クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

地盤、看板、かばんの三位一体

最短距離が最速で目的地にたどり着くルートでいられるのは、渋滞しない場合に限る。

 

最短距離が主要幹線道路でどの車も(地理に疎くなればなるほど)、幹線道路に殺到するから渋滞する。

 

ものすごーく大回りで目的地までの距離は遠くなっても、道中は風光明媚で一服や休憩もできて、目的地にたどり着くまでにかかる時間は渋滞する最短ルートと同じくらいだったとき。寄り道しても気にならないのはコスト(ガソリン等の燃料代)が他者負担だったとき。

 

江戸時代の参勤交代制は、天下分け目の戦いで荒廃した土地を勝者側の費用負担で開発する上手な仕組みだと思った。

 

ポイントは、勝者の側に立つ部下=大名の自己負担によるものだというところ。

 

下剋上を経て新しく上司=将軍に戴いた“目の上のたんこぶ”からもらうお金で各領地を行き来する街道を整備するよう命じられたとき、何しろ下剋上を経たあとだけに、引き出せるだけ資金を引き出そうと考える諸大名がいたとしても全然不思議じゃない。

 

そして資金は将軍様のフトコロからダダ洩れ。いつまでたっても街道の整備は進まず何しろ天下分け目の戦いから日も浅いだけに、戦国時代に逆戻りへも不可能ではなかったかもしれない。

 

だから、新しく召し抱えた心底信頼することができない部下=諸大名が再武装にお金をかけられないよう、江戸と領地との二地域居住と、自費での領地開発と参勤交代による街道開発という義務を課したのは、天下分け目の戦いから生き残った勝者のとる政策として至極真っ当。

 

自費負担で自身が行き来するルートだから、通行中の安全にも配慮するし利便性にもこだわる。

 

費用は他者負担、自身は生涯使うこともないルートで街道整備のような国土開発をすすめると、出来上がってくるのはその逆をいくもの。

 

領地は自軍のテリトリー内で自分たちの裁量でどうとでもできるけれど、他の大名=他者の治める土地を安全かつ効率よく通行しようと思ったときに、敵対関係や緊張関係にあると安全も効率も遠くなる。敵対関係にも緊張関係にもない第三者の手を借りると、(例えば護衛や交渉人)費用はかさむばかり。

 

一度きりならともかく“在任中は何度”もとなったとき、自費負担は年々重くなっていき、緊張関係でも敵対関係でもない方を選ぶと負担は軽くなって、“自領土の繁栄”に専念できる。

 

江戸と領地の二地域居住、妻子はいわば人質という制度設計は、自身もやっぱり人質となったという経験に由来するものか。

 

考える時間、それも生死のかかった切羽詰まった状況でたっぷり与えられた考える時間のなかから生まれてきたものは、道徳からは限りなく遠くてとことん現実的。

 

現実的だから、各領地にあって緊張関係とも敵対関係とも無縁で戦国の世を生き延びた。もしかすると、将軍が変わろうと天皇が変わろうと変わらず生き延び続け、その地を知り尽くしているから“交通の難所”や“交通の要衝”をがっちり押さえている。だから、戦わずして生き延び続けてきたものの存在も視野に入ってくるのかも。

 

日本はそもそも山がちで、本来横並びになった大軍が一斉に動き出せる場所なんてそもそもなかったじゃん。そもそもなかった大軍が一斉に動き出せる場所で大軍が衝突したとき、あとに残されたのは大量の戦死者。

 

という当時の日本の国土のすみずみを知り尽くしていたのは、山を行き海を行き死者を弔うもの。

 

東軍と西軍が争い支配権は東軍が握って自費での国土開発をすすめ、敗れた西軍は(あるいは西方は)そもそも昔から開発が進んでいた土地だから、国土開発としては手を出せない領域、海に船を出して北前船航路を拓いていくというのも、制度設計としてやっぱりうまくできている。

 

旅行がレジャーとして人気となって産業として栄えるのは、通行に支障がなく支配が行き届いている証し。“お墨付き“を与えているのが誰なのかは、行き来する顔触れを見ているだけで何となく想像がつき、人の行き来が活発になるよう開発をすすめたのも誰かがなんとなーくわかるから、人の出入りが活発になったり閑散としたりするんだろう。

 

地盤、看板、かばんの三位一体は、やっぱりその中身が肝心なんだと改めて思った。