クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

横か縦か。

アメリカでは大統領の次に人選が難しいのは、NY市長だと何かで見たことがある。

 

NYといえばアメリカを代表する大都市で、大都市だから繫栄してる。リッチマンがいっぱい。その一方で、繫栄の対価として持たざる人も多いから、平均が見えにくい。あるいは、平均像が想像しにくい。

 

“平均が掴みにくい都市の姿”を東京に置き換えると、よりわかりやすくなる。ついでに、東京の姿が日本の典型とは言い難いように、NYの姿もアメリカの典型とは言い難いんだろう。

 

平均が掴みにくいと中間層の存在が希薄になって、極端に持てる人と持たざる人のどちらかに比重が傾いて、極端あるいは過激な主張が持て囃されやすくなる。だから、ちっとも過激ではなく極端でもない、マイルドで穏当な意見や主張が通りにくくなる。

 

マイルドで穏当な意見や主張が通りにくい都市のリーダーに、だからといって過激で極端な意見や主張を持つリーダーを選べばいいかといえばそうでもなく、だから人選で揉める。それが、繁栄する大都市のリーダーなんだと思えば納得する。

 

繁栄は、ニューカマーとその地で代を重ねたロコとの相乗効果で転がりこんでくるもの。

 

繁栄を選べばどちらかを切り捨てることはできず、ニューカマーとロコの双方の主張を過不足なく取り入れようとすると、たすき掛け人事的な采配が最適解。

 

最適解をめざさずどちらかが利益総取りをめざすと、意見や主張が先鋭化して過激になって、現実離れしていく。

 

全国の天気予報のニュースなどで東京の広域図が映し出されるたびに、高層ビルの少なさに目が留まる。

 

引いて見た時に高層ビルより目につくのは、びっしりと地面を覆いつくす高層ではない建物の方。ついでに緑も少ない。限られた面積の高度利用や効率を求めた時に、上方向にしか伸びることができなかった都市は、どう考えても非効率の塊にしか見えない。

 

限られた面積の高度利用や効率を考えた時、上方向ではなく横方向に伸びることができたエリアや物件の事業主体を考えた時、広範囲での効率を求めているのはどちらの方なのかも、なんとなく見当がつく。

 

効率を重視すると非効率の塊からは自然と離れていき、新陳代謝が進む。

 

代謝スピードを加速させたかったら、作為的に効率を落としたり上げたりして調整弁とする。その種の調整弁の扱いが上手いと、はた目には魔術でも操ってるように見えるんだろう。

 

少数の高層建築物に、効率や高度利用をおまかせしていればよかった時は、大多数が効率無視で生きられたのどかな時代。その反対に、どんなものでも多数の人がまず効率ありきで臨むような時は、全然のどかじゃない。

 

効率や高度利用を担ってきたごく少数派がリタイアして、非効率が楽しみになる前に非効率の塊を効率の塊に変えてしまうと、どこからどう見てもイヤミっぽくて盛大な嫌がらせになる。

 

盛大なイヤミや嫌がらせをしたくなるほど非効率が嫌いなんだと、盛大にアピールできる機会を最大限利用できる利用主体がわかれば、どこから由来でイヤミや嫌がらせが発生しているのかも、なんとなーくわかる。