クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

小ざっぱり

大草原の小さな家に、北の国から。どちらも開拓地のお話ながら、女手があるとないとでは大違い。

 

大草原の小さな家には女主人がいる。そのおかげで、質素ながらテーブルコーディネートされた食卓に手抜きではない食事が並び、子供たちを筆頭に家族はみなこざっぱり。女主人の目が、行き届いている。ベッドカバーはキルティングで、モノには乏しいながらもステキな我が家の演出にも手抜きなし。

 

街の中心部に住む有力者の家の中とは、家具調度で見劣りすることは確かなんだけど。とはいえ現代目線で見れば、開拓地に生きるフロンティアであっても文化水準は決して低くない。清潔感たっぷり。

 

一方の北の国からでは、女主人がいないせいもあって、朧げな記憶でもステキな我が家とは言い難く、テーブルコーディネートもステキインテリアとも遠かったはず。

 

時代設定も何もかも違うから、そもそも比較することさえナンセンス。なんだけどさ。女手があるとないとでは、大違い。実際に女手を女性が担う必要もない現在目線で考えると、重労働を担わず、戸外で働かず働く必要もない人のお仕事って何さ???を考える上でもよいサンプル。

 

重労働から解放されたら、一体何するの。

 

まずはきっと、心の洗濯も兼ねてのーびのび。のーびのびでたっぷり充電したあとは、身の回りを“きれい“にしたくなるもんじゃないの。重労働な時には見逃していた、アレやコレが目に入るようになるから。

 

重労働だから、家は寝に帰るだけ。食事は空腹を満たすためだけだったら、とにかくお腹いっぱいになればいい。という重労働だった時のライフスタイルはそのままに、軽労働にシフトすると、ただ時間だけを無為に持て余す。

 

ただ持て余しているだけの時間だったら、細部には目が届かず目が届かないから、いつも小ざっぱりとは言い難くなる。いつも小ざっぱりと清潔感を保てるのは何しろマメだからで、マメだから、労力を厭わない。厭わないから時間が過ぎるのも早く、持て余すような無為な時間とも縁がない。

 

家の中も外も。いつもきれいに小ざっぱりと清潔な家はマメさの象徴で、住民自ら磨き上げているのか、それとも誰かにやってもらってでもいるのか。誰かにやってもらってばっかりで、自身で体を動かして家中を磨き上げるようなことはやってこなかったのに、いきなりやるはめになったら、出来るわけがない。

 

マメかマメじゃないかには、性差は関係なく、単なる性格あるいは気質。だから偏在してる。

 

一見すると誰にでもできるようで、マメさがないと継続できないもの。探せば色々あるけれど、偏在するマメさは希少性にもつながって、希少なものはたいてい珍重される。