クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ただの日記

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CNNを抱える子会社ターナーか、それともAT&T傘下の衛星放送ディレクTVのどちらかの売却を要求とのこと。ということらしい。通信と放送の融合という未来予想図。描くのはやさしく実現するのは難しいとオールドメディアがごたついてるあいだに、あらびっくりインターネット上で先に実現したりしてね。

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ある日のおやつ

権利意識が高まると、これはおかしいと声を上げる人が増え始め、うまく回ってた仕組みも回らなくなるんだな。だからといって一旦芽生えた権利意識が、早々ひっこむわけもなし。

 

リトル・チルドレン』という映画を見た。

 

ケイト・ウィンスレット主演で、アメリカのボストン郊外で何不自由なく暮らす一児の母を中心に、彼女から見た閑静な住宅街での出来事を綴った作品。

 

字幕付きで見たけれど、登場人物たちの心象をナレーションがかわって説明する趣向になっていて、そのせいもあってどの登場人物も、張りぼてみたいに奥行きが浅い。

 

一見ケイト・ウィンスレット演じる専業主婦のサラと、同じく専業主夫であるブラッドの不倫を描いてるように見えて、郊外の街に住む大人になり切れない大人たちを描いている。

 

大人になり切れない大人、“リトル・チルドレン”は大体みな子持ちか、子供が居てもおかしくないような年齢の大人ばかり。なのに、やることなすこと子供じみている。

 

閑静な住宅街に住むのはいずれも白人ばかりで、舞台となっているウッドワード・コートは、白人の街なんだと知れる。だから、殺人や暴力といった犯罪は、ここではなく余所、例えば黒人居住区や貧困地域で起こるはずのものとされている。

 

なのに、その安全なはずの我らが街に、過去に性犯罪を犯したものが住むことになり、治安と安全に敏感な住民の神経を逆なでにする。逆なでにされた彼らは、そこまでやらんでも。。という過剰防衛に走る。

 

服役して罪を償った元犯罪者の顔写真を、この男にご注意と、街中にベッタベタと張り付ける。人権侵害も甚だしいんだけど、率先してる人たちは、街の平和を守るためと暴走しているからその暴走ぶりに気付けない。

 

なかでも飛び切り暴走気味のある人物は、自身が抱えるメンタルな問題、メンタルな問題を抱える原因となった過去からくるストレスを、誰もが悪人認定した人物をことさらいたぶることで、憂さ晴らししてる。

 

サンドバッグにしてよしと認定した人物を、どこまでいってもサンドバッグにする人物は、果たして大人なのかというと、そんなことあるわけない。

 

平和な街に不穏分子がまぎれ込み、不穏分子に対して過剰反応することで、平和だった街が平和から遠ざかる様子を描いていて、とっても薄気味悪い。

 

そもそも街の平和を守るためと立ち上がった人たちが、一線を越えて過剰反応することで、ますます街の平和が損なわれていくところが見もの。元犯罪者も、決して悔い改めた人物ではないところがまた、いかにもありそうで嫌悪を誘う。

 

嫌悪を誘う人物を配置したところが、この作品のとってもよくできたところ。

 

好き嫌いは文化の問題で、郊外の平和な街の文化に確かに似つかわしくない人物だけど、好き嫌いを越えられない人や街には、文明の光は届かない。

 

文明の光が届かないから、善し悪し、善悪の判断ができなくなり、結果として平和な街には起こるはずのない犯罪が起きてしまう。住民が、あそことは違うと思っている黒人居住区や貧困地域で起こるような犯罪を招く。

 

どうしてこうなったかといえば、好き嫌いの問題から抜け出すことができず、善し悪しを考えなかったから。善くないと思ってはいても、好き嫌いという感情に歯止めが効かず、暴走したから。

 

感情が暴走する人は大人とは言えないけれど、感情を暴走させたふりして他者をも思い通りに動かすのはさらに狡猾で、感情の抑制についてしみじみと考えた。

 

好悪を越えられないペナルティとして、文明の光が届かないようにする社会設計やデザインは、まぁ理にかなってるやね。

お休みなさーい。