クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

でっかいんだけどさ

北海道はでっかいどうという、よく知られたイメージを利用してか、“関東以北最大級”という枕詞をよく見かける北の大地。墓地だってでっかい。

 

こんなにだだっ広い墓地も、いずれはびっしり埋まるのか。。と、きたる未来を想像すると何とも言えない気持ちにもなる。その反面、都市への人口集中が進んで住環境に恵まれた住宅あるいは住宅地が不足するようになると、墓地のような縁起悪い施設を交通アクセスに恵まれた好立地に作るわけにはいかなくなりそうで、この辺りは地面のお値段に詳しい人に聞いてみたいところ。

 

持てる者と持たざる者と。スーパーリッチマンと庶民との生活格差は広がってるらしいけど。かといって自己顕示欲の強いスーパーリッチマンであっても、現代日本でピラミッドのような、自己顕示欲と財力や権力相応のお墓を街中に建てられるかというと、きっと無理。

 

自己顕示欲の強いスーパーリッチマンは、別の言葉で表現すればノイジーマイノリティ。

 

マジョリティーに合わせて作られた社会規範のなかでは、マジョリティーの意に沿わないものは、マジョリティーの意に沿うまでダメ出し食らって改変される。

 

だから、もしも自己顕示欲がやたら滅多に強い酔狂なスーパーリッチマンが、今まで社会に対して多大な貢献をしてきた証として、気に入った場所にピラミッドのような奇抜なモニュメントを建てたいと思っても、最初に思い描いた形そのまんまで意見が通るとは思えない。

 

なんでここにそれがあるわけ???必要なわけ???

 

と、他人様のお金の使い道にやたら滅多と厳しい人たちは、彼らが納得するまでダメ出しをやめないに違いないから。大多数の人にとっては意味もなければ利用もできず、ただ眺めるだけ。権力や財力の大きさだけを記念したモニュメントを、地面のお値段が飛び切り高い場所に作れたら、何よりも権力や財力の証になるんだけど。

 

何よりも権力や財力の証となるから、万人に認められた権力者にしかそんなわがままは許されず、万人に認められた権力者がすでに存在する場合はややこしくなるだけだから、どちらかが譲ってる。

 

例えば美術館に公園。誰かの名前がついた公共性の高い建物や施設は、一種のお墓。

 

社会に対して少なからぬ、あるいは多大な貢献をしたという自負のある人が選んだお墓のカタチだと思えば、恩を感じている人もお参りしやすくなるってもの。

 

美術館や公園に代表される公共寄りの建物や施設だと、なんでここにそれがあるわけ???必要なわけ???とも言われにくいから、作りやすくもあるけれど、“公“と相性が悪かった人が最後に選ぶお墓のカタチとしては、どうなんでしょ。

 

既製品、すでにあるもので十分賄えるのは思えばお得でコスパがよくて、お得やコスパよしが大好きだったのに、最後の最後でお得でもコスパもよくないオーダーメイド品が必要になるんだったら、無念。あるいは未練たっぷりになりそうで、モッタイナイと化けて出てきそうで、クワバラクワバラ。