クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ひとつ増えたところで

心にいつまでもわだかまっている悪感情が「恨」で、植物を地中にとどめているのが「根」。

 

右側にある“つくり”の部分は、どちらにしても「とどまる」の意味。心にひとつ加わると左側にある“へん”の部分は木になって、いつまでも地中にとどまる根っこになる。

 

いつまでもわだかまり続ける悪感情を抱えた心に、何かがプラスされると根っこになって地中にとどまるのなら、その土から生まれたものは何だかおっかない。いつまでもわだかまり続ける悪感情を帳消しにするくらい、大いなるプラスじゃないとプラスのイメージには転換しない。

 

負の歴史を打ち消すような、どどーんと立派な建物が建つのはだから、プラスに転換することを願ってのもの。

 

どどーんと立派な建物を建てたいという願望が先で、そのあとに負の歴史が生まれたのなら、いくら立派な建物を建てたところでプラスのイメージにはそう簡単に転換しない。

 

目に見える立派な建物よりも、目に見えないイメージや雰囲気の方が勝る。目に見えないイメージや雰囲気を自在に操られると、いくら建物を立派にしようと立派な建物を作ろうと、砂漠に撒く水になる。

 

いっそ、本当の砂漠だったらいいんだけど。

 

地面のお値段がお高いはずの場所で時々見掛ける、地面のお値段がお高いはずの場所には不釣り合いな建物は、だから目に見えないイメージや雰囲気が勝利してる場所で、目に見えないイメージや雰囲気を操るのが得意な側のものだと思えば納得する。

 

資本主義の最前線ともいえるような場所では、その種のミスマッチは今ではもうあんまり見掛けない。最前線ではイメージや雰囲気は、通用しなくなってることがよくわかる。

 

イメージや雰囲気が通用するのは、資本主義の最前線からは遠い場所さ。