなかった時代と違って、スマホもアプリもあって、動画への参入障壁も低い。見て見て~とお披露目するマーケットさえ既にあって、しかもそのマーケットはグローバル。がんばり甲斐もありまくる。
文字と映像と音楽と。より多くの読者や視聴者を獲得できそうなものはどれだと考えたら、やっぱり映像や音楽の方が身近だから。カルチャーがどんどんポップになっていく。ノリがよくないと、ダメなんだな、きっと。
よりよい音楽や映像を求めて、本というフォーマットから何らかのインプットを得たとしても、アウトプットは別のカタチ。それが、新興国ほど顕著になりそうだとわかっていながら、自分でつづるのはオールドファッションなテキスト。
成長してないと言われようとなんだろうと、このカタチが好きなんだからしょうがない。
100%趣味でやってるもの。ウケやノリを考えてもしょうがない。むしろ、考え始めたら重荷になって、やりたくなくなる。
ボブ・ディラン。反戦や反骨みたいなフレーズが、ついて回る人。反戦や反骨という政治的イメージが露骨すぎて、かつては嫌いだった。食わず嫌いで、意識的にスルーしてた。
ちゃんと歌詞を読んで、聴いて、シンプルだけどメッセージ性の高い音楽の良さがわかるようになったのは、むしろ最近。ありふれた、どこにでもあるような平易な言葉を使いながら、それでいて明らかにメッセージ性が高い。
誰にでもわかりやすい言葉を使いながら、あるシーンを鮮やかに切り取っているから強く印象に残る。シーンの切り取り方が上手いから、心象風景と重なると、いつまでも心に残ってリフレインする。
『コングレス未来学会議』で使われていた『Forever young』を聴くと、いつでもどこでも泣きそうになる。
この曲にもやっぱり難しい言葉も難解な謎かけも出てこない。どこまでもシンプルでわかりやすい。
つまり、わかりやすくシンプルな歌にいつでもどこでも泣きそうになるくらい、聴いてる方もシンプルに出来ている。シンプルな人間の心をつかんで揺さぶってくるのは、いつだってシンプルでわかりやすいものなんだ。
お休みなさーい。