クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ギルティフリー

大地の怒りかな?と思うくらい、ピカピカゴロゴロする雷で目が覚めた朝。雨も激しく降っていた。まとまった雨、最近降ってなかったから、植物にとってはむしろ恵みの雨かも。

 

ここ数日のまとまった雨のおかげで、乾き気味の大地も少しは潤ったに違いない。スコールのようなにわか雨にも襲われたけど、穏やかではない気候は都市化の代償。局所的に都市化が進むと、局所的に気候も乱れて乱高下が激しくなる。

 

大雪やブリザードに見舞われる一方で、台風や猛暑にも襲われてと暑さと寒さの二極化が進むと、まずは身体が辛くなりそう。暖房のことだけ考えていればよかったのに、夏場はエアコン必須となるとQOLはダダ下がり。

 

そもそも窓を開けず、風を通さない生活が前提ならどってことないんだけどさ。冷房が必要なほどの暑さは一週間か十日ほど。という北国ならではの暮らしは、変わらない方がいい。

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原種に近いバラは、荒野育ち。

夏なのに涼しいあるいは夏であっても時に肌寒く、湿気が少ないという特長は、はるばる北の国にやって来たことを実感させてくれる。涼しい湿気が少ないといった快適さと結びついてなくても、身体的不調やあるいは失調を伴うと、旅に出たあるいは遠くへ来たことを実感しやすくなる。

 

例えば白夜。

 

いちどは体験したいと思っていた白夜は、いちど経験したら懲り懲りするほど身体に堪えた。真夜中であっても薄ら明るく、いつまでも待っても闇が訪れないと、体内時計が狂いまくる。狂いまくった結果、横になっても寝た実感に乏しく、真夜中近くまで明るいからいつまでたってもリラックスした気持ちにはなれず、無駄に元気で消耗した。

 

そもそも白夜、明けない夜が何日も続くことが前提の暮らしだと、身体もいつの間にか慣れ親しんで特に辛くもなんともないんだろうけど、一時的に体験するだけだと慣れる暇もない。慣れる暇もないから辛かったけど、今ではいい思い出。

 

身体的に不調や失調を覚えるほど、日常とはかけ離れた場所に行ったんだと思えばどっちかっていうとお得な気分だから。高山病になるような高峰に登る、あるいは激しい船酔いに幾日も襲われるという経験と、似たようなものかも。

 

山や海では行動が制限されるけど、大地を踏みしめてどこでも歩き放題出掛け放題(実際は言葉の壁や治安の問題があるから、どこでもではないけど)だったら、身体的不調や失調はむしろ遠くまで来たご褒美のようなもの。

 

なんでそんなところまで。。という荒野を旅するのが好きな人は、身体的不調や失調という経験を求めにむしろ荒野を旅するのかも。日常が快適過ぎて出来ることも多過ぎると、感覚はむしろ鈍くなっていきそう。だから切れなくなった包丁を研ぎにいくように、感覚を研ぎ澄ますためにわざわざ荒野に分け入り感覚を鍛え直すのかも。

 

厳しい訓練は、だれた感覚を研ぎ澄ますためのもの。

 

という思惑込みで例えば高峰をめざしている人の頭上をヘリや小型飛行機が行き、頂上まであと何百メートルという場所に降下して登頂成功!と、どこまでも快適な日常を捨てずに何らかの制覇をめざす人と、身体的不調や失調を伴った経験込みでの制覇をめざす人では、見てる世界も制覇したあとに見える世界も違うから、どこまでいっても食い違いそう。

 

手つかずの大自然は魅力的なんだけど、快適な日常の延長で手つかずの自然に乗り込みたい派と、身体的不調や失調込みで手つかずの自然に赴きたい派と、どこまでいっても食い違いそうだから、ルートを分けて無駄な諍いは起こらないようにするのが現実解。