クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

上位互換と下位互換

下位互換は量産品にしやすく、上位互換は量産できないから希少品となる。

 

ロミオとジュリエットといえば、悲恋物の代名詞。

 

シェイクスピア原作のオリジナルに、何らかの形で触れたことがなくても、敵同士の家に生まれた息子と娘が恋に落ち、ハッピーではない終わり方をする。くらいの知識はありそうなもの。

 

ところで現代で、敵同士や犬猿の仲をシェイクスピアの時代と同じような名門の家で見つけようとすると、難しい。

 

名門あるいは権門の家は、名門あるいは権門という階層=クラスタを補強するために、逸脱できないよう情と利害の双方向から絡み取られがち、クラスタに組み込まれがちで、一強支配のワントップになりがち。

 

だから、犬猿の仲や敵同士というツートップが成り立つのは、名門や権門を構成するクラスタが一方向ではない、少なくとも2種類以上ある状況ということになる。そして名門や権門にルーツや成り立ちの異なるツートップ集団が存在しやすいのは、だから社会の混乱期ということになる。

 

エストサイド物語は、ロミオとジュリエットを対立する不良グループから誕生させたから、新しい時代にも受け入れられた。

 

血で血を洗うような抗争は、名門や権門からはほど遠い。

 

社会が安定して、名門や権門を構成するクラスタが一方向、学歴や収入に向かうと“金持ち喧嘩せず”で、持てる者同士がわかりやすく殴り合う姿は見えなくなる。何しろ名門や権門でいるためには失ってはならないものがあるからで、露骨に殴り合うのは失うものがない不良グループ。

 

という、ウエストサイド物語当時の暗黙の了解を、ロミオとジュリエットという素材に落とし込んで、誰にでも見えるしわかりやすい形にしたから懐古趣味や復古趣味の枠を超えて、ウエストサイド物語という新しい素材が誕生した。

 

エストサイド物語は、抗争を繰り返す反社会性と親和性の高いファミリーのもとに生まれた男女が恋に落ち、ハッピーではない終わり方をする素材。だと定義すると、ロミオとジュリエットに縛られず、ウエストサイド物語という素材に落とし込んだアレンジが可能になる。

 

お金だけではない、名声や威信を背負った持てる者は、そう簡単に喧嘩しないしできない。

 

持たざる者は、おやつにするケーキやアイスクリーム、一瞬でなくなってしまうものをめぐってでさえ殴り合える。殴り合いの構図が簡単に作れるから量産も可能。

 

その一方で、本来殴り合うはずのない持てる者同士が殴り合うにはまず舞台が重要で、舞台の準備ができないと殴り合いも始まらない。だから量産は不可能で希少。

 

影響力を発揮する、“大きな声”が備わったツールが限られていた一時代前に、英語圏でベストセラーを連発したジェフリー・アーチャーという作家は、『ケインとアベル』のあとに『ロスノフスキ家の娘』を出版した。

 

アメリカ史上初の女性大統領が誕生する壮大なストーリーで、下敷きはロミオとジュリエット

 

銀のスプーンを握って生まれた名門出身、名家の銀行家の息子と、第二次大戦の生き残りで移民から成功した実業家の娘が恋に落ちる。この二人の恋は残念ながら悲しい結末を迎えるけれど、悲しい出来事のあと、ロスノフスキ家の娘フロレンティナは米国史上初の女性大統領への道を歩み出す。

 

敵同士から生まれた悲恋(でも幸せ成分いっぱい)が、最終的には当時の最高権力への道に続いたという点で、ロミオとジュリエットのパターンを踏襲したあらゆるコピーの中でも最高級の上位互換だと今でも思ってる。

 

原作=オリジナルに忠実にという原理主義に照らすと邪道ではあっても、作り話とはいえ夢いっぱいで、前例にとらわれずに未来の方を向いている。夢いっぱいで未来志向だから、夢破れた多数からは快く思われず、今では日本語で読むことは難しいのかも。

 

実業の世界で成功した、もともとは悲惨な過去持ちの成功者と、名門出身という恵まれた出自を存分に生かして才能を伸ばした成功者が、ツートップとして並び立つのは大戦後の混乱期という時代。

 

舞台が整わないとツートップを成立させることさえ難しく、安定の副産物としてワントップで一強ということになるのかも。かもかも。

 

社会の混乱期に、”悲惨な生い立ち”という商品価値を最大限に利用して成功した人は、だから最初からその構図を理解しているお利口さん。ということになる。