あの時何を食べていたのか。今となってはまったく思い出せないけれど、買い出しに行った時に見た光景と、買いそびれたものについてはよく覚えてる。
ホワイトデーを意識して作ったに違いない、可愛らしい和菓子がショーウンドウを飾ってた。平時だったら衝動買いしそうなものは、非常時には後回し。お店がやってたのかどうかも、今となっては怪しいけどさ。
お腹は空くから、何かしら食べていた。ただ空腹を満たすため、エネルギーを摂るためだけの食事が続いたことは間違いない。
美味しいとかキレイとか可愛いとか。
いちいち感動できるのも、気持ちの余裕があってのこと。美味しそうも可愛いもキレイも寄せ付けないのなら、その人はまだその手のものを受け入れられるようにはなっていないってこと。
食料が必要になると思ったから、次の日に買い出しに行ったお店は、開店と同時に滑り込んだせいかいつもより空いていた。というより、ほとんどお客さんなんて居なかった。お店がやってるとも思われていなかったんじゃないだろうか。余震もそれなりにあったはずで、今となってはよく営業したよな。。と逆に感心する。
未曽有の事態はまさに未曽有だから、前例なんかない。
どうすべきかの模範解答も前例もない、未曽有の事態を前にするとだいたい処理能力がパンクして、思考は停止する。思考停止した人はとかく日常動作を繰り返しがちで、日常動作を繰り返しているうちに、落ち着きを取り戻す。
だからストップがかかるまでお店は営業しようとするし、電車やバスは走らせようとする。
お店を営業し、電車やバスを走らせることが二次被害に繋がる恐れがあると判断して、ストップをかけられるのは、その先を見通せる人。その先を見通して作ったマニュアルがあれば、思考停止したあとの人でも機械的に判断できる。先を見通せる人が作ったせっかくのマニュアルも、マニュアルが読めない人に運用されたら意味がない。
平時だったら衝動買いしそうなものは、非常時には後回し。非常時をより恐れる人は、非常時に役立つものを見掛けたら衝動買いする。キレイも可愛いも美味しいも封じられるとストレス源だとわかっていたら、非常時に備えて準備する。
温かい食べ物は、ただ温かいだけでも美味しく感じる。ありがたさもマシマシ。ただエネルギーを摂るため空腹を満たすための食事が続くと忘れてしまう、美味しいという感情も連れてくる。