クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

自分で作るしかないのが中級品

海外のライフスタイルショップのサイトを、時々眺めにいく。

 

キッチンやリビングなどなど。インテリア商品が豊富で、目の保養になるから。調理家電や製菓用のツールも豊富で、お手本のように上手にできるようになるかどうかは別として、とにかくツールが豊富。ツールが揃っていると、作ってみようという気持ちも生まれやすい。

 

同時に大都市は別として、大都市でもない都市や都市でもない街では、高級品でも廉価な普及品でもない中級品は、買うことができないからもはや自作するしかないんだろうとも思う。

 

高級品や廉価な普及品といったピンとキリが豊富に揃っていると、どちらでもない中級品は、なにしろ最終的には自作という手段が残されているだけに、高級品や廉価な普及品でもない層が薄くなるとともにシュリンクしていく。

 

高級品でもないけど、廉価な普及品でもない。という自負がある真ん中の層は、だいたい中より上と思いたいものだから、ど真ん中が一斉に真ん中より上と思い始めて真ん中より上と同じように振る舞い始めると、世の中から一気に中級品が消える。

 

コストと質を考えた時、高級品を選んでも廉価な普及品を選んでも割に合わずに納得感が薄いと自作に走り、自作する余裕がないと、割に合わないとわかっていても不合理な方を選ぶようになる。

 

不合理が積み重なると、何しろ不合理で理屈に合わない方を選んだわけだから、最終的には破綻する。破綻までいかなくても、何かしらは綻びる。

 

真ん中より上と同じように振る舞ううちに、本当に真ん中より上と同じ高級品になれたら不合理にはならないんだけど。真ん中より上と同じように振る舞ううちにストックを食い潰し、最終的には真ん中からも滑り落ちたらもう中級品でもない。

 

自作するツールや、素材。ついでに時間といった、自作できる環境さえ奪われた時、潔く廉価な普及品を選べたらまだいいんだけど。

 

簡単に手に入るのは、現実のライフスタイルとはかけ離れた高級品だけ。という環境になっていると、ただひたすら何かが歪んであらゆるものがアンバランスになっていく。

 

見栄張り消費で動く経済と、見栄を張らない消費で動く経済。

 

太りたくないという心理や好きだから、本当は心の底から鰺の干物みたいなものが食べたくて食べ続けるのが見栄張らない経済。だけどいったん見栄張り経済圏に取り込まれると、見栄張らない経済を貫くのは難しくなる。

 

ストックを食い潰すばかりで結局は高級品になれないのは待てないからで、待てないのは急かされるから。急げと煽る人もいなくなると、見栄のようなものにも振り回されず、他者や第三者の介入も極小になって、見栄張り経済と見栄張らない経済の主体が、いつの間にか入れ替わるようなことにもならずに済む。

 

見栄張り経済を選んだら、掴まされたのは「虚」でした。という事態になっても平静な見栄張らない経済好きは、そんなに多くないと思う。