クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

物差し

音、音声でお知らせしてくれるのは思えば便利な機能で、便利だからいつの間にか家電が喋り始めるようになった。

 

お喋りする家電を気にしないのは、家電はもうすでに喋るという機能を獲得したことを知っているからで、お喋りが気になるようだったら、機能として喋らない家電を選べばいいだけ。

 

喋る機能付きの家電そのものを今さら駆逐しようとしても、音に反応する家電の便利さを受け入れた側は、便利な機能をそう簡単にはあきらめない。便利という有用さをはるかに上回るなんらかの不都合がない限り、フツーは便利なものをそのまま使い続ける。

 

必要な機能かそうでない機能かは、ツールとして使っているユーザーが決めることで、ツールに決めてもらうことじゃない。

 

公開情報が役立たずだったら、そもそも公開する意味がない。

 

公開する意味がなくなったら、公開するな、公開の場に出すなということになって、本来公開してもなんら問題のない情報もみーんな地下に潜っちゃうんじゃないすかね。

 

きつく締めたものを緩めるのも、いったん地下に潜ったものをまたまた表に引っ張り出すのも、締めたり引っ込めたりするよりはるかに大変で、エネルギーがいる。

 

余計な労力がかかるからその場合の労力は、締めたり引っ込めたりして回った側に負担してもらうと、どんなに大変かがわかって教育的。締めたり引っ込めたりを生業としている側だったら、当然締めたり引っ込めたりするコストも頭に入ってる。

 

正義のお値段10兆円と言われても気にしないのなら、正義を担保するのに余裕でその程度の予算がかかると知ってる側で、知ってるから無駄使いなんてしないしできない。請求書を見てビックリする程度の予算しかなかったら、正義の側から不正義の側へと急いで乗り換えるしかない。

 

正義と不正義の間を行ったり来たりなのは資金がショートするからで、ショートするような資金の裏付けしかない、何よりの証拠。正義のお値段10兆円と言われた時。正義から乗り換えても構わない立場だったら、フツーは不正義の側へと立場を変える。

 

じゃあ、10兆円稼げばいいんでしょ?と、正義にかかるコストめざして稼ぐのは、だからもう全然フツーじゃない。

 

常識の閾値をはるかに凌駕しているっていうのはそういうことで、はるかに凌駕しているから、常識で理解しようとしても理解が追いつくわけがない。お金という簡単な物差しを使ってないと、物差しそのものも複雑になる。