クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

へんな人

髪も髭も伸び放題。自身が決して清潔とは言えない状態にもかかわらず、過度な潔癖症で直接モノに触れることができず、触れないから、室内は手袋代わりにしたティッシュの山だらけだった。

 

と、描写された奇人の大富豪像に出逢ったのは、むかーし流行ったリーガルサスペンスの中でのことだった。

 

なぜ大富豪、普通に考えれば恵まれた人が、そんな風におかしくなるのか。

 

という興味で時々見返す『アビエイター』は、大富豪ハワード・ヒューズがおかしくなった時の様子を、今でも映像に残している。

 

あのシーンは要するに悪魔憑きを表現したもので、悪魔憑きとはどのようなものかといえば、健康=フィジカル面で大きなダメージを負った時に、金銭=ファイナンシャル面でも多大な負債を背負い、精神=メンタル面が痛めつけられるような三重苦。そこに人間関係の破綻も加わった、四重苦を背負わされた人が陥りやすい状態なんだと思えばわかりやすい。

 

だから、健康が回復して財政が持ち直し、メンタルに対する手厚いサポートがあると奇矯な振舞いもおさまり、おかしな部分が減るから人間関係も回復していくと、悪魔憑きから悪魔が消えていく。

 

敵が多いと、メンタル面を痛めつけ、財政面(=経済基盤)は脅かし、人間関係を破壊しようとする相手に事欠かない。

 

大富豪ハワード・ヒューズは、“親譲りの資産“を武器に映画産業に乗り出し、航空機産業に乗り出していく。

 

どう考えても、敵いっぱい。

 

敵がいっぱいだから、映画産業では大枚はたいて駄作を作るという、金蔓にされているように見えた。本人は楽しそうだから、いいっちゃいいんだけど。歓迎されていたら、いいスタッフくらい紹介しそうなもの。

 

映画産業でも、航空機産業でも。

 

ワンマンとしてリーダーシップを発揮するシーンばかり強調されていて、修行無しで“親譲りの財産”を使って産業界に乗り込むと、よいスタッフに恵まれる機会が圧倒的に少なくなって、ワンオペになるんだとでもいってるよう。

 

悪魔憑き、すなわち健康面や金銭面に加え、何らかのトラブルを抱えて危機に陥った時。

 

情緒をサポートする人物がいればメンタルは安定し、金銭面をサポートする人物がいれば財政基盤も安定し、健康を取り戻すのも早くなる。

 

損得を越えて、情で動くから心を許せる相手と、損得勘定で動き、損得で動くから情に流されない二者が揃っていると、どんな危機も乗り越えやすい。

 

ハワード・ヒューズの場合、二人の女性が情緒面をサポートし、会社は会社でサポートする人物がいた。

 

情を預けた相手に財政面まで任せるようなことはなく、会社(あるいは財政面)を預けた相手に情を預けるようなことはしない。というセンスの持主だから、誰が見ても危うい精神状態から抜け出して、公の前に姿を見せてみごとな弁舌をふるう復活を見せたのかも。

 

ハワード・ヒューズの時代は、映画。映画に限らず、メディアは影響力アップに最適。影響力の別名である大きな声さえあれば、道理は通らなくても無理が通せる。

 

ルール遵守という道理を通すにはスタッフが必要で、よきスタッフに恵まれないと、無理を通すしかなくなる。スタッフにめぐまれずに無理を通すしかなかったら、無理を通すために影響力の別名大きな声を得るのに最適なツール、メディアに手を出すしかない。

 

そう考えると、航空機産業のように安全や人命優先で規制や規則に縛られた業界に新しく登場するプレーヤーは、往々にしてメディア産業を背負って登場するのもよくわかる。

 

安全や人命に対する優先度を下げざるを得ない、ルーキーであるハワード・ヒューズ自身がテストパイロットとして常に操縦桿を握っていた。という描写は、“人任せにしなかった”という印象を抱かせるようになっていた。

 

人任せにせず操縦桿を握り、逆風が吹いた時も逆風を受け続けていたのは彼で、誰かを身代わりにすることなく自力で危機を脱した。

 

という非凡なエピソードの数々は、やっぱり彼はどう考えても非凡な人だから、出現そのものが稀なレアケース。だから、量産型なんてありえない。という史実を伝えるために、この種の大富豪奇人伝が生まれてくるのかも。かもかも。