クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

季節限定

大根は大根にしか見えず、かぐわしい花にも優美な白鳥に見えたりすることもない。

 

大根にしか見えないのに、その正体は実は優美な白鳥が大根の真似をしてるだけなんだったら、びっくりする。ついでに、大根の真似がとっても上手な白鳥が、どの辺りに生息してるのか。知りたくもなるやね。

 

季節限定のフードコート、今年はアルコール成分多めのような気がしてしょうがない。

 

収穫を祝って飲み食いして、歌や踊りを見るようになっている、要は秋祭り。そう言ってしまうとそこはかとなく台無しになるけれど、古来からある秋祭りをすぐにそうとは気づかせない形で後世に残したと思えば、また別の感慨もあり。

 

昔からある形をそのまんまで差し出しても、昔のままだとソッポ向く人もいるから。

 

変わらないものを歓迎する人もいれば、変わらないものを嫌悪する人もいる。変わらないものへの憎悪があからさまだと、変わらないままで差し出すわけにはいかず、すぐにそうとは気づかせない形に、ちょっとアレンジ。

 

にんじんが嫌いな子供向けに、すりおろしてキャロットケーキにしてだまくらかすようなもの。

 

なんでわざわざ外で食べるのさ???

 

と、思ったのも今は昔。季節限定とはいえ要はフードコートだから、気兼ねがない。気兼ねなくただ何かを食べたり飲んだりしたいだけの時に、フードコートはちょうどいい。フードコート以外の場所では気が張る、あるいは気を遣う人が、逆に言えば案外たくさんいることの裏返しかもね。かもかも。

 

例えば歌舞伎の女形に宝塚の男役。中身が入れ替わると、理想を体現しやすい。自身のありようを疑うこともない人はそのまんまで、ことさら男らしさや女らしさあるいは人間らしさを意識することも強調することもない。

 

意識しないから、「らしさ」をらしくさせているものについて深く考えることもなく、突然中身が入れ替わるとただ戸惑うだけ。フツーは突然中身が入れ替わるなんてことはないから、深く考えなくてもいいんだけどさ。

 

フツーって何さと考え続けているようなら、フツーについてはきっと一家言お持ちで、フツーはこうあるべきというご高説にはただ頭を垂れて、嵐が通り過ぎるのを待つに限る。

 

フツーはこうと、考えもしない人のありようがフツー。

f:id:waltham70:20190906150449j:plain

「らしく」だったら、こうなのかな?あぁなのかな?と試行錯誤を重ねている姿を見かけた時は、まずは「っぽく」見えればいい理由の方が気になるところ。

 

薄着でフラフラあるいはぶらぶらできる季節も、あっという間に終わる。色つきかモノトーンかで季節がくっきりはっきり分かれる街では、ある日突然色が失われるのさ。