クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

残暑お見舞い

今年の夏はいつまでもしぶとく暑く、8月末でも日中は30℃ラインをウーロウロ。

 

低気圧のせいもあって蒸し暑く、お盆を過ぎれば秋の気配のはずが、秋はまだ遠いみたい。ただし平地に限るで山の方はどうだか知らね。

 

北海道観光のトップシーズンは、やっぱり夏。以前より暑くなったとはいえ、道外の夏の過ごしにくさを思えば北海道の夏はとっても過ごしやすい。今年の夏は張り切ってあちこちどこかへ出掛けることもなく、行ったといえば農産物直売所くらい。

 

見たいものは緑に青空、時々海。それに清流があれば満足で、もぎたて新鮮野菜や旬の果物、その地の特産品が加われば大満足で、その種のすべてが揃っている場所が結局は観光地。揃わない場所は、広大な敷地面積を生かした観光とは別の産業のもの。

 

北海道はでっかいどうで広大だけど、広大な敷地は観光業だけが独占しているわけではないから、観光を楽しみたかったら素直に観光地に足を運ぶべし。

f:id:waltham70:20240903122448j:image

道央・道北・道東・道南と有名観光地は分散しているけれど、高速道路が整備されたおかげで行きやすくなった反面、どこまで走ってもホニャララしかない。という経験は少なくなった気がする。

 

手つかずの自然は、美しいより恐ろしく、人の目で見て美しいと感じる緑豊かな景色には人の手が入っているとわかっている。だから、あの自然はあの緑は一体どこへ?と思う経験が、これからは増えるんだろう。なにしろ延期になったとはいえ、札幌まで新幹線が開通するくらいだから。

 

6月から9月まではバカンスシーズンで夏休みだから、世界的観光地の夏はどこも観光客がいっぱい。例えば京都なら、一年でもっとも蒸し暑くて過ごしにくいのは、夏。行ったことないけどローマもきっとそう。春は桜、秋は紅葉が京都観光のベストシーズンだと知ってはいても、実際問題として長期で休みを取れるのは夏だから、最も観光に向かない季節に観光に行ってうーんざり。

 

という経験が積み重なると、京都に対する評価も変わる。

 

観光客で年中ごった返している(orいた)、八坂神社から南禅寺哲学の道といった界隈も、真夏、8月ともなれば観光バスもまれで閑散としてシーンとしていた。というふた昔以前の景色は”国際的観光地”を選ぶと消えていくのかも。かもかも。

 

途切れなく観光客はやってくるけれど、途切れなく観光客の相手をする側が途切れると、観光地の様子が変わる。

 

あらこの場所こんな風だった?あらこのお店こんな味だった?と、あらあらと思うことが増えたらそこは以前とは違う場所。だから、ずっーと観光地であり続ける場所は、そうではない場所とは異なる理屈や仕組みがあるんだと思うしかない。

f:id:waltham70:20240903122233j:image

テレビ塔の時計は夜12時まで。あら、シンデレラみたい。朝は5時までオフ。

 

時には夜遅く、朝も早くからお散歩できるのが観光地のいいところ。場所は選ぶけど。なにしろ真夏には早朝4時にはもうすっかり明るくなって、夏なのに空気はひんやりして涼しい(時には寒過ぎる)が体感できる。


f:id:waltham70:20240903122341j:image

f:id:waltham70:20240903122336j:image

f:id:waltham70:20240903122344j:image

地面のお値段が高くなると隙間なく何かが建つようになって、局所での快適度が増す代わりに、都市としての快適度は減る。

 

だから、本来隙間など生まれないはずの場所に空き地を増やす方が未来を見てる。以前より開放感のある場所が増えた、街中にいても空が見えるようになったのなら、それは努力でわざと。

 

家一軒ならともかく。街そのもの、都市そのものを冷やそうとしたら、空調機能の向上を待つより、街の構造(建物の配置)に手をつける方が早いのかも。

 

本来隙間など生まれない場所に生まれた空間は誰かや何かの努力で、努力や貢献を無かったことにしたとき隙間はびっしり埋まるようになって、以前とは真逆の現象、例えば暑いは寒く、寒いは暑いが生まれるようになるのかも。

 

以前よりずっと暑くなったに違いない京都の紅葉が始まって見頃になるのは、近頃だと11月以降?桜前線は北上するけれど、紅葉は南下していく。桜=お花見=一種の興行でイベントだから、桜の開花宣言を待ちわびる人がいるように、紅葉の始まりを待ちかねている人もきっといる。

 

季節と観光の縁は深く、季節や気候は本来アンコントローラブルなだけに、コントロールできる、制御できるようになればというのは、数少ない人類未踏の分野かも。

 

そして、ライフスタイルやそのもとになる人(あるいは生き物)の数が少ないほど、その種のトライアンドエラーもやりやすそう。

 

もし明日隕石がぶつかって最後の晩餐になるのなら、何が食べたいか。長らく自分で煮たひじき煮(市販のものに比べれば甘くない)と炊き立てのご飯だったけれど、ひじきのパスタ(水戻ししたひじきをねぎ・にんにく・ひき肉と一緒に炒め、しょうゆで味付けした和風パスタ)を知ってからは、一択ではなくなった。

 

ベストだと思っていた選択にバリエーションが加わると、ベストが揺らいでベターがいっぱい。ベストなど早々見つけられないし見つからないときは、そうなるのかも。


f:id:waltham70:20240903122429j:image

f:id:waltham70:20240903122425j:image

(夏の思い出、ニューカマー向け。)