クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

百年経ったら、みんな忘れる

礼砲が轟き、歴史的装束姿の御前での万歳三唱。

 

明治も大正も昭和も平成も遠くなった後世で、その時の写真や動画を見せて「ではこれは一体いつの時代の出来事でしょうか?」と聞いてみたら、間違って明治や昭和と答える人が続出するかも。

 

百年経ってもその顔を覚えてもらえる人なんて、ほんのひと握り。

 

ほんのひと握りで、その気になったらすり替えられる可能性だってある。すり替えられてもそれと気付く人が増えるように、「顔が名刺」なんだったら可能な限り露出の機会を増やすに限るやね。

 

例えばグループで活動してたような人。そのうちの一人や二人が、“大人の事情“で顔や名前を変えられてしまっても、往時を鮮明に覚えている人も間違いを間違いだと指摘できる人も少なくなれば、やってやれないこともない。

 

やだおじいちゃん、おばあちゃんったらボケちゃって。年取ったら人の顔なんて変わるものよ、と相手にされないのがオチで、アレ俺詐欺やオレオレ詐欺の未来の姿かも。

 

「顔が名刺」といっても、その人をその人足らしめているものが顔以外にも豊富にあったら、名刺代わりの顔に過剰に頼り過ぎることもないんだけどさ。顔以外にも豊富にある、その人をその人足らしめているものを、片っ端から奪われていった時に、さてどうやって存在証明すればいいんですかね???と考え始めるとディストピア

 

ディストピアを想像できる人にしか、ディストピアは防げない。

 

ディストピアを想像した時の対抗手段が、人海戦術かと思うとアナログでちょっとゲンナリ。とはいってもそんなアナログなものを繋いだのは一体何さと考えると、ディストピアを想像できる人たちの居場所にも見当がつくってもの。

 

悪い未来を常に予想して、想定し得る限り最悪の事態に備え、そのための予算を分捕ってくるのが得意なのも誰かとついでに合わせて考えたら、該当する対象も限られてくる。人海戦術は、人件費が高くつくようになると続かない。続けようとすれば動員対象の質が下がり、質が下がったまま続ける人海戦術は効果が薄いから、やっても意味がない。費用が嵩むだけ。

 

最初から金満漬け、お金ザックザクの状態に慣らされ予算獲得の苦労も知らなかったら、そのうち行き詰って資金ショートの未来が待っている。

 

最初から資金ショートの恐怖と背中合わせで鍛えられてきた、待つことがちっとも苦ではない待てる人は、その時を果報が転がり込んでくるのを、本当にただ寝ながら待ってるだけかもね。