クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

私的空間

重箱の隅をつつかれないように、あらかじめつつかれそうな箇所は回避して迂回してるってことは、重箱の隅をつつかれ慣れてる。突っつく側は、突っつくポイントをよくわきまえているからそこんとこは上手にボカし、フライングは別の誰かにおまかせ☆

 

克服出来ているものやヘッジできているものは、目の敵にはならない。

 

まだヘッジも克服もできてなくて、いつまで経っても乗り越えられないままだと目の敵のままで、自ら弱点を晒しつつ放置してることになる。わざと放置して、深謀遠慮があるように見せ掛けながら、実際は本当にただ苦手で弱点なだけだったら、また話は別。

 

食わず嫌いが許されるのは、私的空間。あれもキライ、これもキライと好きなものだけで砦を築いても文句が出ないのは、そこが私的空間だから。

 

あれもキライ、これもキライと嫌いなものだらけで築いた立派な砦は、公的性格が増すほどに好き嫌いが許されなくなっていく。好き嫌いを貫こうとしても兵糧攻めにあって、蓄えが底を付くような羽目にでもなったら公的支援を仰ぐことになり、公的支援を仰ぐ際にはきっと食わず嫌いは許されない。

 

好き嫌いを貫くには、兵糧攻めにあおうがどうしようが気にせず揺らがない仕組みが必要で、最初期にそこに気付いて何度も手当し直してきた。好き嫌いを貫くためという、これ以上ないほどクリアでシンプルな初心を貫徹するためにできた強固な砦は、どう考えても安易に公的支援を仰いだりはしなさげ。

 

安易に公的支援に頼るくらいなら、支援に頼った砦そのものを捨てていきそうなのがガチ勢で、ガチ勢が居なくなったから偏向してない証しとして公的支援も仰げた。という考え方もできる。

 

好き嫌いを貫くためという、これ以上ないほどクリアで強固な初心を貫徹するためにできた強固な砦が、網目のように細かく細分化されていたら、すぐにソレとも気付けない。すぐにソレとは気付けないから、気付けば周囲に蔓延して一体化して過激化して、嫌いなもののために拳をめいっぱい振り下ろして気が済んだらあるいはやり過ぎたら、また網目のようにステルス化して見えなくなっていく。

 

嫌いなもののために拳をめいっぱい振り下ろすという「好き」を貫くその日のために。

 

ステルス化も厭わずすーっと消え、次に備えてただ稼いで稼ぎまくるという生き方は、誰にでもできることじゃないから人を選び、選んだ人に選んだ証しとして勝手にマーキングしていく。

 

好き嫌いを貫けない仕組みで大きく偏った集団の偏向を覆って奪ってしまうと、好き嫌いを貫く意味がひとまず集団から薄れ、一体化して過激化する契機も奪う。ついでに、一体化して過激化した好き嫌いの暴走を見た後では、好き嫌いについての声も控えめ。

 

小さく控えめになったささやかな声でも、拾う仕組みを持ってる方は無問題で、好き嫌いについて、大きな声を好んで頼りにしてた方にとっては大問題さ。