クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

持続可能になったら新しい

グレートリセットとも呼ぶような、大きな転換点を経たあとでは周期的に“新しい生き方”にスポットがあたるけれど。

 

新しい生き方の中身はその時々で変わっても、結局それまでの常識やルールでは持続不可能な生き方だと思えば大体間違いない。持続不可能な新しい生き方が、それまでの古い常識やルールに囚われた古い生き方に包摂されると、古いも新しいもないから“新しい生き方”はそのうち新しいものではなくなる。

 

美術館にあってもおかしくないような、素晴らしい翡翠(多分)のイヤリングに魅了された若い女性が、通りすがりの豊かで洗練された男性から、翡翠のイヤリングと一緒に自身のお買い上げを打診される。

 

という物欲ありきのシンデレラストーリー、シンデレラになるかならないかで揺れる女性を描いた短編小説を、大昔に読んだことがある。

 

今日明日の食べ物に困るほどの貧ではないけれど、資産で食っていけるほど富裕ではないから給与収入を得ている。そういう女性が、資産で食っていると思われる男性から、美術館にあってもおかしくないような高価な宝飾品を贈り物として打診される。

 

眉唾ものの申し出に対して女性の警戒心が薄いのは、海外旅行中という非日常での出来事だから。という設定と、物欲ありきの申し出にどう応えるのかという設問は、今から思い出しても秀逸だった。

 

翡翠のイヤリングはあまりにも素晴らしく、またその素晴らしいイヤリングは今の自分だからこそよく似合うはずという、自身の売り時や旬がわかっているから高く売ろうかどうしようかで悩む女性心理が読ませどころ。

 

豪華な装身具を身に着けて動き、非日常が日常のように見える男性の申し出を受けることは、安定と堅実と繰り返しの日常に背を向けて享楽を選ぶようなもの。

 

安定と堅実と繰り返しの生活では、翡翠のイヤリングを身に着けることはないけれど、その代わり美術品のように眺めてうっとりすることができる。そもそも、美術館にあってもおかしくないような美術品だから魅了された。

 

そういうものを常に身に纏うようになったときも、ただのんびりうっとり眺めるだけで満足できて、そして二人は仲よく暮らしましたとさが続けばお伽話も続く。

 

翡翠のイヤリング、あるいは翡翠のイヤリング付きのステキな異性を手に入れただけではめでたしめでたしで終われず、続かなかった、続けられずに持続不可能になった時にはお伽話も続かず、安定もしくは不安定で、堅実あるいは破綻した繰り返しが待っているのかも。

 

持続不可能なはずのものが持続可能になったのなら新しく、持続不可能なはずものがやっぱり持続不可能になったのなら、新しくない。