クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

平均と中央

カモメ広げる翼うえ鳩が二羽 乙女下敷き何思う

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5文字7文字の組合せで文章を組み立てると、それだけでもう短歌か俳句っぽくなる。季語やその他、ちゃんとしたルールに則っていなくても。“ちゃんとしたルール“は、っぽいものとそれ以外を分けるポイントでツール。

 

受益者は利益を受ける人のことで、利益の落ち着く先。利益にはわかりやすく金銭に交換可能なものと、何がどうなって一体誰の儲けになっているのか。一見しただけではわかりにくい利益がある。

 

政治もエンターテイメントも、受益者で利益の受け手は普通の人。政治は、政治的決着という単語があるくらい複雑なものだから、利益と金銭が直線で結びついたものは政治じゃない。

 

普通の人の願いを反映して政治もエンターテイメントも形となるから、受け手である普通の人が何を望むかで未来の形が決まる。数に勝る大多数の受け手ではなく、少数の発信者によって未来の形が定まるのなら、発信者由来。

 

普通を平凡と読み替えると、普通じゃないは非凡になる。

 

じゃあ平凡って何?非凡って何さ???と考えた時には平均値や中央値のデータがあるとわかりやすい。だから平均や真ん中を知るために一度数字に直し、数字をもとに具現化させて立体映像にでもすれば、平凡や非凡は誰が見てもわかりやすくなる。

 

平凡や非凡がわかりやすくなるから、データが注目されるんだと思ってる。

 

エンタメも政治も受益者は普通の人だから、政治とエンタメがコラボあるいはタッグを組むと、本来被らないはずの各々の支持者層が重なって、単独では出せなかった普通の人の支持が集まって大きな数字、データになるのかも。

 

普通の人がもっともとっつきやすいジャンルは、ブルーオーシャンレッドオーシャン。独占できるとおいしいけれど、独占に至る道のりは遠くて長い。独占できずに次々と脱落していくから、最終的に独占できるものは少数になって、仕組みやシステムそのものは専制に見える。

 

ヒト・モノ・カネ(別名、人材に物資に予算)すべてを握っていれば、バイプレーヤーの活躍する場所くらいすぐ作れそう。

 

だから主役を張れる=多数のバイプレーヤーが真ん中に置いておきたくなるということで、主役はバイプレーヤーの活躍できる場を作ってくれると同じ意味になる。

 

バイプレーヤーの活躍できる場を作るにはヒトもモノもカネも事欠くと、バイプレーヤーは今いる場所がベストポジションになる。

 

バイプレーヤーが活躍できる場を成長余力と考えると、ヒトモノカネを握っていれば、成長の余地となる余白だって作ろうと思えば作れる。お金を使って人と物を動かして空白地帯を作り、移し替えればいいだけだから。

 

4月1日は新年度の始まりで、成長余力のあるフレッシュマンが集うシーズン。次年度やそれ以降のフレッシュマンを意識してか、企業や組織のトップ自らが集団を売り込んでいる姿をあちこちで見た。

 

あれは、ヒトもモノもカネも握っているトップだったら、フレッシュマンを活躍させる余地も余白もすぐに作れるんだよとアピールしてるようにも見えて、どんなリクルート広告よりも効果のあるリクルート広告だと思った。

 

成長余地があるというメッセージは、成長意欲旺盛な人を引き寄せる。

 

普通の人の望みにもっとも興味を持つのは普通じゃない人で、普通じゃない人のメシの種は普通の人が日常使いするものだから。企業の時価総額ランキング的なものを眺めると、上位には普通の人が日常使いするモノやサービスを提供する企業がズラリと並んでいる。

 

ところが普通じゃない人は、セキュリティがネックとなって普通の人との接点が持てない。

 

だから普通の人と接点が持てる、普通の人の声やデータあるいは望みに容易にアクセスできるどこかや何かを押さえていると“普通の人が望む普通じゃない人”になりやすい。だって、平均値や中央値を知っているんだから。

 

そして普通の人が望まない普通じゃない人は、普通じゃない人の側にいる普通の人から生まれてくることになり、普通じゃない人が普通の人という壁を取り除けるうちは、直接普通の人にアクセスしにくるようになるのかも。