クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ここほれワンワン

最初は政治犯。次に屯田兵がやって来て、最後は市民が加わることで開発が進展したという北海道開拓の歴史。

 

北海道に限らず“手つかずの広大な大地“を人の住める土地に変え、住む人を増やして生活社会インフラを整え、売買の価値があるほどに魅力的な土地に変えようという試みは、あとに続く人が出てこないと頓挫する。

 

政治犯は送り込めたけど、屯田兵に相当するような開拓集団は来なかった。あるいは新天地を求めた開拓集団まではやって来たけれど、開拓集団とは無関係な市民までは来なかった。という理由で開発が頓挫した、元“手つかずの広大な大地”、探せばいっぱいありそう。

 

例えばゴールドラッシュ。

 

ここほれワンワンで、この土地を掘れば一攫千金も夢じゃないと未開の土地へと送り出すのに、小人閑居して不善をなすタイプはぴったり。ゴールドラッシュだけでなく、大きな政変があったあとには現れがちな、何らかの埋蔵金伝説もそうだけど、大人(たいじん)になり損なった人は、不満を貯めこみ閑居して不善をなしがち。

 

暇を持て余して不善をなしがちな人を、とにもかくにも前向きにさせるのが、ここほれワンワンな埋蔵金伝説でゴールドラッシュ。社会の安定を維持するシステムだから、政変があった時には必ず現れる。と思っておくと、埋蔵金伝説が繰り返されるのも納得する。

 

不善をなして大人(たいじん)となった人は、そりゃ不善を掘り返されたくない、あるいは蒸し返されたくないから、ここほれワンワンを奨励する。ここほれワンワンに時間も体力も奪われると、不善をなす気力も体力も奪われていくんだから。

 

気力も体力も奪われた状態で、真っ先に奪われるのは考える力。考える力いらずで楽しめる娯楽を普及させたかったら、まずは考える力を奪ってしまえばいい。

 

識字率の低さとお芝居の隆盛には、きっと因果関係がある。シェイクスピアの時代、あるいはシェイクスピア劇が人気だった時代の識字率や就学率は、どう考えても高くない。原典に対する読解力はなくても、面白おかしい劇となったら内容に対する理解も容易。容易に理解できたお芝居を通じて、文字が読めない人でもシェイクスピアを知ったと思えば納得。

 

日本に住んでいても日本語、それも書き言葉の日本語には親しんでいない人でも、お芝居やとなれば理解も容易で話にもついていけるのと一緒。

 

気力も体力も奪われているから、考える力いらずで楽しめる娯楽に親しむ人と、そもそも読めないし理解もできないから考える力いらずで楽しめる娯楽に親しむ人と。同じものを見ていても、背景は違うのが多様化した世の中ってもの。

 

小人閑居して不善をなすタイプの人に、どうせなすなら善行をと、ここほれワンワンと手つかずの大地を耕すよう促してみる。それは、大人(たいじん)の知恵というよりどっちかっていうとプランテーション農園経営に近く、プランテーションが儲かったのは奴隷労働で労働力を考えなくてもよかったから。

 

というよけいな知恵がどっさり詰め込まれていると、前例の踏襲なんてするわけないじゃん。