クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

素顔のままで

誰が見ても文句のつけようのない美人あるいはハンサムな人の容姿は、だいたい似たものになってくる。

 

バランスがいいものは美しい。左右対称あるいはパーツの配置が幾何学的で誰が見ても美しいと感じるある法則に則って配置されていると、どうしたってきれいと思うようになっている。だから、きれいと思うと同時にどこかで見たことがあるとも思う。だって再現しやすいから。

 

人工的なものは再現しやすく、コピーが作りやすい。

 

そう知ってるせいか、どうしたって再現もコピーもできない美しいものを見ると、天からの授かりものっぽくて、レアなものとして希少性込みでより尊く見える。

 

人工的な加工は一切加えず、生まれたまんまの姿ですっぴんから美しいと、レアなものとして希少性が高まり、希少性を珍重する人種のあいだでまずは持て囃される。持て囃され見られる機会、露出が増えることでもとからあった美しさに磨きがかかり、より一層美しくなれれば高嶺の花。

 

高嶺の花の育成こそを望んでいた人たちにとっての、ご褒美となれる。

 

そして人工的なものと違って自然なものだから、再現もコピーもできない高嶺の花は、高嶺を投じても安心な資産にもなれる。

 

整形美人とすっぴん美人と。どちらも同じ美人でありながら、生まれたまんまの姿ですっぴんの素顔からきれいな美人の方により重きを置くのは、再現も模倣もできない希少かつ安全な資産を重んじる態度。とも言えるかも。

 

人工的に作った美人は、再現も模倣も容易で化けの皮もはがれやすく、化けの皮がはがれやすい高嶺の花には、危なくって高嶺なんてとても投じられない。高嶺なんかとても投じられない詐欺的商品は、一般的にはハイリスクハイリターンなものとして、リスクは承知のうえで博奕を打つ、ギャンブラーの間でのみ流通してればいいのさ。

 

なーんにも知らない、無知な素人に売りつけるもんじゃない。

 

いくつも仕事を掛け持ちし、整形費用は自前で賄いそれでもきれいになりたかったのなら、そのきれいになりたいというポジティブな気持ちには見るべきものもあるけどさ。整形費用というリスクはパトロン持ちで、リターンはすべて私個人のものだったら、そのがめつさが嫌われる。せっかくきれいになって高嶺の花となれても、安全資産として大事にされることもなく、投機的商品としておもちゃにされるだけ。

 

美人投票では、自分の好みではなくみんなが美人と思う人へ投票が集まるものらしいけど、整形かすっぴんかはきっと問題にしていない。整形美人、人工的な美人を技術的に量産可能な現代では、量産型に対抗するための知恵も相応に発達し、生まれたまんまの姿で素顔からとびきり美しい美人は、みんなの目になんか晒さないし、晒されないように隠される。

 

整形美人しかいなくなった美人投票で吟味するなら、まずは整形費用の出所と賄い方。そのどちらもが隠されてわからないようなとびっきりの整形美人は、とびっきり危ない投機的商品だと疑っちゃうけどね。