可哀想や可愛いではもうびくともせずぴったりと閉じた財布も、たくましいを前にすると開くのかもしれない。
アメリカでは大統領の次に人選が難しいのはNY市長なんだと聞いたことがあるけれど、アメリカに限らず重ねた歴史相応の経済力と人口規模を持ち、国を代表する大都市の首長選びが難しいのは、肌感覚で納得する。
ニューカマーもいれば、何代も歴史を重ねたファミリーもいる。国内に閉じていることもあれば、国境を越えた行き来がある。都市だから生計を立てる手段も多様で、価値基準の異なる多様な集団が存在する。
可哀想や可愛いにも耐性がついて、多少のことでは動じなくなった心もたくましいを前にすると動きやすくなる。可哀想や可愛いの模倣よりも、たくましいを真似するのは難易度が高いから。
よくやるよ(あんなこと)。
という反応がかえってくるのがわかりつつ、平気な顔でよくやるよねと言われそうなあんなことやこんなことをやり続けるにはたくましさが必要で、可哀想と可愛いは充分足りているからたくましいを欲しているところではよく目立つ。
可哀想だから、可愛いからと情に流され過ぎて計算を誤るか計算が狂うと暮らし難くなるのが大都市で、だから可哀想や可愛いよりもたくましい方が生き残りやすくなる。
生き残りやすいから自然に任せるとたくましいが増え過ぎて、たくましいものの前では可哀想も可愛いもたくましいが生き残るための道具にされがちおもちゃにされがちで、無慈悲に傾いていく。
だから、人為的に慈悲が増えていく。
適者生存でよりたくましい、無慈悲が勝手に増えていくから、自然任せでは増えない慈悲が人為的に増えていき、無慈悲と慈悲の両極がひとところに集うことになるのが大都市で、無慈悲と慈悲の双方から支持されるリーダーが一旦立つと、長期政権になるんだと思う。代わりなんて、早々現れないから。
情に流され過ぎずに計算で動く。計算で動くけれど、その計算のなかには自分や自分に属する(あるいは連なる)ものだけでなく、自分以外の他者も入っている。
自分以外の他者の存在を考慮する、あるいは許容するには広いフトコロが必要で、広いフトコロを維持できているのはフトコロが豊かだからに尽きる。
豊かなフトコロをよーく眺めてみると生計を立てる多様な手段が見えてきて、自分たちを豊かにしてくれる各々について対応を間違えないから、広いフトコロは広くかつ豊かなままでいられるんだろう。
自分以外の他者の存在を考慮するあるいは許容する心の在りようと、たくましいはすぐ近くですぐそこ。
だから可哀想や可愛いでは開かない財布やドアも、たくましいで開くのかも。かもかも
これはオシドリ。