クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『ミンヨン 倍音の法則』 見てきた

『ミンヨン 倍音の法則』は、独特の映像作品を作ってきた映像作家・佐々木昭一郎氏による、初のスクリーン映画。彼の作品について多少の予備知識がないとどこまでも置いて行かれる、「美しいものは広がりたがる」、独自の世界観に貫かれた映画だった。

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 言い換えると、まったくの初見だと「なんじゃこりゃー!!!」となること必至。映画館でも盛大に船を漕いでる人がいた。退屈しても全然不思議じゃない。予備知識なしで見てここまでびっくりできる作品も、そうは無い。映画って何だっけ。映画の概念まで揺さぶってくる、そういう意味でも似たような作品を思いつけない、他に類をみない作品だと思う。
主人公のミンヨンを演じるのは、韓国の女優さん。透明感があって、立ち姿がきれいな人。ふとした表情がちょっとだけ川上麻衣子に似てると思った。頬がぷっくりしたところとか。
 
 
この映画は、彼女が居たから出来たもの。ミンヨンが出てくるシーンをスクリーンショットで切り取れば、どのミンヨンもとびきりフォトジェニックで美しい。ついでにファッショナブルなので、着ている服を見るのも楽しかった。
 
 
『四 季・ユートピアノ』では、主人公の栄子は自分の中に流れ続ける”音”を追い続けていた。この映画の中でミンヨンは、モーツァルトの22番に導かれながら、ソ ウルから日本へと旅をする。そんなミンヨンの前を行き、後ろを守る二人の男性の姿。ひとりは青年、ひとりは利かん気あふれた眼力が印象的な少年。ミンヨン やその妹のユンヨンとともに、時空を超えて旅をする。
 
 
実写だから面食らう、ポエムなセリフに唐突な場面転換。それに対する説明は一切ない。説明がないから、『夢の中でこそ現実に触ることができる』というセリフ を手掛かりに、すべてがふわふわして曖昧に見えるこの映画から「現実」を見つけようと、脳みそ使った。自分の持ってる引出しのどこに仕舞えばいいのか、脳 みそ使った。
 
 
桃食べたら死んじゃった。映画の中の一見バカバカしいエピソードも、監督の個人的体験に由来している。
本当のところは知る由もないけど
あのころ不審死ってけっこうあったしね。

"物語とは何か - ほぼ日刊イトイ新聞"

 
 本物らしく見えるよう、往時を再現するために巨万の製作費を投じてリアリティを追求しなくても、「現実」は織り込める。ぼんやりと掴んだのはそんな真実。
 
 
悲惨な出来事をそのままリアルに再現しなくても、悲惨な現実は伝わる。とても美しいメロディーや映像に託して伝えることもできる。美しいメロディーや映像に 変換して伝えることは、暗号を使うようなもの。いつか誰かに届けと海に流したボトルメッセージのように頼りないものかも。それでも美しいものは、美しいも のを見たい人を経て勝手に広がっていく。
 
 
この映画を見てる間じゅう、映画って何だっけという疑問が頭の中をグルグルした。撮りたいものを撮りたいように撮り、やりたいことをやりたいように表現している。そこは、「言いたいことも言えない世の中」や、「物言えぬ我々」なんて世界とは全くの別世界。
 
 
Youtubeという動画の世界を選ばなくても、言いたいこともやりたいことも存分に表現できる場所は、映画にもあった。商業的成功から離れたら好きなようにできる場所が見つかりやすいのは、動画の世界もきっと同じ。
 
 
『夢の中でこそ現実に触ることができる』。誰かが見た夢をカタチにしたような映画の中で見つけたものは、美しいものは勝手に広がっていくこと。トライアングルの震えるような残響が、細く微かに思いがけない距離まで届くように、案外遠くまで広がっていくこと。
 
 
利かん気に満ちた少年が探していたのは、どこまでも広がり続ける美しいものを奏でる人の足音、だったのかも。お休みなさーい。
 
 
以前見た『四 季・ユートピアノ』についてのエントリーはこちら。

『四季・ユートピアノ』を見た。 - クローズドなつもりのオープン・ノート