牛ほほ肉が塊(500g強)で売っていたので、珍しく思って買ってみた。
赤ワインとトマトベースの野菜ジュースでビーフシチュー風の煮込みを作った残りはチャーシューに。ラフテーっぽいから一部はソーキそばの具にして、ゼラチン質(コラーゲン?)が固まってプルプルになった残りは“煮こごり“だと思って、小口切りにした葱と一緒にご飯の友にした。
544gで税込1686円。100gあたりだと310円で、牛肉としてはとってもお買い得。お買い得のうえ、塊肉という料理ゴコロをくすぐる素材だからついあれもこれもと色々作りたくなるけれど、よーく考えても考えなくても肉の塊。
摂取するのは簡単であっという間、消費するのはひと苦労で1㎏減量する大変さを思えば購買欲にもブレーキがかかる。
思えば美味しいお肉の塊(おもに国産やブランドもの)が大変いいお値段でお高くなっているのは、美味しいからといって食べ過ぎないようにという供給サイドの配慮なのかも。かもかも。
美味しいとわかっていると、料理ゴコロはくすぐるし食欲も増す。だからヘルシーと言われる鶏胸肉やササミがお求めやすい価格なのも、同じ理屈かも。
ヘルシーといえば砂肝もそうで、焼き鳥の時には必ず注文する食材。焼き鳥以外の食べ方といってもレパートリーは限られるけれど、薄めにスライスして挽肉と合わせ、麻婆味に仕上げたものをお米と一緒に炊き込むとちょっとスパイシーな混ぜご飯になって美味しく頂いた、100g105円。
ヘルシーな食材はだいたいお安くて、美味しいけれど食べ過ぎるとメタボまっしぐらな食材はお高いという制度設計は、道徳っちゃ道徳かも。
デフレの時代に食料品を買う時は、1個または100gで100円を目安に高いか安いかを判断していた。そのくらいの価格だと品質的にも安定していて問題なかった。
今は、1個または100gで150円くらいをぼんやりと目安にしているけれど、どこで買うのかによっても目安は激しく上下するし、品質が担保されているかどうかはまた別問題で、安定ラインを見出すのが難しくなったと感じてる。
日本語のリテラシーよりプログラミング言語のリテラシーに優れている方が、リテラシーが高いと認識されやすくなった。そんな環境下では、日本語で達者に道徳を説く能力よりも、プログラミング言語で上手に道徳的なシステムを作る能力の方が、広く薄く道徳を行き渡らせるには有用だと思ってる。
例えば正義や友情といった道徳に連なる文脈は、エンタメに組み込むよりもシステムに組み込んだ方が、不正義や裏切りをあぶり出しやすくなる。
リアリストが現実をありのままに見たなら、きっとそうするはず。いつまでたってもシステムに実装できないのなら、現実を見ていないってことになるのかも。
摂取して取り込むのはあっという間でも、消費するのはひと苦労。というものは、適量を心掛けたい。
(桜と梅、桜と梅と木蓮が一緒に咲く景色)
(桜餅の香りがしてきそう)
早くもGW気分で、桜の下には花見客がいっぱい。桜の足元にも遅い春の訪れがチラホラで、上を見ても下を見ても春。