クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お試し

試しにお店出してみたら、よくわかる。大した儲けは期待できず、宣伝効果と言ったってきっと微々たるもの。お店出してなくても、それくらいは想像がつく。なのにランニングコストを問題にもしないような態度で、毎年同じ場所で同じお店がシレっと顔を出している。

 

立派な建物を作るコストも、それなり。立派な建物を維持する、ランニングコストもそれなり。表には出ず、ランニングコストを負担し続ける方が、重荷で負担。ついでに、持久力のあるなしも丸わかり。

 

最初は傷物や慰み物で、次は笑い物。笑い物にしたあとには腫れ物でようやく三変化。一人で一生も二生も生きるのは大変ね。

 

転生を重ねるたびに、死に切れぬもの、ノスフェラトゥへと近づいていく。死に切れぬものになる前には、かぶき物や突破物への転生の道もあり。でも結局のところ、死に切れぬものに近づくよりも、失せ物や失くし物になる方がずっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと健全さ。

 

いつまでも若く美しく。人の生き血を啜って生きる、ノスフェラトゥにヴァンパイア。ふた昔あるいはそれよりもっと以前には、よくフィクションの題材にもなってたけどさ。

 

あら、ここにもあそこにもノスフェラトゥ

 

という、いつまでたっても若くて美しいままの人が、昔と変わらない姿でそこかしこで目撃されるようになったら、もうフィクションの素材にもできないしならない。現実は、おもちゃにはできないしならないから。

 

いつまでたっても若くて美しいままで、経年変化がまったく感じられないとかえって不審。加工してないはずなのにそのままだと、どう考えても不思議。劣化しないからこそ表に出て来れなくなった、表に出るお仕事のはずの人。いるかもねと考えると、日常も非日常に変わる。

 

悪いことをする時に頼りになるのはまず悪知恵で、腕力や体力はどうとでもなる。悪い人から目を付けられないように、賢し気な振舞いは極力表に出さないのも、今では社会的スキルのうちに入るかもね。かもかも。